目算のない戦い   20190709

目算のない戦い     20190709

日々の食事は命をつなぐ上で一番大切な行事であり、生活の基本です。

ただ、世の中では(食)と云う言葉の響きは ちょっとおしゃれ に聞こえないかい?

食べる(たべる)にある泥臭さが、食(しょく)になると消えてしまっているのです。

日本語のふしぎ、簡単に目を凝らすと見えてくることがあるのです。

らんち、めし、ごはん、と並べると違和感が発生するのです。 そう、らんちはランチ、ごはんはご飯が心地よく感じる私が居る事に気づきます。

これはそれぞれの環境から生まれた感覚であって、年代や人種によっても違うか解りませんが、雑誌やコラムなどの表現や、文字の持つイメージは看板や店名や商品名に繋がっているように思うのですがどうでしょう。

自分の生き様をどうしても残したい、記録したいという事は、自分が可愛いの一語に尽きる。そして、自分に関わった人たち、我が妻、我が子、我が両親、友だちまで、このつながりが支えた数奇な人生、そして誰も関わりたくない病気と、癒着する神経と、滅び行く細胞との闘いを 面白く可笑しく残せないものかと試行錯誤しているわけなのです。

これには、やはり日本語と云う表現母体を活用して、誰もがイメージしやすい人に、場面に置き換える必要がある気がする。

さらりと流れる時間の中で、ふと足を止めたくなる、そんなお話を探してみよう、組んでみよう、決して収まることの無い欠片を集めてみよう。

これからだ。

パンドラの箱     20150121

パンドラの箱  20150121

赤あんど鍼灸科へ久しく行っていない。そろそろ家でのミニお灸が底を尽きそうになり、午前中の王子歯医者での治療を終え、お昼ご飯に 山芋、玉子、きのこ入りのうどんを食べ、唾液を促す薬を飲み、少しだけ口の中の潤いを求める間に、全身に汗をかく副作用が出る。

最近は少しづつ薬とも友達になりつつあり、体調の良しあしで、発汗が変わることに気づき始めたのである。

シャワーで体を洗い、気分も身体も軽くなった処で、快晴の中ゆっくりと歩いて外に出るといつもながら午後の陽射しは強く、日影が見当たらず、太陽を避けるように蛇行を繰り返し、こじんまりとした美容院の横を抜け、近くの駅にたどり着く。

この頃近鉄電車では、奈良の人気にあやかり万葉集に合わせた絵柄を車両ごとに施しており何とも賑やかであるがみんなそれに気づいているのだろうか。

駅近辺の大学生の帰宅と重なり、思った以上に乗客は多く社内の冷房が弱く感じるのだが、あくまで消耗した体力に追い打ちをかける賑やかな喧騒が蒸し暑く感じる大きな原因かもしれない。

電車では、空席は無く つり革に摑まるには頼りない老体の為、開閉ドア近辺のポールに全身を預けて社内を見やると、やはり携帯電話を触り、メール、ライン、ゲーム、ツイッター等に夢中の人が半数を超える。

なんともはや、異常事態としか言いようがない、友達同士で騒いでいた自分の年代とついつい比較してしまうのだが、どこでどうやって何を相談したり討論したり、喧嘩したり傷ついたりしているのか疑問に思う。

流行、文化、社会性を考えてみても何かが欠けていないだろうか、そう、笑顔である。笑い声が聞こえてこない、会話もない、静かな異質の空間と化した車両だ。

コミニュケーションが携帯に侵食されているのか、友だち同士ではなく他人同士という事か、あくまで帰宅途中が一なるものといった塩梅なのだ。

会話をしませんか、ほんの少しの間でも、お名前は、休みは何処に、映画は、一度海に魚を釣りに行ってみませんか?

家のおやじが大好きでね、釣った魚を捌くのが上手いんですよ。

晩飯は僕の家で皆でたべましょう、やっぱりお酒は薄目のハイボールでしょう。濃いと魚の味がしないんですよ。

楽しみにしてますよ なんて話が聞ければ、僕も車内広告を何度も読み返さなくて、窓辺を眺めながら、聞き耳を立て、にっこり微笑んでいるはずです。

人生の様      20141226

 

人生の様

ある時、ふと生と死を想い、偶然にも今年亡くなった人たちの事が気になってきた。不思議なもので、海ちゃんとの共通の知人の突然死、一つは癌による死亡、これは僕には結構響いた。僕が入退院を繰り返しているときに、亡くなったその夫婦は、僕の入院中に海ちゃんが近鉄電車で僕の所に洗濯物とおやつとおかず(口が開かず、普通の物が食べれない)を持って来てくれる時に、同じ電車で一緒になり、ああ、いつかまた夫婦で電車に仲良く乗りたい と思ったのだと病院でしんみりと聞いたのである。

人間とは、自分の逃れられない状況の中で、もがき苦しみ、それでも前を見ようと踏ん張っているのだが、身近な光景があまりにリアルに五感を刺激して、思いのほか言葉にならない足枷を嵌められたような衝撃に陥る場合があるのだ。

当時は、なぜか希望が電車の連結の隙間を縫って飛んでいきそうな不安と、目の前の光景が遠く彼方にかすんでいくようなエレベーターを降りるような肌寒い浮揚感におののいたのである。

生きる事の選択は様々な道が見え隠れしてきて、時として無くなる道もあれば、先が無い谷底に向かっている様に映る道が突然出現したり、砂埃が舞っているような灼熱の道が足を踏み入れると沼地のように足元が埋まり思うように動けない事も多々あることを感じている。

何が良い選択かは、誰にもわからないし、こうすれば良かった と云うのも何だか後から後ろを振り向いて勝手に創造をした産物でしかないように思ってしまう。

今を生きる ということが、どんなに素敵な事かを、今まで以上に感じていきたいと思う、それも知り合う皆と共に、そんなもんじゃないのか-人生ってやつは、悪くはない、良くもない、でも 楽しんだり、悲しんだり、怒ったりして心が転がるんだろうな、縦になったり横になったり、時にはひくりかえったりして時間との格闘に五感が打ち震えているのだろう。

生きがいを感じる事はそれは素晴らしいし、挫折を感じる事は望みが高いせいもあり、期待が大きいせいもあり、いずれにしても時間は等しく我々には与えられた唯一の平等なものであるから、気が付けば新しい明日になっている可能性は高い。

ただ、一人っきりでは、ふさぎ込むことが在ってもおかしくは無い。できれば愚痴を言える、楽しい事を伝えれる人が身近にいて欲しいとおもう。

相談できる身寄りがいれば、それにこしたことはない。

会話、対話のもたらす力は計り知れないものなのです。

心のドアをノックしましょう、どこかで誰かが話をしたくた待っているはず、動いてみましょう、まずは美味しかった食べ物の話でもしてみましょうか。

 

 

お騒がせの余韻    20141216

 

お騒がせの余韻

時代の流れと共に、世の中が自然と変化してくる。やれ、昔はこうだったとか、以前はああだったのにとか耳にするのは、自分が年を取ったという事なのであろうか。

人の目を必要以上に 誰かに見られていないかしら などと気にするのも、これまた年を取っているからに振り分けられてしまいそうである。

電車に乗ると、自然と空席のある車両を目で追っているのだ。そのくせ、いさ乗り込んでしまう時に、脇から学生に乗り込まれたり、おばさんに先を越されたりして席を取られても、痛み止めの薬を飲み、抗がん剤がやっと終わったばかりのくせに、背筋を伸ばして外の景色を見やるのである。

偶然目の前の席が空けば、颯爽と踵をかえし、ストンと腰を下ろすのであるが、たまに全く身近で誰も席を立たない場合には、目的地まで立ったまま往き、到着駅でゆっくりしっかり背筋を伸ばして、エスカレーターでトイレに直行する。そして、便器に腰を下ろして、静かに小を足し、時々何故かふと大を催したりもしながら、ドリカムの曲を3曲はゆっくり聞くだけの休憩を取る。

そして、何食わぬ顔で颯爽と歩き始める。唯、歩き階段は広い駅構内では使わず、エレベーターを使わせて頂く。

耳鳴りと頭痛でコンビニの椅子で休んだ記憶が在り、あれくらい恥ずかしい経験はしたくないと思っている。

一度海ちゃんから教わった シュークリーム を食べたことが在る。唯、大きな口が未だ開かず、手が汚れたり、クリームが多すぎてこぼしたことが在り、完全に自分の中では難しいおやつ というレッテルに包まれてしまったのである。

残念な限りだ。

信号待ちの時間で、ガードレールが在れば掴みたくなる、階段で手すりが在ればつかまって歩く、上りの場合は極力三歩ごとに手を持ち替えて片手だけが疲れないようにしている。

これを時々周りを見ながら誰にも悟られないように背筋を伸ばしてさりげなく行うのだ。

でも自分ではいかにも紳士然としているつもりであるが、離れてみれば案外尺取虫に近い気もする。

そっとしていても、静かにしていても、我が行動は 振り向けば滑稽なくらい話題を振りまいている事であろう。

いろいろ考えて帰途に就くのだが、ちょっと今一度ご不浄を覗いてからにしておこう。少しでも胸を張り、ゆっくりと歩けるように。

 

おいしい食事    20141115

おいしい食事

癌に侵されてからというもの、食事に於いて、無農薬とか生産地と云うものに以前とは比較にならぬ程あらゆる注意を海ちゃんは払っている。

朝は、野菜ジュースで、緑の野菜が中心であり、夜の野菜ジュースは人参が中心のジュースである。朝はそのジュースに始まり、自家製のジャムとはちみつ入りのヨーグルトと食パンと珈琲を飲む。

食道を無くしているので、これだけ食べるのもほぼ30分から40分を要する。

顎部分に多大な傷跡が残っており、未だ神経が上手くつながっていないので、少しの痺れと、顎を半分に切断しているのでまだまだ大きな口が開かない事も在り、食事後は顎がとても疲れるのである。

唯、以前よりしっかりと口が開き、綺麗に開閉出来るようには鍼灸治療で治っている。見た目と違い、傷みが頸筋に走る為、非常に厄介であるが、以前より食べ物がおいしくなってきた。

五感とは不思議なもので、しっかり噛んで口の中で味を感じて見た目の視覚に反応を告げているので、口の中が痺れていた以前は、全く美味しいという感じは思い込みに近かったように思う。

お昼は、軟らかめに炊いてくれた五穀米で親子どんぶりをし、野菜サラダを少しと、茄子とまぐろのアラ煮を摘んだ。

休憩の合間は、はちみつ入りのコーヒーである。

超音波による頸と肩のマッサージを自分でおこない、体調を整えるのがほぼ毎日の日課であり、中井道仁先生から教わった呼吸法をほぼ一時間行い体力向上を図る。

右頬に移植した右股はたくさんの肉を失い行き場を無くした空間をゆがめるように縫合されていて運動のたびに未だ想いしこりを残している。

一息ついて夜はきのこと山芋と玉子の入ったうどんをメインに、お好み焼きを少しと、おでんのだいこん、平天、こんにゃく、牛筋を頂く。一度には入りきらないので、一時間半ほどの時間差を入れて二度に分けて食べるのがほとんどである。

今日は、海ちゃんが知人から頂いた阿闍梨餅(あじゃりもち)を食べたのだが、本当に美味しかった、なぜ今まで知らなかったのだろう、感激である。

頸の傷みが少しづつ軽くなっているのが本当に食事を終えた後にわかる、顎の痛みが減ってきていることと、食後も話をきっちり口にできるようになってきているからである。

本当に有難い限りである。毎日第二の人生に向かって蘇っているのだ。

毛細血管がざわついているような命を感じているのか、頬がピクリと動いた。

 

重い思ひ     20141106

尊厳死を見つめて 重い思ひ   20141106

 

2014年11月1日、アメリカの女性 ブリタニー・メイナードさんは、ネットを使い、世界中に自分の人生に終止符を打つこと、自らの29歳の命を絶つと宣言したのである。昨年結婚をし、脳腫瘍を患い、神経膠芽腫(しんけいこうがしゅ)という悪性の脳腫瘍の末期であり、余命6か月と診断され、日々弱っていき、尊厳死支援団体コンパッション・アンド・チョイゼズでの応援もあったようである。結婚後の発覚であり、尊厳死を求めて、カリフォルニアからオレゴン州に転居し、家族に見守られて亡くなったのである。これからの世の中に、一石を投じた出来事であることは間違いないであろう。

もし、僕が同じ状況であったなら、如何な物であろうか?

動けないとか、思考がまわらないとか、五感が全く使えないとかの弊害が全てに於いて発生し、自分で出来る事が無くなれば、僕にとっては生きる意味は無くなってしまうことは間違いない。

彼女の場合は、あくまで情報だけでの判断であるが、日々退化していたと聞くが、手術をしないまでも、免疫力を上げる処置は選択肢に無かったのであろうか、いろんな人と知り合い、触れ合う中では僕自身価値観が相当変わりつつあるので、生きて回復に向かっているという奇跡を求めたい心理が働いてしまうのである。

それは当事者でない僕の戯言かもしれない。

ただ、僕の場合の頬を含めれば4か所となる癌の切除後、医者に色々なことを決定づけられていた中で、反回神経麻痺の回復は見込めないということ、唾液は放射線治療で焼けているので、回復はしないとの病院の判断が手術後に決定告知されたのである。

口も大きく開くことはなく、そのままにしておけば、口はどんどん開かなくなりますと宣告を受けたのだ。病院、医師とは常に責任に於いては、常に取れるものと取れないものがある。だから、そこから先は自己判断と自己責任に委ねられる。

僕は、周りの人間に支えられ、今、以前とうって変わり、口の開き方は大きくなり、まだまだ改善中であり、今後も大きくなるであろうという状況であり、唾液については、少しずつ出始めている。これについては、中井道仁先生と僕との取り組みでまだまだ変化をし続けているのである。

人生観は人それぞれ、十人十色であるが、死生観になると、これは神の領域に近いものに感じる。

結果で判断するものではないし、善と悪で判断も出来ない。当事者のみぞ知る部分が大きすぎるのだ。生きるも地獄、死ぬも地獄の領域の中、見守る夫

 

は、もっと次元が違う底なし沼の中から、わずかな光を見つめ微笑んで居続けていたのであろうかと思ったりする。

大きな問題を、世界中に投げかけたのは間違いない。

そして、僕は、今生きることにとことん挑み続けている。熱い先生の応援と、海ちゃんという妻の応援の中、まだ死ぬのは早いと云われているような気がすることと、今の僕に出来る事をしなければならないと思うのである。

やっぱり、ふと気づけば 命 愛 灰汁は浄化すること 人生は終わるまで解らないし、だから生きていくのだ。

ブリタニーさんの家族、夫のこれからの人生を豊かであればと願いつつ、我が人生と、語れる話を創るとしよう。

 

平常心      20141018

平常心    20141018

ふと思いついてここ数日の出来事を思い起こすと、海ちゃんの友達のご主人が、何時か僕が一緒にゴルフに行きたいという願い叶わず、脳腫瘍でなくなり、先日近所の美容院のご主人が、脳梗塞の恐れが在る為血管の事前治療の為入院し、4~5日で退院予定で入院し、帰らぬ人となってしまった。

あまりに命というもののはかなさ、もろさ、運命というものを考えざるを得ない出来事が立て続けに起きてしまったのだ。

何気ない毎日が、如何にすごい瞬間であるか、明日を見つめて今が在ることの凄さを人事でなく身震いしてしまう程の人生観を想ってしまう。

いつ亡くなってもいい様な生き方が理想であるなら、やはりいつも笑っていたいし、楽しんでいたいが、五感全てを喜んで迎え入れることが必須であり、それこそが嬉しい事なのでしょうね。

相手が在っての会話、人がいての感動、愛する人がいる幸せ、守る人が在る責任という人生の価値、全てを平常心で取組続けていきたいと思う。

世の中が、少しずつ無理がいってきている様に見えるのは、情報の流通があまりに早くなったことと、価値観が十人十色であり、世界中が喧騒を未だ繰り返そうとしている現状を見ていると、いつまでもあくことの無い欲望の結果であるように思える。

色んな考え方、生き方が在るもので、だから面白いのかもしれない。ただ、もう少し前を向いていたいものである。植物は太陽に向かって伸びていくのは、エネルギーを取り入れるすべを生きる事の中で実践している凄さなんだろうな。

人は誰かが云ったが支え合ってヒトという漢字が出来ていると尤もらしい意味を付けたけど、そんな人は幸せで、一人ぼっちの人の方があまりに多い世の中であるのが現状で、夢も希望もありすぎで目移りする希望が多すぎてなかなか良い実が付けられないのかもしれない。

消費と情報と生活の上の必要性の順位があるとすれば基準は何処にあるだろうか、はやりとか今の世代、今の子供の価値感の幅は想像を超えているような気がする。

上を見れば限がないくらいの凄いものがあり、下はさほどの下ではないような気がする。ただ、思考というより理性が育つ前に情報が勝手に入ってくることが大きな違和感の発生に繋がっているのかな。

人生について、今一度しっかり振り出しに戻そう。

せっかく死から蘇った命、愛しつくせる人でありたいと思っている。

まだ存在を促されているのだと思うのだ。神様が何かをするように必要以上に背中に乗っかってくれている、これも僕の人生、平常心で前を見つめてみようか。

病は本当に治るものであることを身を以て示していくこと、病気の種類も添えてね、

誰かがどこかで参考にしてくれるかもしれないんだから。

機能低下を補える生体エネルギーを諦めることなく生み続けたいものだ。

癌の情報      20140905

 

 

癌の情報  20140905

新聞、ラジオ、テレビなどで癌患者の情報が頻繁に入るようになった気がする。

坂本龍一が癌になった。中咽頭癌で僕のなった癌の一つであり、大橋巨泉も確か同じ癌であったと思う。

彼は、原発反対運動をしており、放射線治療をしないと云っているらしい。

立川談志、忌野清志郎、横山ノック迄、全て咽頭癌である。

現在健在なのは、大橋巨泉だけになってしまったから、坂本龍一には長生きしてほしいし、新たなメッセージを発信して欲しいものである。

僕は、食道を切除するときに、やたらと桑田啓佑のことを引き合いに出されたが、病院は大きな勘違いをしていると思うのである。なぜなら、喉頭がん咽頭癌、食道癌の三つを除去したのであって、中でも予定外なのは、頬の癌が新たに見つかり、足の腿の筋肉を移植追加が発生した処である。つまり、手術の一つがサザンの桑田君と同じ手術であったというだけである。

喉部分の移植もあり、反回神経麻痺もあり、比較するにはあまりに手術の限度に差がありすぎでした。

先生の励ましのつもりなのか、外科のみの言い分なのであろう。耳鼻咽喉科では、決して楽観出来るものではなかったのである。

前歯や右の奥歯を抜かれる、鼻の横の骨を削られる、気が付けば痛い処だらけ、顔面と身体、太股が痺れている。

原因は、手術の大きさを推し量る目安ではないだろうか?

とことん戦い、誰かがその影響を良い方に運んでくれれば、それは素晴らしい事であるし、生きている結果につながる。

そんな、素敵な生き字引となりたいものだ。

そこでは、支えてくれた人たちが居なければ決して成し遂げられない結末でしょう。

坂本龍一氏も生き抜いて更なる飛躍をして欲しいものである。

生きる事、生きざまは何処かで誰かに影響を与え、小さな波が、気づけば大きな嵐のようなうねりをもたらし続ける可能性があるものです。

やっぱり、夢とか、可能性とかを追っかけていた方が良いよね。

応援しています、回復して、新たな音楽を聞かせてください。

今の僕の最大の関心は、小豆アイスバーをかぶりつけるように戻りたいことなのだ。

 

がんの後遺症     20141012

 

がんの後遺症 1  20141012

喉頭がん、咽頭癌、食道癌の手術をして、1年と8か月近くになると、後遺症がどれかと考える。

咽頭癌後に、再度頬の癌が見つかり、その時の手術が一番きつかったので、その後遺症のような気もするが、ただ日々進化していく身体については、自信を持って良い物は良いと云える気がする。

癌とは、手術のタイミング、病院設備、先生の取り組み、可能性の追求をあきらめずとことん取組み続けることが全ての基本であると思う。

また、絶対良くなるぞという負ける事の無い過信が本当に現実に体中訴細胞の免疫を目覚めさせ、あらゆる部分が息を吹き返してくるのである。

教授、先生、担当医、看護婦、自分自身、家族、あらゆる環境が、目的意識が消えない限り絶対に回復すると信じている。

入院中、それもわずか初回で、喉の反回神経麻痺が決定的になり、食事が上手くいかず少しずつ食すのだが、もともと卑しい生い立ちと食欲上、少し調子が良ければついいつもより多めに食べると、テーブルから落ちた箸を拾おうとすると何と食したものが逆流するのだ。しかもあっという間に事態は起こる。

大したことではない。中々自分では腹八分目が手術後理解できないが、深呼吸を少しずつ行って、腹式呼吸でゆっくり腸の方に降りるようにしてやると楽になる。

毎回、腹十分目を目指して、少しずつでも食事の摂取量を増やしていくことだ。

必ず、気が付けば胃が出来、大きくなる筈である。

右頬の移植手術で、右股の皮膚を約30㎝に渡り切除し移植しているので、手術後2週間の開口が出来ず、なおかつ顎に於いては半分に切断し、骨部分にはホチキスのような金属接合痕が残り、顎、唇には少なからず切断と縫合の跡が存在する。

この後遺症はすざまじい。

耳鳴りを伴い、右耳が聞こえない。痺れが顎、耳下、舌、頬、唇に発生した。

口の噛み合わせがずれるし、口が開かない。

頸右側の筋肉の切除により、頭痛と肩痛が激しく、頭を支える力が頸に無いのだ。

口を開ける練習を繰り返し取り組むと、痺れがひどくなり、舌がもつれた様になる。

放射線治療による唾液腺の消失は、病院では、治らないとのことである。

不思議なのは、手術前は、慣れるし大したことは無いですよ。沢山同じ患者さんはいますけど、皆さん良くなっています と話していたのである。

サラジェンと云う疑似唾液スプレーは大きな助けにはなるが、物を食す場合には通用しない。

とろみ剤が薬局にあり、これを使い飲み物に入れて飲むと比較的誤飲をせず、喉詰まりの助けになる。

大きく口を開けるのは、少しづつ取り組むもので、無理をすると、頭痛と肩こり、耳鳴りが収まらず、宇宙遊泳をしているような感覚に陥る。

舌の痺れは、はちみつやヨーグルト、バナナ、全てに於いて免疫力アップ以外は考えられないと思う。声は出さなくても舌を前後左右に動かす動作は必要である。

痛いが、無理をしないで放置すると、まず回復は見込めないと思うのだが、如何なものか。

 

病気になって思う事 高校1年 16歳 まじでか? 20140528

生きることが理解できない状況が、16歳を境にわが身に降りかかった。自分でも理解できない病気に突然襲われたのである。

小学校、中学校とあらゆるスポーツを経験し、剣道を基本に、水泳は学校代表の平泳ぎ、陸上は400メートル走に出ていたくらいで、仲の良い友達と、中学卒業記念に岡山駅まで約42キロ近くマラソンも行っていたし、どちらかと云えば健康優良児に近かったと思うやんちゃで、したいことを学校で遣っていたのだが、夏前に突然の事態が自分に伸し掛かってくる。

僕も、家族も予想だにしない出来事であった。

別に記載したいと思う。一度きりでは終わらない運命でした。

人生、万事、予測不能なものである。