パンドラの箱     20150121

パンドラの箱  20150121

赤あんど鍼灸科へ久しく行っていない。そろそろ家でのミニお灸が底を尽きそうになり、午前中の王子歯医者での治療を終え、お昼ご飯に 山芋、玉子、きのこ入りのうどんを食べ、唾液を促す薬を飲み、少しだけ口の中の潤いを求める間に、全身に汗をかく副作用が出る。

最近は少しづつ薬とも友達になりつつあり、体調の良しあしで、発汗が変わることに気づき始めたのである。

シャワーで体を洗い、気分も身体も軽くなった処で、快晴の中ゆっくりと歩いて外に出るといつもながら午後の陽射しは強く、日影が見当たらず、太陽を避けるように蛇行を繰り返し、こじんまりとした美容院の横を抜け、近くの駅にたどり着く。

この頃近鉄電車では、奈良の人気にあやかり万葉集に合わせた絵柄を車両ごとに施しており何とも賑やかであるがみんなそれに気づいているのだろうか。

駅近辺の大学生の帰宅と重なり、思った以上に乗客は多く社内の冷房が弱く感じるのだが、あくまで消耗した体力に追い打ちをかける賑やかな喧騒が蒸し暑く感じる大きな原因かもしれない。

電車では、空席は無く つり革に摑まるには頼りない老体の為、開閉ドア近辺のポールに全身を預けて社内を見やると、やはり携帯電話を触り、メール、ライン、ゲーム、ツイッター等に夢中の人が半数を超える。

なんともはや、異常事態としか言いようがない、友達同士で騒いでいた自分の年代とついつい比較してしまうのだが、どこでどうやって何を相談したり討論したり、喧嘩したり傷ついたりしているのか疑問に思う。

流行、文化、社会性を考えてみても何かが欠けていないだろうか、そう、笑顔である。笑い声が聞こえてこない、会話もない、静かな異質の空間と化した車両だ。

コミニュケーションが携帯に侵食されているのか、友だち同士ではなく他人同士という事か、あくまで帰宅途中が一なるものといった塩梅なのだ。

会話をしませんか、ほんの少しの間でも、お名前は、休みは何処に、映画は、一度海に魚を釣りに行ってみませんか?

家のおやじが大好きでね、釣った魚を捌くのが上手いんですよ。

晩飯は僕の家で皆でたべましょう、やっぱりお酒は薄目のハイボールでしょう。濃いと魚の味がしないんですよ。

楽しみにしてますよ なんて話が聞ければ、僕も車内広告を何度も読み返さなくて、窓辺を眺めながら、聞き耳を立て、にっこり微笑んでいるはずです。

人生の様      20141226

 

人生の様

ある時、ふと生と死を想い、偶然にも今年亡くなった人たちの事が気になってきた。不思議なもので、海ちゃんとの共通の知人の突然死、一つは癌による死亡、これは僕には結構響いた。僕が入退院を繰り返しているときに、亡くなったその夫婦は、僕の入院中に海ちゃんが近鉄電車で僕の所に洗濯物とおやつとおかず(口が開かず、普通の物が食べれない)を持って来てくれる時に、同じ電車で一緒になり、ああ、いつかまた夫婦で電車に仲良く乗りたい と思ったのだと病院でしんみりと聞いたのである。

人間とは、自分の逃れられない状況の中で、もがき苦しみ、それでも前を見ようと踏ん張っているのだが、身近な光景があまりにリアルに五感を刺激して、思いのほか言葉にならない足枷を嵌められたような衝撃に陥る場合があるのだ。

当時は、なぜか希望が電車の連結の隙間を縫って飛んでいきそうな不安と、目の前の光景が遠く彼方にかすんでいくようなエレベーターを降りるような肌寒い浮揚感におののいたのである。

生きる事の選択は様々な道が見え隠れしてきて、時として無くなる道もあれば、先が無い谷底に向かっている様に映る道が突然出現したり、砂埃が舞っているような灼熱の道が足を踏み入れると沼地のように足元が埋まり思うように動けない事も多々あることを感じている。

何が良い選択かは、誰にもわからないし、こうすれば良かった と云うのも何だか後から後ろを振り向いて勝手に創造をした産物でしかないように思ってしまう。

今を生きる ということが、どんなに素敵な事かを、今まで以上に感じていきたいと思う、それも知り合う皆と共に、そんなもんじゃないのか-人生ってやつは、悪くはない、良くもない、でも 楽しんだり、悲しんだり、怒ったりして心が転がるんだろうな、縦になったり横になったり、時にはひくりかえったりして時間との格闘に五感が打ち震えているのだろう。

生きがいを感じる事はそれは素晴らしいし、挫折を感じる事は望みが高いせいもあり、期待が大きいせいもあり、いずれにしても時間は等しく我々には与えられた唯一の平等なものであるから、気が付けば新しい明日になっている可能性は高い。

ただ、一人っきりでは、ふさぎ込むことが在ってもおかしくは無い。できれば愚痴を言える、楽しい事を伝えれる人が身近にいて欲しいとおもう。

相談できる身寄りがいれば、それにこしたことはない。

会話、対話のもたらす力は計り知れないものなのです。

心のドアをノックしましょう、どこかで誰かが話をしたくた待っているはず、動いてみましょう、まずは美味しかった食べ物の話でもしてみましょうか。

 

 

お騒がせの余韻    20141216

 

お騒がせの余韻

時代の流れと共に、世の中が自然と変化してくる。やれ、昔はこうだったとか、以前はああだったのにとか耳にするのは、自分が年を取ったという事なのであろうか。

人の目を必要以上に 誰かに見られていないかしら などと気にするのも、これまた年を取っているからに振り分けられてしまいそうである。

電車に乗ると、自然と空席のある車両を目で追っているのだ。そのくせ、いさ乗り込んでしまう時に、脇から学生に乗り込まれたり、おばさんに先を越されたりして席を取られても、痛み止めの薬を飲み、抗がん剤がやっと終わったばかりのくせに、背筋を伸ばして外の景色を見やるのである。

偶然目の前の席が空けば、颯爽と踵をかえし、ストンと腰を下ろすのであるが、たまに全く身近で誰も席を立たない場合には、目的地まで立ったまま往き、到着駅でゆっくりしっかり背筋を伸ばして、エスカレーターでトイレに直行する。そして、便器に腰を下ろして、静かに小を足し、時々何故かふと大を催したりもしながら、ドリカムの曲を3曲はゆっくり聞くだけの休憩を取る。

そして、何食わぬ顔で颯爽と歩き始める。唯、歩き階段は広い駅構内では使わず、エレベーターを使わせて頂く。

耳鳴りと頭痛でコンビニの椅子で休んだ記憶が在り、あれくらい恥ずかしい経験はしたくないと思っている。

一度海ちゃんから教わった シュークリーム を食べたことが在る。唯、大きな口が未だ開かず、手が汚れたり、クリームが多すぎてこぼしたことが在り、完全に自分の中では難しいおやつ というレッテルに包まれてしまったのである。

残念な限りだ。

信号待ちの時間で、ガードレールが在れば掴みたくなる、階段で手すりが在ればつかまって歩く、上りの場合は極力三歩ごとに手を持ち替えて片手だけが疲れないようにしている。

これを時々周りを見ながら誰にも悟られないように背筋を伸ばしてさりげなく行うのだ。

でも自分ではいかにも紳士然としているつもりであるが、離れてみれば案外尺取虫に近い気もする。

そっとしていても、静かにしていても、我が行動は 振り向けば滑稽なくらい話題を振りまいている事であろう。

いろいろ考えて帰途に就くのだが、ちょっと今一度ご不浄を覗いてからにしておこう。少しでも胸を張り、ゆっくりと歩けるように。

 

おいしい食事    20141115

おいしい食事

癌に侵されてからというもの、食事に於いて、無農薬とか生産地と云うものに以前とは比較にならぬ程あらゆる注意を海ちゃんは払っている。

朝は、野菜ジュースで、緑の野菜が中心であり、夜の野菜ジュースは人参が中心のジュースである。朝はそのジュースに始まり、自家製のジャムとはちみつ入りのヨーグルトと食パンと珈琲を飲む。

食道を無くしているので、これだけ食べるのもほぼ30分から40分を要する。

顎部分に多大な傷跡が残っており、未だ神経が上手くつながっていないので、少しの痺れと、顎を半分に切断しているのでまだまだ大きな口が開かない事も在り、食事後は顎がとても疲れるのである。

唯、以前よりしっかりと口が開き、綺麗に開閉出来るようには鍼灸治療で治っている。見た目と違い、傷みが頸筋に走る為、非常に厄介であるが、以前より食べ物がおいしくなってきた。

五感とは不思議なもので、しっかり噛んで口の中で味を感じて見た目の視覚に反応を告げているので、口の中が痺れていた以前は、全く美味しいという感じは思い込みに近かったように思う。

お昼は、軟らかめに炊いてくれた五穀米で親子どんぶりをし、野菜サラダを少しと、茄子とまぐろのアラ煮を摘んだ。

休憩の合間は、はちみつ入りのコーヒーである。

超音波による頸と肩のマッサージを自分でおこない、体調を整えるのがほぼ毎日の日課であり、中井道仁先生から教わった呼吸法をほぼ一時間行い体力向上を図る。

右頬に移植した右股はたくさんの肉を失い行き場を無くした空間をゆがめるように縫合されていて運動のたびに未だ想いしこりを残している。

一息ついて夜はきのこと山芋と玉子の入ったうどんをメインに、お好み焼きを少しと、おでんのだいこん、平天、こんにゃく、牛筋を頂く。一度には入りきらないので、一時間半ほどの時間差を入れて二度に分けて食べるのがほとんどである。

今日は、海ちゃんが知人から頂いた阿闍梨餅(あじゃりもち)を食べたのだが、本当に美味しかった、なぜ今まで知らなかったのだろう、感激である。

頸の傷みが少しづつ軽くなっているのが本当に食事を終えた後にわかる、顎の痛みが減ってきていることと、食後も話をきっちり口にできるようになってきているからである。

本当に有難い限りである。毎日第二の人生に向かって蘇っているのだ。

毛細血管がざわついているような命を感じているのか、頬がピクリと動いた。

 

今どきの世間      20150108

 

今どきの世間     20150108

世の中がいつの間にか騒がしくなく映り始めた。昨年末のクリスマスのデコレーションでまず思ったのが、我が家から半径半キロには数十件のキラキラの飾りが出窓や植木や家門、壁面、庭一面などにそれぞれ競うように飾って寒空を温めてくれている様に僕には映っていた。

近所の子供がおばあちゃんと一緒に着飾ったおうちの前で写真を撮ってはしゃいでいた光景がよみがえるのだが、最近はめっきり装飾したお家が減り、景気を反映しての事かとも思うのだが、どうも違うような気がする。

御堂筋をはじめ、至る所でナイトスポットが出来、夜のバスツアーまでが在るほどで、外出推奨を促しすぎて、一般家庭で過ごすことが今どきの若者には必要なくなってきたのではなかろうか?

大阪城ですら装飾する時代になってしまった。そのうち、熊野古道年始めぐり青色街道 なんていって、青色LEDで飾り倒して初詣に行列ができる時代になるやもしれぬ。

お正月は、まず角松が見当たらない。以前は、玄関の脇に でん と鎮座していたし、お店の前にも、当たり前のように競って角松が飾られていた。

又玄関の上にはしめ飾りがどの家にも飾られていた。おまけに、車にまでみかん付のしめ飾りをつける輩までいたのが、今年はとんとお目見えにならないのは何故であろうか。

そういえば、凧揚げをする子供をめっきり見なくなった気がする。コマ回しなど論外、羽子板等ここ数十年音すら聞いた記憶が無い。

お正月の歌 を変えねばならないのではなかろうか、想像できない歌詞を唄わせるのは甚だおかしい。

そんなこんなで、正月が時代と共に変化変貌を遂げていると思えるのである。

僕の場合は正月といえば楽しみはおせち料理、カズノコ、煮しめ、黒豆、酢牡蠣、ナマコ、金時豆、牡蠣の雑煮、これだけはどうしても譲れないアイテムであるのだが、現在の僕の口の中の状況では、何とか無理をすれば食べれるが、非常に後で悲惨な痛みと、苦痛が顎と、のどを襲ってくる。

それでも僕は食す。それはただ単に生来の卑しさゆえに他ならないのだが、食すことで体の細胞が、少しでも息吹を感じ、目を覚ませばと願うのだ。

毎年、田舎の母や義理の姉等、忙しさと億劫さの両方で、少しづつレパートリーが減ってきている。これも、時代と共に変化していき、今は毎年おせちを料理屋にお願いしている。

疲れないで、のんびりと年を越すこともやはり大切な基本の行事でありたいと願い、大掃除は別で考えればいう事は無いのだが、、、。

罪と罰と尊厳と     20141216

 

罪と罰と尊厳と

何処で誰が何かをしている、すぐ目の前で有ったり、遠く離れている場所で有ったり、様々であろう。

過去の歴史の中では、あらゆる差別や、男尊女卑、そして抗争、人殺し、様々な事件が大きな記事になっていなかったのである。

それが今は新聞社や、衛星画面で見える事を国の判断のもとに即座に表面に出てくるし、ニュース性の優先順位でいかようにでも変化しているのだ。

昔は、情報収集手段が、テレビはチャンネルが三つで、新聞以外はほとんどなく、人づてに入る情報も偏見に満ちていたり、一方通行の情報であったのであろう。

当然であるが、携帯電話自体無かったし、電話機も我が幼少の頃は近所に数台しかなく、呼出しをして待つこと5分は当たり前、電報が主流であったと記憶している。 どんな時代錯誤を と感じるであろうが、実は大したことではなかったのである。それが当たり前で育っていれば、そんなに不便でもなく、今より五感で体験し体感する心の高揚が常にあったと思うのだ。

遊び道具は、道端に転がっている石ころであり、山に生える竹藪から竹を取り遊び道具を創る、竹細工を創る為に、竹を切り、鎌を使う事を覚えて、何度も手を切り、母親に怒られ、それでも毎日違うものを創ろうと取り組み、失敗を繰り返して、すずめを創ったり、水鉄砲を創ったり、竹とんぼを創った。

正月は一大イベントの凧揚げを自作して、田んぼの中を走り回ったのである。

運動靴が土がこびり付いて重くなり、走ることがつらくなるまで凧揚げで遊んで、帰るとストーブの上で、お餅を焼いて黄な粉を付けて食べる至福の時間が吐く息の白さと共に確実に漂っていた。

生きる事、死に向かう事、人生は過去も未来も同じ価値を有するものなのに何でここまで情報と云うものに左右される世の中になったのだろうか。

もっと、足元を見つめ直した方が良い事も在りそうだ。

どのみち同じことは起こらず、同じ時間は無いのだから、心行くまで納得のできる人生で有りたい と願うのは古い昭和の考えとなるのか?

その辺りは、生と死 と同じで本来不変の問題であろう。唯、戦争や被災などを被るわが日本、狭いながらも心は広くありたい、動けなくなったお年寄りが静かに人生の幕を閉じるのを、身寄りが無くとか、貧困で食事をとれなく死亡後20日経って発見と云う世の在り方は、狭い日本では無くしたい現象である。隣近所のお年寄りへのおすそ分け政府運動募金なんてないものかね。

重い思ひ     20141106

尊厳死を見つめて 重い思ひ   20141106

 

2014年11月1日、アメリカの女性 ブリタニー・メイナードさんは、ネットを使い、世界中に自分の人生に終止符を打つこと、自らの29歳の命を絶つと宣言したのである。昨年結婚をし、脳腫瘍を患い、神経膠芽腫(しんけいこうがしゅ)という悪性の脳腫瘍の末期であり、余命6か月と診断され、日々弱っていき、尊厳死支援団体コンパッション・アンド・チョイゼズでの応援もあったようである。結婚後の発覚であり、尊厳死を求めて、カリフォルニアからオレゴン州に転居し、家族に見守られて亡くなったのである。これからの世の中に、一石を投じた出来事であることは間違いないであろう。

もし、僕が同じ状況であったなら、如何な物であろうか?

動けないとか、思考がまわらないとか、五感が全く使えないとかの弊害が全てに於いて発生し、自分で出来る事が無くなれば、僕にとっては生きる意味は無くなってしまうことは間違いない。

彼女の場合は、あくまで情報だけでの判断であるが、日々退化していたと聞くが、手術をしないまでも、免疫力を上げる処置は選択肢に無かったのであろうか、いろんな人と知り合い、触れ合う中では僕自身価値観が相当変わりつつあるので、生きて回復に向かっているという奇跡を求めたい心理が働いてしまうのである。

それは当事者でない僕の戯言かもしれない。

ただ、僕の場合の頬を含めれば4か所となる癌の切除後、医者に色々なことを決定づけられていた中で、反回神経麻痺の回復は見込めないということ、唾液は放射線治療で焼けているので、回復はしないとの病院の判断が手術後に決定告知されたのである。

口も大きく開くことはなく、そのままにしておけば、口はどんどん開かなくなりますと宣告を受けたのだ。病院、医師とは常に責任に於いては、常に取れるものと取れないものがある。だから、そこから先は自己判断と自己責任に委ねられる。

僕は、周りの人間に支えられ、今、以前とうって変わり、口の開き方は大きくなり、まだまだ改善中であり、今後も大きくなるであろうという状況であり、唾液については、少しずつ出始めている。これについては、中井道仁先生と僕との取り組みでまだまだ変化をし続けているのである。

人生観は人それぞれ、十人十色であるが、死生観になると、これは神の領域に近いものに感じる。

結果で判断するものではないし、善と悪で判断も出来ない。当事者のみぞ知る部分が大きすぎるのだ。生きるも地獄、死ぬも地獄の領域の中、見守る夫

 

は、もっと次元が違う底なし沼の中から、わずかな光を見つめ微笑んで居続けていたのであろうかと思ったりする。

大きな問題を、世界中に投げかけたのは間違いない。

そして、僕は、今生きることにとことん挑み続けている。熱い先生の応援と、海ちゃんという妻の応援の中、まだ死ぬのは早いと云われているような気がすることと、今の僕に出来る事をしなければならないと思うのである。

やっぱり、ふと気づけば 命 愛 灰汁は浄化すること 人生は終わるまで解らないし、だから生きていくのだ。

ブリタニーさんの家族、夫のこれからの人生を豊かであればと願いつつ、我が人生と、語れる話を創るとしよう。

 

ささやかな冷気     20150709

ひえひえささやかな冷気        20150709

パタン、ゴトン ちょうど郵便が届き、故郷の香りが郵便屋さんの荷物から漂ってきた。どこかで嗅いだ事のある匂いに、私の全神経がめまぐるしく動いたのです。何時もなら渇いたのどを鳴らす時間帯に、何故か涼やかな気配がしています。

受け取ったお父さんは荷物をテーブルに置き、カッターナイフを取り出して梱包を開けると、 ありゃー、可愛い夏ミカンやわ とお母さんに告げ私の目の前に翳して 要るかい と目で訴えているようだ。

なーんだ、かんきつ類の匂いだったのか、酸っぱそうな感じだし、どっちでもいい食べ物だもんね、私には、、。

お父さんはそれを承知で私の頬にくっつけるように一つ置くのです。

当然私は隙を見て鼻でパターをするように転がしてやったの。 それが予定通りだったのかお父さんは嬉しそうにして、ほら涼しいよ と言って荷物の底から蓄冷剤を見つけ出してタオルに包んで私の顎に置いてくれました。

西日が強いこの時間では顎をクールダウンすると頭と胸が気持ちよくなるのです。

ちょうど汗ばむ縁側でガブリとひと齧り、スイカの香りに包まれる心地よさがあるのだが、この時間帯にひんやりとした蓄冷剤の出現と、柑橘の涼しげな香り、これは私が足腰を悪くして過ごし始めてから画期的な瞬間を作り出したのです。

唾の溜まるような夏みかんの匂いには軽やかな風情が漂っていて、暑さが消去されたかのように錯覚してしまう程の効果が在り、ましてや下から伝わる冷気は部分的に思考を緩和してくれ、何時までもこのままで居たい様な心地良さだよ。

極楽、極楽。

出来ればで良いのですが、一眠りして目覚めた頃、私のご飯茶碗にかき氷が乗っていますように、アイスクリームが添えられていますように、そんな夢を見ましょ。