平成26年1月に大きな衝撃が一家を襲った。家内(海ちゃん)は僕の入院から心配と疲労もあり、情緒不安定にも襲われ、逆に僕には不安要素だらけで,ここから生き返ることが全く不明瞭になってしまいました。
人間は、なぜ自分のことだけをおしつけるのでしょうか?利点は何もありません。
生きるということ、それは、我が家の場合、いや、僕の場合は明日を目指し生き抜くことであり、夫婦はいつも以上に相手のことを思いやり、なおかつ明日の自分、明日の家族との会話、明日の時間、明日の悲しみ、明日の楽しみ、全てをひっくるめて考えることで今の状況で もがいているのです。
過去の一言を顧みると、家族、特に海ちゃん、夫婦というものは、常に互いに支え合って生き抜くことは非常に大切ですが、なかなか出来ないのが本来の姿とも思えます。そんな中で僕は全く持って幸せ者であろうと確信しております。
頑張ろうに根っこが生えているのは、海ちゃんが僕と云う土壌に水をまき、肥しを入れ、笑いを振りまき、生きようと懸命に耕してくれているから。
いつの間にか、3月に入りました。
毎日が、ありきたりの不安と、日常の目標、楽しみ探しがとても大切な行事になってきます。
焦らないで、少しずつ、着実に、ひいては前を向く作業がとても永い作業になります。
負けない、焦らない、決して振り返らない、そんな叱咤激励を事あるごとに繰り返し自分につぶやく、ふと気が付けば少し良くなっている状況がさりげなく訪れています。
静かに、ひっそりと、そよ風のように、、、。
桜の季節に入ります。一年の長さが如何に短いかを痛感しています。あがいた月日は何に対してだったのか、思い返すと長い長い命の掘り起しをしているのです。
再び咲かせる人生に対して、より貪欲に、もっとしたたかに、再生をしよう
次の桜はのんびりと花見にしたいものだ