ざれごと - 1     20141029

 

人生の教訓 ざれごと-1      20141029

僕は、生きていくうえで、様々な出来事に遭遇し、色んな考え方を持ち、今生きているのだが、その経験から、いくつかの大切な記憶の引き出しを出してみよう。

両親から引き継いだ引き出しや、拾った引き出し、先生から頂いた引き出し、友達と作り上げた引き出し、夫婦で作り上げた引き出し、子供に教えられた引き出し、気が付けば涙で出来ていた引き出し、ペットから授かった引き出し、書物から教わり経験を通して築いた引き出し等、誰もが気づかないでいたものがたくさんあるような気がするのである。

引出の い

良い 良い事ばかりが続くことは無い。でも悪い事ばかりが続くことも無い。唯思うのは、自分で歩みだす事が大切であると思う。そうすれば、何があっても納得するはずである。出来るなら、嫌なことは忘れるに限る。

愚かなことは反省し、繰り返さない事である。

物事は決して諦めないでほしい。先に何が在り、どんなことが起きるか、どんな出会いがあるか、全てが何かしらの意味を持っているのかもしれない。

人を愛せる事が出来れば、そんな素敵な瞬間は、生きていく最も素晴らしい事です。

一人ぼっちにはならないでください。

生きる力が半減します。もっともさみしい事です。

生きとし生けるもの、全ての命を見てみると、植物も、様々な虫たちも、あらゆる動物も、水中の魚たちも、それぞれの命が今を生きています。

人生は、地球から比べれば一瞬かも知れないけれど、人それぞれの価値は、希少なものです。

 

引出の ろ

ろくでもない これは日本語独自の表現ですかね、のらりくらりとして、何の役にもたたないこと、意味の無い事だと思うのです。

でも、そんなことは無いような気がしますね。僕は、全てに何らかの価値とか、必然とする意味、あるいはメッセージが在るように思っています。

それを探ることが楽しかったり、くやしかったり、つらかったり、悲しかったりするのですが、ついつい考えることが好きなのでしょう。

 

引出の は

歯がゆい なんとこれは人類史上に、人間にもたらされた感情ではないであろうか。

予定通り物事が運ばない とか、こうすればいいのに だとか、ゆっくりのんびりと処理進行する とか、そんな場合に発生する表現であろう。

今にして思えば、世の中十人十色、そんなことでびっくりしなさんな といったところであろう。年を取るとともに、いいじゃないの、別に。人それぞれだよ。

でも、こんな心持の一部が、機能性とか、便利と云った今の製品、もしくは情報処理技術が飛躍的に伸びる根本であったのかもしれない。

他の動物の世界には存在しない感情ではないだろうか。

とこしえまつり      20141019

P1000674 P1000673とこしえ秋祭り    20141019

台風一過後の秋晴れの休日、全国的な快晴を不思議なくらい耳にした本日、大学時代 の友人が、大阪上本町の高津宮で、とこしえ秋祭り を覗いた。

秋田からも知人が来て、一緒にコーヒーを飲み、歓談をたくさんしました。 つねおくんは、以前よりずいぶんすっきりと絞まり、大分スマートになっていました。 以前は、相当太めであったのですが、結局それは、ステロイドの影響らしく、身体を考えて薬を止めたら、痛いのは我慢をして慣れていき、身体は少しづつ元に戻ってきているらしい。やはり、きつい薬は、控えるに越したことはないとの話である。 最もだ。

今回の主催、せいちくんは恐ろしいくらい太ってはいたが、芸術活動自体は 永遠(とこしえ)と云う造形の舟の 船出の神事を行うようである。 小谷宮司と知人らしく、大きなイベントと化して3年目になるけじめの祭りのようである。

高津宮の氏子には菓子業に関連する方が多いらしく,テント店舗でお菓子とグルメの屋台も祭りを盛り上げていた。 ダンス、空手、歌舞伎、音大の演奏とシンセサイザーの奉納演奏とイベントも多彩で、町ぐるみでの大きな催しと化したスケールになっていたように思う。 僕は、体調のアップ具合も兼ねて、3時間ほど友人との話と、アートトーク三人の話を聞き、最後少し疲れがまし、途中退席したのだが、ほぼ聞いたと思う。 自分の体力がどこまで回復しているかを今は見るのが楽しい。

この高津宮は仁徳天皇を王神と仰ぐ神社であるらしく、866年に天皇の勅命により旧都の遺跡地に社殿を築いてお祭りをしたのが創始とされる場所であり、やはり、駅からも、上り,降りがあり、けっこう歩いての行き帰りで、何度も歩いてお宮の凄さを感じた次第である。 坂田藤十郎襲名記念絵馬、桂文枝師匠の碑もあり、もっとも地道に活動し、地域に貢献している落ち着く空間でありました。 さすがに帰りは、ゆっくりと歩いて駅に行き、電車と歩きで帰宅、疲れもありぐったりだが、何時にもましてお腹がすいていることが素敵であります。 知人たちは、高津宮で、食事兼酒盛り兼宿泊の運び、もっと元気になれば、又の機会に話したいものである。 ちなみに、後日つねおくんと話したところ、彼は絵画の先生方と食事に出かけて、お宮には遅くに帰り、酒盛りに参加したらしいのだが、あらかたは、夜中の一時にタクシーで帰宅し、5人がお宮に宿泊、中でもせいちくん他ひとりのふたりは朝になってもお酒を飲みっぱなしで、まだ話をしていたそうである。 馬力うんぬんより、気持ちがあまりに若いのであろう。凄い人たちである。

平常心      20141018

平常心    20141018

ふと思いついてここ数日の出来事を思い起こすと、海ちゃんの友達のご主人が、何時か僕が一緒にゴルフに行きたいという願い叶わず、脳腫瘍でなくなり、先日近所の美容院のご主人が、脳梗塞の恐れが在る為血管の事前治療の為入院し、4~5日で退院予定で入院し、帰らぬ人となってしまった。

あまりに命というもののはかなさ、もろさ、運命というものを考えざるを得ない出来事が立て続けに起きてしまったのだ。

何気ない毎日が、如何にすごい瞬間であるか、明日を見つめて今が在ることの凄さを人事でなく身震いしてしまう程の人生観を想ってしまう。

いつ亡くなってもいい様な生き方が理想であるなら、やはりいつも笑っていたいし、楽しんでいたいが、五感全てを喜んで迎え入れることが必須であり、それこそが嬉しい事なのでしょうね。

相手が在っての会話、人がいての感動、愛する人がいる幸せ、守る人が在る責任という人生の価値、全てを平常心で取組続けていきたいと思う。

世の中が、少しずつ無理がいってきている様に見えるのは、情報の流通があまりに早くなったことと、価値観が十人十色であり、世界中が喧騒を未だ繰り返そうとしている現状を見ていると、いつまでもあくことの無い欲望の結果であるように思える。

色んな考え方、生き方が在るもので、だから面白いのかもしれない。ただ、もう少し前を向いていたいものである。植物は太陽に向かって伸びていくのは、エネルギーを取り入れるすべを生きる事の中で実践している凄さなんだろうな。

人は誰かが云ったが支え合ってヒトという漢字が出来ていると尤もらしい意味を付けたけど、そんな人は幸せで、一人ぼっちの人の方があまりに多い世の中であるのが現状で、夢も希望もありすぎで目移りする希望が多すぎてなかなか良い実が付けられないのかもしれない。

消費と情報と生活の上の必要性の順位があるとすれば基準は何処にあるだろうか、はやりとか今の世代、今の子供の価値感の幅は想像を超えているような気がする。

上を見れば限がないくらいの凄いものがあり、下はさほどの下ではないような気がする。ただ、思考というより理性が育つ前に情報が勝手に入ってくることが大きな違和感の発生に繋がっているのかな。

人生について、今一度しっかり振り出しに戻そう。

せっかく死から蘇った命、愛しつくせる人でありたいと思っている。

まだ存在を促されているのだと思うのだ。神様が何かをするように必要以上に背中に乗っかってくれている、これも僕の人生、平常心で前を見つめてみようか。

病は本当に治るものであることを身を以て示していくこと、病気の種類も添えてね、

誰かがどこかで参考にしてくれるかもしれないんだから。

機能低下を補える生体エネルギーを諦めることなく生み続けたいものだ。

癌の情報      20140905

 

 

癌の情報  20140905

新聞、ラジオ、テレビなどで癌患者の情報が頻繁に入るようになった気がする。

坂本龍一が癌になった。中咽頭癌で僕のなった癌の一つであり、大橋巨泉も確か同じ癌であったと思う。

彼は、原発反対運動をしており、放射線治療をしないと云っているらしい。

立川談志、忌野清志郎、横山ノック迄、全て咽頭癌である。

現在健在なのは、大橋巨泉だけになってしまったから、坂本龍一には長生きしてほしいし、新たなメッセージを発信して欲しいものである。

僕は、食道を切除するときに、やたらと桑田啓佑のことを引き合いに出されたが、病院は大きな勘違いをしていると思うのである。なぜなら、喉頭がん咽頭癌、食道癌の三つを除去したのであって、中でも予定外なのは、頬の癌が新たに見つかり、足の腿の筋肉を移植追加が発生した処である。つまり、手術の一つがサザンの桑田君と同じ手術であったというだけである。

喉部分の移植もあり、反回神経麻痺もあり、比較するにはあまりに手術の限度に差がありすぎでした。

先生の励ましのつもりなのか、外科のみの言い分なのであろう。耳鼻咽喉科では、決して楽観出来るものではなかったのである。

前歯や右の奥歯を抜かれる、鼻の横の骨を削られる、気が付けば痛い処だらけ、顔面と身体、太股が痺れている。

原因は、手術の大きさを推し量る目安ではないだろうか?

とことん戦い、誰かがその影響を良い方に運んでくれれば、それは素晴らしい事であるし、生きている結果につながる。

そんな、素敵な生き字引となりたいものだ。

そこでは、支えてくれた人たちが居なければ決して成し遂げられない結末でしょう。

坂本龍一氏も生き抜いて更なる飛躍をして欲しいものである。

生きる事、生きざまは何処かで誰かに影響を与え、小さな波が、気づけば大きな嵐のようなうねりをもたらし続ける可能性があるものです。

やっぱり、夢とか、可能性とかを追っかけていた方が良いよね。

応援しています、回復して、新たな音楽を聞かせてください。

今の僕の最大の関心は、小豆アイスバーをかぶりつけるように戻りたいことなのだ。

 

がんの後遺症     20141012

 

がんの後遺症 1  20141012

喉頭がん、咽頭癌、食道癌の手術をして、1年と8か月近くになると、後遺症がどれかと考える。

咽頭癌後に、再度頬の癌が見つかり、その時の手術が一番きつかったので、その後遺症のような気もするが、ただ日々進化していく身体については、自信を持って良い物は良いと云える気がする。

癌とは、手術のタイミング、病院設備、先生の取り組み、可能性の追求をあきらめずとことん取組み続けることが全ての基本であると思う。

また、絶対良くなるぞという負ける事の無い過信が本当に現実に体中訴細胞の免疫を目覚めさせ、あらゆる部分が息を吹き返してくるのである。

教授、先生、担当医、看護婦、自分自身、家族、あらゆる環境が、目的意識が消えない限り絶対に回復すると信じている。

入院中、それもわずか初回で、喉の反回神経麻痺が決定的になり、食事が上手くいかず少しずつ食すのだが、もともと卑しい生い立ちと食欲上、少し調子が良ければついいつもより多めに食べると、テーブルから落ちた箸を拾おうとすると何と食したものが逆流するのだ。しかもあっという間に事態は起こる。

大したことではない。中々自分では腹八分目が手術後理解できないが、深呼吸を少しずつ行って、腹式呼吸でゆっくり腸の方に降りるようにしてやると楽になる。

毎回、腹十分目を目指して、少しずつでも食事の摂取量を増やしていくことだ。

必ず、気が付けば胃が出来、大きくなる筈である。

右頬の移植手術で、右股の皮膚を約30㎝に渡り切除し移植しているので、手術後2週間の開口が出来ず、なおかつ顎に於いては半分に切断し、骨部分にはホチキスのような金属接合痕が残り、顎、唇には少なからず切断と縫合の跡が存在する。

この後遺症はすざまじい。

耳鳴りを伴い、右耳が聞こえない。痺れが顎、耳下、舌、頬、唇に発生した。

口の噛み合わせがずれるし、口が開かない。

頸右側の筋肉の切除により、頭痛と肩痛が激しく、頭を支える力が頸に無いのだ。

口を開ける練習を繰り返し取り組むと、痺れがひどくなり、舌がもつれた様になる。

放射線治療による唾液腺の消失は、病院では、治らないとのことである。

不思議なのは、手術前は、慣れるし大したことは無いですよ。沢山同じ患者さんはいますけど、皆さん良くなっています と話していたのである。

サラジェンと云う疑似唾液スプレーは大きな助けにはなるが、物を食す場合には通用しない。

とろみ剤が薬局にあり、これを使い飲み物に入れて飲むと比較的誤飲をせず、喉詰まりの助けになる。

大きく口を開けるのは、少しづつ取り組むもので、無理をすると、頭痛と肩こり、耳鳴りが収まらず、宇宙遊泳をしているような感覚に陥る。

舌の痺れは、はちみつやヨーグルト、バナナ、全てに於いて免疫力アップ以外は考えられないと思う。声は出さなくても舌を前後左右に動かす動作は必要である。

痛いが、無理をしないで放置すると、まず回復は見込めないと思うのだが、如何なものか。

 

友人とのお別れ    20141008

 

友人とのお別れ   20141008

海ちゃんの友達であり、我が息子の同級生の親でもあり、僕の入院時に、海ちゃんが僕の入院病院へ行く途中の電車で友人夫婦に会い、僕が回復したら一緒に電車で外出したいと思っていた 今後の目標にしていた夫婦であったのだが、その後主人が頭痛と眩暈で脳腫瘍と分かり、入院 手術をし、わずか9か月で永眠になったのである。

その奥さんから最初に病状を聞いたときに、良い病院であるとか治療方法などを探しては海ちゃんと心配をしていたのです。

早く元気になって、ご主人といつか一緒にゴルフに行ければいいなと、自分に言い聞かせてリハビリに取り組んでいたのだが、中々思い通りにはならないものだ。

たまたま僕は、入院したままで会えていない母を見に、息子と車で岡山の病院に行くことが決まっていた為、お通夜と葬儀のどちらも行けなかったのであるが、その分海ちゃんがお通夜も葬儀も受け付けを手伝い、老犬を残して頑張ってくれていました。

女性はやはり、いざとなるとすごいパワーを発揮するものだと今回つくづく思いました。主人を亡くした奥さんは、永眠時は心ここに非ずの夢遊病者の呈をしていたと聞きましたが、葬儀はしっかりと喪主としてしっかりと話を述べられたようです。

以前は、時々僕も逢うことが在り、気さくな優しそうなイメージの女性でしたが、あまりに疲れか睡眠不足か、相当に痩せてやつれている様に聞きました。

自分たちの事のように置き換えてしまって落ち込むわけにもいかずご主人の分も今後の人生を楽しんでください。悲しんで、落ち込んで、でも喜んで、笑ってください。

お子さんは27歳にして大変な経験の中、大きく変わったと聞きました。

確か僕と同い年であったように思いますがこれからも海ちゃんを宜しく、ときどき遊んでください、楽しい話をきたいしています。

やはり、毎回葬儀では、蝋人形のように肉体ではないように感じるとおもってしまいます。生きている間に、思い残すことの無い人生にするために、やっぱり復活しよう。

ご主人の冥福を祈ります、いつかご主人の分もゴルフで遊べるようになろう。

その時は、僕の打つ球で、一緒に遊びましょう。右頸の筋肉が無くあまり力の入らない右手になってください。リハビリに新たな目標が出来ましたこと、応援ください。

不慮の事故   20141002

不慮の事故   20141002

新聞、テレビでは、木曽の御嶽山の噴火の報道で他の事件や、出来事が予定の順位での扱いを受けていないものが多々ある。

事態は現在、死者47名、行方不明者の検索は今後行われるという状況である。今まで、紅葉を主体として観光場所であったところが、一夜にして凄惨な場所に変貌を遂げている。山岳救助の全てを集結し、自衛隊がヘリコプターを駆使し、天候不順では登山隊を編成し活動報告が主流となっている。

まだまだ噴煙は続いており、有毒ガスも蔓延していて、明確な結果は未だ数日を要すのであろう。

行方不明で,山下で家族を待ち続ける人の心情は筆舌しがたい、無念としか言いようがない。

現在の世の中は、老後のことを事あるごとに先延ばしにする政治風潮があるが、補償をしっかりとして豊かな現在を過ごす人が増えないとさみしい限りである。

運命と云えばそれまでであるが、残った家族の方たちのより強い生き方、人生を応援したい。亡くなった方の分もしょって泣き、笑い、謳歌して欲しいと切に思う。

自分につい置き換えてしまうのであるが、生かされている自分の責務とは、生き抜く、五感を駆使して可能な限りの感動を味わう、そんな神の声が降り注ぐような気がする。

天候に左右される場所であるだけに、行方不明の家族の方は、相当な体力の消耗と、精神的な苦痛と、得体のしれない不安だらけであろうと思う。

少しでも早く、なるべく痛んでいない状況での発見と救出を願うばかりである。

冥福を祈る。やはり自然は驚異であり誰も予測がつかないことが沢山あるものだ。

 

積雪、天候の状況で、数人の行方不明の人を残して越年となり、翌6月に再捜索となる。まだ残雪1メートルであるが、少しでも残された家族の元へ帰られることを願う。

 

初めてのお店    20140928

 

初めてのお店   20140928

このところ、すこぶる天気が良く、涼しさも加わり秋の装いになってきた。朝と夕方の寒さだけ注意が必要で、至る所で風邪ひきの人に出会うのだ。

上六の王子歯科で検診後、海ちゃんの誕生日のケーキを買いに、初めてのお店、リエルグ に行った。

どれも美味しそうで、初めてなので7種類を購入しました。息子を含め三人で味を見ながら店の評価をしたいのが本音であります。なんせ、シェ アオタニを抑えての一位ですから、期待が一杯になるのはしょうがない処。

小森の姓を取って リエ 修行していた地元の名前が ルグ その掛け合わせが店名らしい。

結構地元では愛されているようである。

誕生日のケーキを大きなもの一つから、小さなものを5~6個に変更をしたのは、色んな味を楽しむ事と、飽きないで食べつくす為に我が家では数年前から変更しているのだ。

夕食は、韓国肉料理 サムゲタン を食べ、ケーキを皆で食す。

さて、ケーキの味であるが、これはもちろん人それぞれ十人十色であり僕の感想であるが

ひと切れが一般より少し小さめで、味は非常に濃厚である。なるほど、人気店という趣であるが、常時食すには少しきつめかな、私は未だ喉が回復途上だからかマロングラッセが一番おいしかった。

ワインを買うつもりであったが、お腹がいっぱいで入らなかったであろう、至福である。

末娘ミルキーもおこぼれの生クリームに満足しているようである。

 

 

 

 言葉の不思議    20140930

何時ものバスと京都駅 P1000595

言葉の不思議    20140930

朝、おはよう の言葉を投げかける。挨拶であり今日も一日元気に過ごすぞ という気持ちが入る場合と、寝覚めが悪く体調が思わしくない状況の おはよう では天と地程の差が生じてしまうものである。

こればかりは、好むと好まざるとに関わらず、自然発生と云うべき事態である。

さて、京都に行く大阪バスはかれこれ150回になると思うがドライバーでこちらの気分もすこぶる変化をきたす。

中でも年配の篠ちゃんというおじいさんは何時でも おはようございます と大きな声で必ず一人ひとりに声を掛けるのだ。 こちらは嫌なことが在っても思わずもういいや、と元気になってしまう程の出来事になるのである。いつの間にか、バスに乗る時に、ついついドライバーをチェックしてしまう癖がついてしまった。

中には、挨拶もなく、無愛想な人もいるし、会釈しかしないのだがほのぼの感が漂っている人もいて、わずか一分足らずの瞬間でこうも気分が左右されるとは、我ながら驚きである。

まだまだ笑顔、挨拶が大きな反応をもたらす不思議に出会いと、挨拶の大切さを感じる。

胸が躍る瞬間であり、ついつい微笑んでしまうのって、良いよね。