家畜とペット  20140713

僕の幼少期、まだ幼稚園に行っていた頃、昭和37年か38年だと思うが我が生家の隣には、牛を飼っており、8匹ほどいただろうか、とにかくまず匂いが凄い。藁の匂いと糞の匂いが混ざり、時間によってふと匂ってくるのである。

朝な夕なに隣人が2匹ずつ散歩をさせるのであるが確か記憶ではおじいちゃんであったと思う。牛に比べるとあまりに小さかった爺さんが記憶に残っている。

さて、彼らは一般の道路を-当然舗装はされていないし、デコボコの道であり、(車は田舎には3台くらいしか無い時代)雨が降れば水溜りが所々に水すましを引き連れて君臨する道路を所狭しと闊歩する相撲取りのようにのっしのっしと爺さんの後をゆっくりついていくのだが、何故か彼らは良くウンチをする。歩くとお腹の具合が良くなるのか、相当量の糞が道路のあちこちに転がるのである。

これが凄いのだ、暖かいのか、糞からは湯気が出ており、藁臭い糞であり、どちらかといえば固めである。何故かというと、爺さんは田んぼが横にある場所ではその場で地下足袋の裏でポンとサッカーボールのように糞を蹴り、田んぼに放り込む。うーん、他所の田だろうに、肥料ということなんだろうと子供心で思うのだが、僕は 道路脇の田んぼでは絶対游ばんとこう と心に決める。

昔は、この牛達が、それぞれの田を耕す時に活躍していたのであろうが、耕運機が田舎に現れたと同時に、彼らの居場所が居心地の良くないものに変わってしまったように感じる。

それから5~6年後、大阪万博の前には、すべての牛がいなくなった。隣の家は、隣町で肉屋をやっており、牛を捌いて並べたと、僕は勝手に思っている。

我が家で飼っていた鶏は、当時10匹程いて、餌をやり、いくら可愛がっていようと、卵を産まなくなり、年を取ると、綺麗に全て食す、つまり鶏を往生させる、成仏させることが、幼い僕には当たり前のこととして記憶に残っている。

有り難く頂戴するのが、生物に対する道徳と思っていたし、今もその環境化で育ったことに感謝している。

ただ6歳で、鉈(なた)で絞めろとオヤジに言われ、失敗して首を綺麗に切れなかった僕は、今でも自分の往生際の悪さの実態を忘れない。苦しかっただろう鶏、ごめんよ。

駐車場の猫  20140712

我が家を中心に、半径500メートル圏内で野良猫は15匹はいるだろうと予測している。

近所の猫好きの方達(5名程)が野良猫を公園で育ててやっており、凄いのは全てのメス猫は、避妊手術を施してやり、朝、夜の餌をやり、糞とか散らした餌の片付け、掃除を毎回交代で行っているのである。

冬はダンボールの寝床に毛布やタオル付きで設置、翌朝除去までを毎日徹底して行っていることである。

彼女達は、人間が勝手に猫を飼いどんな事情にしろその猫を捨てた為に行き場所を無くし野良と化した猫たちを理解しており、せめて生きることを応援してやろうと皆んなで協力し、育てているのである。そして最も大変なことは、死の間近では、自宅で看取ってやり、焼却までの面倒を見続けていることである。

布施のポッポアベニューにある動物病院の先生も力を貸してくれており、先だって我が家の裏、駐車場にいる猫がどうも障害を持っているにも関わらず妊娠しているように写り、早めの避妊を考え、大阪市からの避妊援助金5000円が支出されるらしく、その動物病院で診てもらうと、1歳にやっとなるかという障害猫には、小さな身体になんと5匹もの赤ちゃんがお腹に居たそうである。

今は、次第に慣れてきたのか、お腹が減っては縁側に顔を出し、叫んでいるが、お腹を痛めた記憶はもうないであろうと思う。

軽くなった体に感謝しているのではなかろうか?

近頃、以前に増して近所の公園に猫を捨てに来る人がいてどうしようもない。お願いである、捨てるなら、飼う事を最初からやめなさい。

動物も、人間と同じで 生きているのだ。ましてや赤ちゃんは手を携えてあげないと生きてはいけないものである。 命を大切にしたい。

駐車場に寝に来る障害猫は近所の猫好きの方達には周知の事実で、時折どなたかが勝手に餌をあげたりしているようである。

我が家では、つかず離れず、いつの間にか海ちゃんは ひょこたん と名前を付けていました。今は、雨降る中、そのひょこたんは何処をうろついているやら、、、。

犬と僕の関係  20140711

我が家の娘、ミルキーは15歳と半年で、おしっこを漏らして、膀胱炎になったようである。歩行は、困難を極めており、後ろ足が綺麗に動かず、腰が立たず、引きずる足からは血がにじんでおります。

通常は行きつけの動物病院で今まで検査、ポリープ除去手術などをして頂いたのですが、待ち時間と犬への負担を考え、近所の獣医に行き、内蔵のエコー、今では人間並みの検査を行い、薬も全く人間と変わらないのである。

海ちゃんの友人から、犬の鍼灸治療をする病院も教わり、そちらでも度々診察を受けている現状ですが、どうもわが娘は病院と云うだけで怖くて仕方がないようで、待ち時間の間中、何時間も震えているのであります。

病院の鍼灸は回数を減らし、僕がお灸をし、マッサージをするように変更すると、何と気持ちよさそうにいびきをかいて寝ています。当然、日によって違いますが、すこぶる以前より後ろ足が、しっかり動き出し、腰も立とうとする意識が伝わっており、ある程度歩けるようになってきています。もちろん完全に治るのではなく、海ちゃんの友人からバギーを借り、散歩のほとんどが歩きではないのですが、途中の公園の土の上と、帰宅途中の50メートル程度ですが、思いのほか彼女は頑張って歩き始めていて、嬉しい限りです。

いつまで生きてくれるか、犬の年齢はいろんな説があり、確かな年齢はわかりませんが、ほぼ90歳~100歳くらいでしょう。

できれば、あまりボケることなく、何時までも騒いで吠えまくり、気がついたら、あら、息をしていないね、なくなったかななんていう、安らかな死、寿命であれば最高でしょう。僕もそうありたいものです。

我が家の娘は、僕にはまず吠えません。絶対噛みません。そして、体調の悪い僕を必ず避け、遠くに行き、そっと心配して見ています。

どうもいじらしい娘です。勿論、相当贔屓目になっているのは承知ですがね。

明日の為に、しっかり休もうね。近所の子供たちが何時もわが娘をからかっていてくれたので、その分精神年齢だけは、しっかりして若いんでしょうね、

ほとんどの散歩は、海ちゃんがやってくれているのです。僕は少し顔を出すだけで今は精一杯、歩きはまだまだ持ちません。

彼女は一日の大半は寝ていますが、たまに目を覚まして誰もいないと大騒ぎをするようになりました。甘え始めたおばあちゃん、少しは我慢をしてね。

お休み。

犬のこころ わたし女の子です

今、犬としては15歳と三か月弱になります。人間でいえば、もう百歳にな

る年齢で、歩くのも危なっかしい状況であります。ただ、卑しいのが生命力

に成っていると思いますが、いつの間にか睡眠時間がめっきり増えました。

後ろ足が思った動きが出来ないのであるが、鼻で匂いだけはしっかりするようで、肉、魚の焼いているときは、海ちゃんの横で涎を口に溢れさせ、お座りをし、前足で足踏みを何度もするのである。

若いころは当たり前であった事が次第に出来なくなり、そんな中で少しでも生き抜くために一生懸命少しでも食べたいとか思ってくれる事が、動物、人間にとってみな同じだと最近は特に思う。

生命力というものは、まず食が一番大切なことであると痛感しているし、自信を持って間違いないことと思う。

毎朝、ミルキーには、約7~800メートル、一キロ弱だと思うのだが、お米屋さんでいつもおばあちゃんから菓子パンを頂き、それが日課になり、雨の日も、風の日も常に散歩をしてくれていたのです。

しかし、まずおばあちゃんが足、腰を患い、おばちゃんが代役をしてくれる様になり、現在は、お米屋さんも、孫が出来、幼稚園、おばあちゃんの病院などがあり、お兄ちゃんの時とか、おじちゃんの時というように、お米屋さんの家族にかわいがられて生きているのである。

唯、ミルキーも具合により、行けないことが時々発生する。

週に一回か二回、動けない場合は、近くの公園で、散歩が終わる場合がある。

お米屋さんまで行く場合は、一時間前後を掛けゆっくり歩くのである。

僕は、そこまで一緒に歩くと、頸に疲労が出て、帰宅後ふらふらになり、頭が痛くなるので、体調を考えながら出ないと、体力が、続かない。

まだまだ、思った以上に持続力は出来ていないのである。

頑張るミルキーに、散歩時でも、振り返って、ほうねんさん大丈夫ですか?と振り返って繰れるとき、情けないやら嬉しいやら、涙が出そうになります。

有難う、ミルキー、あなたのおかげで又頑張れます。

年齢は、いろんな説があって、現在の彼女の年齢は不確かですね。

唯、それ相応の年齢は間違いなく今は耳は全く聞こえていないようです。雷でも気が付かなくなっていますからね。

お休み、明日は早く起きようっと。

愛犬との昼食 平成26年3月17日(月曜日)

気が付けば月日はいつの間にか経っています。

毎日、つらいこと、気になること、嫌なこと、さみしいこと、悲しいこと、楽しいこと等が一杯であったはずなのに、全てが一瞬のような気もします。

 

ミルキーは一生懸命睡眠を取っています。まるで活きて往くために必要な時間が寝ることであるように、ちょうどお昼なので、海ちゃんが作り置きをしてくれているおでんを食べようと準備をし、五穀米を温め、ポテトサラダを出し、さあ食べようと食べ始めると、不思議なことにミルキーは僕の横でお座りをし、しっかり僕を見つめています。

何を食べるかしってるよ とでも言っているように、これは本当にびっくりしますが、毎日の恒例行事のごとく、ミルキーには生きる上の大切な儀式に近い行事なのでしょう。

僕も心得たもので、大根、はんぺん、しいたけ、きくらげ天ぷら、こんにゃく、卵を少しずつ食べながら、最後に牛筋を食べます。最後に少しだけあげるようにこちらも気を付けてやらないと、何せミルキーはもう15歳をすぎて、歩くのもやっとの現状ですから食べ過ぎは厳禁です。

口の中の移植部分の動きが未だ不完全で大きな口が開きませんし、放射線治療で唾が出ない危機的状況から未だ抜けれず、少しずつ食べて、最後に柔らかくなった筋肉を食べます。

ミルキーはそれを熟知しており、我慢しながら一生懸命待っています。ほんの一口だけの為に、10分はじっと待っています。

すごい事ですよ、これは、毎日感心します。いつの間にか年齢を追い抜かれた娘ですが、まだまだ生きてくれよ。

あれ、いつの間にか寝たまま起きないね、亡くなったの?

これが人間も、犬も、理想だね。

しっかり長生きしてください、我がままな娘さんよ。