生きるを思う NO-1  はじめのはじめ 20140625

幼少の頃より本当に丈夫な健康優良児に近かったのである。勉強も良くできた頃、進学校で剣道に明け暮れ、生徒会長にも誘われていた15の夏、突然腎臓が悪いと言われ、中学校時代に風邪を引いているときに無理をした結果の後遺症であると言われ、約8か月の入院をする羽目になる。

その地獄の期間での復活は余りに衝撃的であった。

まず、高校でもしたいことをして騒いでいたものだから、友達がまずびっくり、当の本人はもっとびっくり、6月の終わりに岡山の専門病院で言われ、誕生日を前に入院、夏休み後の退院を目指して入院したのである。

勉強のための参考書、毎日授業をきっちり記載して、毎週持って来てくれる女性の友達もいて頑張っていると、先生より勉強の禁止が出る、精神的にリ今日ラックスが一番とのことだが、普通が僕にとっては良いのであるがだめらしい。 そんなものなのだ。

唯、毎日朝早くから夜遅くまでしたいことをして一杯食べていた自分が、突然の入院で食事は当然腎臓食であまり美味しくなく、毎日が退屈な日々となって行った矢先、何度検査しても良くならず、10月の最終期限、ここで良くなっていなければ留年確定となるとき、仲良くなった看護婦、心配してくれている級友、背中を押されるように悲しくて仕方なかったが、封建主義の塊のような当時の私には、病院の屋上でひっそり泣く級友の女性(当時周りにどう映ったかは解らないが交際はしていない人であった)を目にし、悔しくて歯ぎしりをした。

 

来年から、学年違いか、、、こいつ先輩になんの、、、? へこむね。

 

病気は一向に改善されず、とうとう11月より、大学病院に移籍、再度あらゆる検査をし、入院となるが、大学病院と云うところは、病気の状況によってサンプリング、悪く言えばモルモットになってしまうのである。

 

このころより、毎日が虚構化していき、生きる意欲は自然と消滅していくのです。これは、気力が萎えてくるのです。それも気が付けば、だんだん歩けなくなるのです。歩こうとすると、立ちくらみを超えて、体中の血液が無くなるかのような状況になり、諤諤と立っていられない状況に襲われ、目の前は残像だらけになり、自分の立とうとする位置が解らなくなるのである。

 

 

 

 

静かにじっとして居たい、気が付けばベットで寝ていたい、そのまま意識が無くなりこの世を去るのだろうと自分で悟る状況に浸って行きます。世の中はこうして終わりを告げるのかと、本当に静かに、消えていきそうになる時

 

は、一日があまりに短く、起きている時間がほとんど5時間くらいで後は眠っていました。体重が38キロまで落ち、入院した当時からでは18キロぐらい6か月で落ちてしまっていたのです。

身長は170センチあったので、もう生きているのがやっとの姿でしょうか?

毎日が短く、自然に身を置いて空気のように流れている自分に、世の中は空虚なものであると思い、人生っていろいろであるものだと、死というものは気が付けばそこにあるのだな、海のようであり、空のようであり、野原のようであり、そのうち灰となり流れていくのだろうと思っていた。

病院では、毎日、血液を検査、血圧検査、尿検査、問診、どう考えても参考資料化した日々が余計に僕を蝕んで行ったのである。腐敗した人体とは、艶もなく、血流の暖かさもなく、いつの間にか階段が歩けなくなり、倒れて意識を無くす日々が訪れたのである。

 

やっと16歳、こんな人生もあるのか、短くも楽しかっただろうか?

日々が重くのしかかってくる灰色の死神雲に思えて仕方なく、唯ぼんやりと静かに消えるというのか、、

思いもしない出来事がある日曜日に起き予想だにしない激変が心を占領したのである。寡黙な父と、やせ細った母が二人で病院へ来て、父は長い時間外の景色を見るでもなくずっと立っており、母は僕の手を握りさすりながらずっと泣きっぱなしなのである。病院からは匙を投げられ、ただただ子供が不憫でならなかったのだ。何故か長い間この空間を自分が作っていることに悲しみを通り越して怒りとなり、泣きたくなる自分に腹が立ち、

大丈夫、心配すんなよ、絶対元気になる、泣かんといてくれ。笑うど。これからは絶対笑うど。もう僕の前で絶対泣かんといてくれ。あんたらより先に死なへん。

僕は叫びながら、手を強く握って言い続けた。泣きながら笑った母の顔は今でも覚えている。外を見ていた父が、うん、うん とうなづいていた。

 

それからは、何かに取りつかれたように前しか見ない、身に付けるすべしか考えない、全てが全身全霊を掛けた食事、呼吸、伊吹、歩行に至るまで血流が通い始めるのだ。これは僕自身が、生きていて良かった。両親のおかげだ

と本当に命を拾った瞬間なのである。

 

 

もちろん、高校一年生は二度経験し、同級生が先輩となる精神的に厳しい状況は常に卒業するまで格闘はしなければならなかったのであるが、小さい事と云えるまでは少なからず時間が必要であった。

 

高校生と云う、思春期で様々な経験をしなければならなかったことは、必然であり、後の人生に大きな変革をもたらす。

まず、自分と云う人間を客観的にとらえる事で、一途な考えとか人に耳を貸さないとか、引きこもらないとかを考えないと、当初は、運動は出来ません、体育見学が義務付けられ、授業のみ、要は勉強のみであり、出来る事の制限が発生する。

このまま大人になって何をする、将来何が出来る、一体これから何を目的に生きて往けばいいのかを答えが出ないまま、毎日否応なしに時間の経過をやり過ごしていくのだが、どうにも人生の迷路で右往左往している自分に嫌気がさしてくる。2か月ほど経ったころ、このままではだめだ、一つずつ変えていこう。今は、どん底なのだから、これ以上の下は無い、後は上がっていくだけ、怖いものは何もない、八方ふさがりは当たり前やな、 大したことは無い、上を見よう、空がある、土を掘って這い上がっても知れている。良し、

便所虫と一緒やな、上に、上に行くだけや、俺は一回死んだ人間やないか。それを生き返らせてくれたおやじ、おかんに対して恥ずかしくない、両親がどこで死のうが自慢できる生き方を自分で決めて取り組もう と心に誓って歩き始めた。 中身については、気が向けば掲載しようっと。

今の世の中減らない物は アトピー、高齢者  20140615

我が家では、海ちゃんが偏食の天才ぐらい知り合ったときはひどかったのであるが、僕と暮らし始め、ほとんど食べない物はなくなった気がします。おかげで子供たちもアトピーは少しあった気がしますが何とか何事もなく過ごせています。田舎で遊んだり、川、海、山等遊んだ幼少期も良かったのでしょう。なぜ現在はこんなにアレルギーが増えたのでしょうか?

一般的には、タンパク質などの食物をアレルゲン(異物)としてとらえ、消化が上手くできず、胃腸に異変を起こしたり、呼吸困難になったり、湿疹などの症状を起こします。

また、現在では様々な食品があり、保存期間も長くなり、当然添加物も増え、合成添加物によるアトピー悪化もあるようです。

やはり、なるべく家庭で料理して食べる習慣を小さいころから基本にしたいものです。それが良いというのは、人体、特に日本人は体質も少しずつ変わりつつあるとは思うのですが、もともと農耕民族であり、米、麦、芋など炭水化物が中心で魚、貝類を副食とした食生活であったものが、あまりに早く肉食、ファーストフード、加工食品の台頭にも注目し、研究科学的根拠を見つけて欲しいと思うのだ。

理屈は解らないのだが、僕の子供のころはこんな病気の人を知らないし、見たことが無かったから、多分全くなかったという事はないであろうが、生活上での大きな病気ではなかったのではあるまいか?

僕の見解では、胃腸の強化、小さい時から何でも食べようよ で相当改善出来そうな問題に見えます。

牛乳、乳製品の摂りすぎ、生もの、冷たい食品の摂りすぎ、油性食品の摂りすぎ、アイスクリーム、冷たい飲料の摂りすぎと云った事は、何でもバランスよく好き嫌いをしないで食すことで解消できそうな気がする。

我が家の老犬が、未だに元気に歩き、食事が生きる基本、食欲と食べることの大切さが見て取れる、もう15歳と4か月、人間界では百歳を超えているのだ。

もっと生活習慣を見直してみることも新たな発見があると思う。まず身近なところから、年長者の美味しいにトライなんてのも良いかもしれない。お試しあれ。

食と社会を思う  20140527

これからの人間の在り方とは、先人の知恵、英知を参考に、とにかく不要物、廃棄物を無くす事、すなわち、捨てるものはまず無くすことである。

コンビニ始め、あらゆるファーストフード、スーパーまでが顧客獲得合戦に突入しており、ことさら日本と云う社会では、便利と手抜き、手間いらず、簡単に走りすぎており、日本食が無形文化財になった処で、お母さんの味、おばあちゃんの味、我が家の梅干し,味噌、漬物などの価値観の見直しをもっとすべきだと思う。実際、無添加のジャム、出汁、煮物など、癌を患い添加物に対し敏感になっており常にこれからの社会、世界を考えた生き方、食文化を支えたいと思ってしまいますね。

簡単で美味しいものは、本当にたくさんあり、簡単に手に入るのです。

人間性にも、そういった環境が大きな問題になってきているように思えてなりません。全てに於いて自分とか過去と比較するのは良くなく、良いとこどり、今に即した方法が良いのですが、まず何でも手に入る状況は如何な物かということである。

一番は、遊び道具の多さ、二番は、テレビなど情報量の多さ、三番は携帯他ゲームによる実体験の伴わない視覚の多さ、父、母、教師、近所のおやじ、爺さん、ばあさんなど子供に対する目上の人たちの価値観の多様化、感謝の無さを痛感する。

なぜ、子供が外、公園で遊ばないのか?夏休みに公園で子供を見る機会が今は殆ど無い。当然、春休み、冬休みも同じである。

大型スーパーとかで、体験型の物づくりが流行っているが、これはよろしい。

しかし、お金が掛かりすぎるものは如何なものかと思わざるを得ない。素材にお金が掛かるケーキショップとすると、まず安く上がるクッキーからしてはどうか?

チジミ、流し焼き(岡山の乗せ焼の名)でいいではないか。

材料持ち込みで安くする方が良心的であると思う。

キャンプは何時からかテントは張られていたり、食事が付いていたり、材料も買い出しもいらないところが増えた。

子供会など、近所付き合いが減ってきている。個人個人で、好きな施設に行けるのだ。

家族という単位はとても大切な存在であるが、共同生活、作業で身に付く相手の立場、やさしさ、感謝の気持ちは色々な経験、予測できない事態が大きく関わっている事が大半である。見直したい限りだ。

食事改善 検証か又?  20140526

コレストロールを取りすぎるとやはり生活習慣病、つまり遺伝的な素因、過食、高脂肪食、運動不足といった生活習慣に関連した原因がほとんどらしいのです。

脂質異常症と表現され、コレストロールの約七割は人の体内で合成されています。血中にも少な目ですがコレストロールはあります。ただ僕は全く好き嫌いが無く食べ物も何でも食べ、血圧、血中脂肪も、現在は全く変化はほとんどありません。食事からコレストロールを取りすぎても、健康な組織、身体であれば一定量以上は吸収されず、排出するのだそうである。僕は、玉子が大好きで未だに、おでんがあれば毎回3個は食します。毎日2個から3個が基本です。ちょっと横道にそれました。

飽和脂肪酸(おもに獣肉類の脂肪)1に対して不飽和脂肪酸(おもに植物性脂肪や魚の油)を1,5~2の割合で摂る。

中性脂肪が高い人は砂糖や果物などの糖質やお酒を減らすですと。

 

一般論の飽和脂肪酸の多い食品で、当然控えめに の食品群です

バラ肉やロース肉にある脂身、鶏の皮、ベーコン、チーズ、生クリーム、バター、ラード、洋菓子 あくまですべてでは無いであろうが、どうもうまいもの成分に属する要素に思える。これは、少な目にして取り組むとか、しっかり炒める、焼くの作業で、極力抑えることが出来そうである。

 

一般論の不飽和脂肪酸の多い食品で、摂りたい食品群に当たるもの。

善玉コレストロールを増やす青背魚、さば、さんま、ぶり、いわし、まぐろ

コレストロールを減らすのに役立つ食品で、ブロッコリー、芽キャベツ、青菜、ピーマン、レンコン、ごぼう、切り干し大根、納豆、きのこ、海藻 等が紹介されているが、野菜関係はおおむね摂りたい食品に入りそうだ。

一番大切なことは、まず自宅で自炊、もしくは母親が常に食事の用意を一から作ってくれているか、子供たちがお手伝いを当たり前として台所に立って包丁の使い方を学んでいるか、其処の方が大切ではなかろうか?

いくら食事の改善といえど、市販の物は味が自分が主役ではなく、一般論になり、冷凍食品、惣菜などを考慮した紹介にどこかで置き換えないと、世間がついてこれない食材になっているかも知れない。

地産、地消が進んでいるのがせめてもの救いであるが、そこでも加工品が増えているのが僕の懸念材料になっています。食事と共に生活改善は如何?

あかあんど 便り お灸の不思議  20140525

病気より立ち直る回復力 という事で、鍼灸師会が唱えているが、人間の身体にはなんと三百六十五個のツボが在るそうで、まさに一年間健康でいましょうねと言っているかのようである。

お灸は痛い処、疲れ、血流疾患、痺れの部分などがまさに緩和される。緩和とか、和らぎはその日に起こる。ただ、今まで一年以上通い詰めて悟ったことは、問題となる病気の発生個所が、そもそも最初の原因かに掛かるのである。何が原因で体調に変化が起き、体質とか抵抗力が弱くなり、体内の何処か、身体のどの部分かが悪くなり、その歪が原因で様々な個所に病気を発生させる結果となっていることを患者は知らねばならないという事であった。

鍼灸の先生は原因を確定するのに、数回の治療を要す事もあるのです。

又、僕のように、何処にも例の無い症状、術後の患者も居るわけで、まず自信を持って絶対に治りますを見つけ出さねばならない事であろう。

有難い事に、先生は、恐ろしいくらいの生命力が僕には有るらしく、それをすぐ真に受けて頑張れる特異な性格もまた僕らしいと云えばその通り、おだてればの世界である。

お灸は、古来より伝承された、医療方法であり、中国より伝わったものであるらしいが、実際にさまざまな患者さんを目にして思うのは、お灸と鍼治療との併用で鍼灸院となぜなっているのか、それは、髪の毛より細い針が酸化した体内部分まで辿りそこにお灸の力を注ぐことで代謝の活性化、血流の促進、神経への刺激で細胞の再生など様々な治療結果につながっているのだ。

本当にびっくりするが、東洋医学の神秘とは、よく言ったものである。

古来より何万人がその実験台になったのか、最初は竹針ではなかっただろうか、その竹の末端にモグサを乗せていたような気がするし、想像すると恐ろしい人たちが相当の犠牲を払い今の鍼灸を生み出してくれたのだと思うと、皆に感謝ですね、本当に有難う。

鯨はホントは身近の食材 20140522

ICJ(国際司法裁判所)が平成26年3月末に、日本が南極海で行ってきた調査捕鯨に対して、国際条例違反の判決を下し、中止を命じた。判決対象でない北西太平洋でも捕鯨数を四割以上削減方針を決めた。

鯨肉になじみが無い人にはどうでもよい問題であろうが、僕は幼少期より一番タンパク質として摂取したのが、鶏と鯨である。特に冷凍庫が一部におまけで着いたような冷蔵庫が主流の昭和の大阪万博時代では、我が家の周りが氷だらけになる半冷凍室には常に、縦か横か解らないほどの二キロ程度の鯨肉の塊が鎮座していたのである。

日本鯨類研究所は水産庁所管の一般財団法人で販売収益を翌年の調査費用に充当する運営方法であるが、販売不振、販売戦略の欠如などで赤字続き、国の補助金が投入されているのである。需給バランスを考え、もっと安価で市場を開放し、より鯨を身近にしないのか理解に苦しむ。昔は、学校の給食で鯨肉は出ていたはずである。環境保護の名の元に反捕鯨国からの圧力に対応できなくなる可能性は少なからずある。

もっと海域の科学的調査などをしっかり行い、需給バランスと海域内での魚類、水産類のバランスをも考慮した市民にも国にも大切な判断、研究、宣伝を考えて取り組んでほしいものである。

魚の販売コーナーで価格を見ると、とてもではないが市場に浸透するどころか高級食材にいつの間にか変身しているのだ。誰のどんな戦略か?こんなことをするから無駄な在庫が増え 本末転倒になっているのだ。まあもったいない話である。TPPの前にまず市場をしっかり見た方が良いかもしれない。

こんなことで悲しめるという事は、うーん、僕は卑しいだけなのかもしれない。鯨の生姜焼き、はりはり鍋などは実は鶏とさほど価格は変わらなかったはずである。もっと言えば、より安い食材として市場評価されて居た筈なのだ。

さみしい限りである。コロ、鯨ベーコンも信じられない価格としか僕には移らない今日この頃の小さな不満をふと伝えたかったのでありました。

鍼灸治療 しょうざん便り サイドブレーキとアクセル 20140521

しょうざん鍼灸院に通うのは、僕の場合、近鉄布施駅前で、大阪バスが京都駅まで高速で走っており、今では一時間でゆったり着きます。そこからは、しょうざんまでタクシーで四十分程度掛け、往復時間は、待時間等を考慮すると四時間~五時間掛かります。もう一年三か月に成ろうとしていますね。

さて、サイドブレーキとは、一体何ぞやと思いますが、しょうざんで驚く発見があったのです。人体には体内の細胞に血液を循環させながら活性化させる力があり、疲れとか、僕のように手術で切り刻んだ痕では細胞が無くなったり、詰まったりして血液循環を止める すなわち遮断し体を酸化させてしまう事態、そう身体のサイドブレーキを引いた状況になっているのである。簡単な話が、サイドブレーキを引いた状況なのだから、静かにしておかないと駄目でしょうとなるのである。これは当たり前、そこで 運動をしよう とか 遊びに行こう とか 旅行にいこうなどという事は、アクセルを少なからず相当の力で踏みスタートしているのです。単純にこれはまずい。無理しか発生していないですよ。

僕は、様々な病気、手術、リハビリに取り組む傍ら自然と医療とは という事を、医者よりも詳しく取り組んだ実証を持つ説明が出来るかも知れません。

あくまで独りよがりも含まれるでしょうが。

脱線してしまいましたね、相変わらずですな、とにかく血液は滞留させると、古くなり常識で考えてもドロドロになるでしょう。おまけに、体を休めるためのサイドブレーキを引いた状況で、アクセルを踏むと流れた血液は帰ってこれなくなってきます。行ったきり詰まり、滞留し、酸化し、疲労、痛みを伴って活性化しようとする細胞に、君、調子に乗るとえらいことに成るよ、待ちなさい。人にはそれぞれ体質、リズムがあるんですよ。良く考えて、再度一からやり直しなさい。急がば回れ。サイドブレーキを外して動き出そう。

今日、治療中にしょうざんでお客さんと気づいた発見でした。

今の世の中減らない物は アトピー、高齢者

我が家では、海ちゃんが偏食の天才ぐらい知り合ったときはひどかったのであるが、僕と暮らし始め、ほとんど食べない物はなくなった気がします。おかげで子供たちもアトピーは少しあった気がしますが何とか何事もなく過ごせています。田舎で遊んだり、川、海、山等遊んだ幼少期も良かったのでしょう。なぜ現在はこんなにアレルギーが増えたのでしょうか?

一般的には、タンパク質などの食物をアレルゲン(異物)としてとらえ、消化が上手くできず、胃腸に異変を起こしたり、呼吸困難になったり、湿疹などの症状を起こします。

また、現在では様々な食品があり、保存期間も長くなり、当然添加物も増え、合成添加物によるアトピー悪化もあるようです。

やはり、なるべく家庭で料理して食べる習慣を小さいころから基本にしたいものです。それが良いというのは、人体、特に日本人は体質も少しずつ変わりつつあるとは思うのですが、もともと農耕民族であり、米、麦、芋など炭水化物が中心で魚、貝類を副食とした食生活であったものが、あまりに早く肉食、ファーストフード、加工食品の台頭にも注目し、研究科学的根拠を見つけて欲しいと思うのだ。

理屈は解らないのだが、僕の子供のころはこんな病気の人を知らないし、見たことが無かったから、多分全くなかったという事はないであろうが、生活上での大きな病気ではなかったのではあるまいか?

僕の見解では、胃腸の強化、小さい時から何でも食べようよ で相当改善出来そうな問題に見えます。

牛乳、乳製品の摂りすぎ、生もの、冷たい食品の摂りすぎ、油性食品の摂りすぎ、アイスクリーム、冷たい飲料の摂りすぎと云った事は、何でもバランスよく好き嫌いをしないで食すことで解消できそうな気がする。

我が家の老犬が、未だに元気に歩き、食事が生きる基本、食欲と食べることの大切さが見て取れる、もう15歳と4か月、人間界では百歳を超えているのだ。

もっと生活習慣を見直してみることも新たな発見があると思う。まず身近なところから、年長者の美味しいにトライなんてのも良いかもしれない。お試しあれ。

食改善  横綱 小結 

我々が生活する基盤、食事における摂りたい食品もとうとう小結から横綱までを残すのみとなりました。

それぞれに、なるほどと納得出来るものと、これもと思えるものが在りそうな気がする。納豆、鶏ささみ、赤身まぐろ、そして横綱豆腐となっている。

 

控えたい食品、こちらも小結から横綱までが少し気になるが、牛タン、鶏レバー、うなぎ蒲焼、横綱は鶏卵となっている。

当たり前であるが、控えたいという表現はやめよう。たまに食したい食品の方がよほど優しく聞こえるし、言いたいことが素直に伝わるのではないだろうか?

栄養豊富、コレステロール豊富、月に一度目いっぱい食べましょう なんて表現はいかがであろうか。

ただし、横綱の鶏卵が解らない、白身、黄身どちらもないと鶏卵ではない。ましてやどちらか一方となると、片方を廃棄するの、捨てるなんてもったいないにしかならにであろう。何で鶏卵が控えたい横綱なのか、料理の仕方、食べ方で幾らでも変化するのが鶏卵であると思う。なぜなら、卵サンドを見てみると良く分かる。マヨネーズを控え、ゴマ、大葉のドレッシングにレタス多め、茹で卵の采の目切り、半分裏ごし、ふわふわの食パンでトマトスライスと薄目に切った塩もみしたキュウリをサイドに加えサンドするとヘルシーで最高の鶏卵調理になる筈である。味よし、栄養バランス良しのもっとも口にしたい食品に早変わり。

また、納豆に入れる生卵、これも美味しいし、山芋の短冊切りに温泉卵を入れるのも

すこぶる美味しい。

変わった処では、アボガドに刺身の采の目切り(種類はさば、青魚、まぐろ,イカなど)を入れて混ぜ、生卵と生姜、わさびを入れるとこれまたつまみにもなり、おかずにもなる万能選手なのである。しっかり検分してみたいところであります。

 

生活、生きるために、私たちは生きているものを野菜、生物、を基本に食しています。すべてを無駄なく上手に食べ、身体づくりと生命力育成、感謝を忘れないでいたいと思い食品価値批判は一旦終了、次回は食事のメニューでも記載しますか。

食改善 続き 未だ6番目 

食改善で摂りたい食品の海編で行くと、あさり、はまぐり、かき、帆立貝柱、ツナ缶、最後はずわいがにが登場する。もちろん6番目程度に位置するのだが、帆立貝柱、ツナ缶は東北、北海道が産地であるが価格、市場で常時手に入るのはツナ缶であろう。これは、おにぎりを筆頭に日本中で食されている食材である。ただし僕はあまりマヨネーズが好みではなく、多少世の中に反抗をしているのだ。家族は大好きだが、僕はマヨネーズが嫌いではない。どちらかといえば好きな部類だが、味が強すぎて、ツナの味が弱くなるのが嫌なのである。帆立は、北海道への出張が多くあり、旬で食すこともあり、本当に美味しい帆立を食したことが幾度かある。オホーツク近辺では、貝柱も、生帆立も甘いのなんの、貝柱の干物、一夜干しはすこぶる甘くてふくよか、お酒には最高に合います、辛口の酒には程よくからまり、五臓六腑に染みわたるといった観があるのですぞ。

さて、瀬戸内海日生近辺が故郷の僕には、あさり、はまぐり、かき は、日常の食材であり、岡山の我が田舎では特にかきは、冬の風物であり、雑煮は、かきが主役である。

お好み焼きも冬はカキが入るのが普通であり、酢牡蠣、味噌鍋、焼きカキ等、自宅には殻つき活けは一斗缶で常に置いているのだ。あさり、はまぐり、しじみ も常に市場では、まず手に入る。瀬戸内のおかげで、こと魚、海産物は恐ろしく贅沢で、うるさいのである。これまた、幼少期の環境に感謝する次第です。

 

現代社会は、テレビ、携帯の必要以上の情報、ファーストフード、コンビニ、スーパー、道の駅等 どれを取っても食材の変化に驚く。

まずは弁当、そしておかずの種類、また一人分の食材が増えたこと、キャベツなど野菜の千切り、餃子の材料などが、一人用パックとして陳列棚を占領し始めていることである。一人暮らしが多いのではなく、一人一人の食事の好みに合わせる嗜好に応えておるという事らしい。

僕には理解できない。なぜなら、鍋物、すき焼きをしたとしよう。色々な食べ方があるが、肉から炊き込み、食材を満喫した処で、雑炊とかうどんで締めという食文化を家族で楽しむのが日本食ではなかったか?

レンジでチンの食事では、どうも落ち着かないし、あまりに味気ないではないか。

よそよそしさに加え、それぞれが勝手に食すのであれば、食卓とは言わない、一日の終わりに、ご褒美のようにリラックスと元気を取り戻すための少々のお酒と、家族みんなの一日の報告座談会と化す、時々突然に子供の友達が現れたり、近所の友達がふらりと訪ねてきたり、一杯飲んだ帰りに、うちで飯食うかといった嫁に迷惑な瞬間が有ったり、もっと人と人が交流していた家族社会があったはず。

今の世情がいつの間にか馴染めなくなってきているのか、個人に重きを置きすぎていないか疑問ですね。