10月23日(火曜日)

朝から雨で、薄暗い空が窓からのぞく中、5時半すぎて目が覚めた。それもシャキッとしてでなく朦朧としてだ。

結局先生の回診7時前までごろごろしていたのである。

ご飯のおかずがランクが上がり、食べれるかどうかの瀬戸際である。朝、昼共にあまり食べれなかったのであるが、夜はまずまずであった。簡単な話が、おかずによるところの比重が大きすぎると云うことだ。おかずがまずければ食べれない。

退院する為に少しでも元気にならねばと考える。

醤油だろうが、ソースだろうが塩でも何でもいい。味が良くなるのであれば口にしよう。生きるために、口に食べ物を運ぶのだ。誰のためでもなく、自分のために行うのだ。諦めないで、前を見よう。

10月21日(日曜日)

朝から天気の良さが気になるほどの秋映えであります。病院内にいると、窓から見える感覚でしか季節を感じることができません。まず風は感じれず、時々部屋の窓を開け、外の空気を取り入れるときに、大きな電車の騒音と共に少しだけ秋をまとった風が入り込んできます。長時間開けておくと寒くなってしまうので,風邪は厳禁ですから、ほどほどに、日に2回とか3回風で空気の入れ替えをします。

海ちゃんはは日頃の疲れもあるのでしょう、とても眠そうでした。かえりは一緒に院内を長めに歩き運動がてら、売店にもよって、帰宅しました。

曜日感覚はほとんどなく、メールのあるなしでやすみだろうなというかんじですね。リハビリも兼ねてまた歩こう。常日頃より、自分が折れそうな状況を如何にスムーズに回避し、気力を無くさない事が何よりも大切である。

目的意識や次のステップにどうやって取り組むかを、意識してやらねばならない、決してやりすぎないように。確実に、少しづつ、特に先生たちは自然にとか、ゆっくり等といってくれるが、やはり医者と患者、それだけのやり取りで、手術をして成功する事が病院の最重要事項で術後のリハビリは、そこまで見れないよというのが大病院の実態だろうと、つくづく思うのだ。まず 当たらずとも遠からず に違いないよね。長い点滴が終わってから心置きなくシャワーを浴びました。とても気持ちよく、韓国人看護婦のの奏さん、ありがとう。本当に優しい彼女です。遅れてきて、背中の湿布を3枚貼って頂きました。

日に日に自分で頑張って、直すぞという思いでいっぱいです。負けるか。

治ってやるぞ。

10月20日(土曜日)

朝早くに両津先生が寄られて、食事によるけど、来週末退院できそうだね。と言われたので、まずよほどのことがない限り大丈夫だと思う。

海ちゃんも大喜びであった、久しぶりに売店まで一緒に買い物に行っておかずのり、水を買ってきました。気力と体調は別物で、朝から3回の下痢で相当な体力を使っていると思います。少ししんどい。

テレビでも見るかとしたとき大和田さんがやってきて、退院予定などを話す。何とかして年内には忘年会をしたいものだ。

メロンをたくさん持って来てくれ、有難い限りである。大和田さんもずいぶん心配してくれていて、塩田温泉にでも1週間ほど行ったらどうかとか、のんびり直した方が良いとしきりに言ってくれてうれしい限りである。

ただ大和田さんも54歳の時3か月の入院を余儀なくされ、何とか寿命がのびてというより回復した経緯もあり、男の人生の厄年が54歳ちゃうかとの事である。説得力というよりも、思いつきと、こじつけにも思えるが、何事も過ぎてしまえば、思い出となるであろう。

負けないぞのおまじないを頭の中で反芻する。本日終了。

10月19日(金曜日)

今日から食事が嚥下食から5分粥に変更、ご飯の量も100グラムから200グラムに変更になる。牛乳まで出ました。ご飯完食、牛乳も飲んで9割食べました。

やっと食事後、歯磨きをして、大便をする懐かしいパターンに戻りました。感無量。

東京、福岡から取締役全員を集めさまざまな打ち合わせを行う。

セーブ君へのADR,昨日同様カントリーの開発にニーズ、矢部,川地君、東京支店の方向性は安岡,矢部の両君、全体にからむのがマージ君とそれぞれ大変なリニューアルを完遂して貰っておかねばならない。

天照大御神、天神さま(僕の実家の裏の山頂の神仏、守護神)は僕に投げる運が凄すぎでよく生きてこれたなと思ってしまう。昼までに嫁さんと散歩をして歩き、大便も2度出しすっきりした午後、関根、中尾、岡部、松尾の4人がそれぞれの仕事を持ち寄り打ち合わせとなる。約1時間半ほど話、各々が外出した状況である。

福岡、東京から来てもらっただけの結果の会議なのであろうか。それが問題だ。

夜、久々に疲れて寝汗、頭の痺れが2時間近くあった。疲れていたのかもしれない。

ここから出るには、体力、誤飲防止、機能障害改善の糸口を掴みたいよなあ。

ほんとの感謝の実態だらけです。

10月18日(木曜日)

朝は1時半に一度起き、再度寝直しで5時起き、以後雨上がりでも本日も余韻が有りますよ的な層の厚い灰白色な空に覆われた夜明けであります。部屋の空気が悪く、入れ替えの為窓を開けたのですが、風もなく電車の音が木霊すのみでなかなかスカッとした空気では在りませんでした。

喉の病名は反回神経麻痺だそうです。回復の余地は1か月ぐらい見てよくなると思うと両津先生は言っています。耳鼻咽喉科の依田先生はちょっと厳しいかもわかりません、回復見込みの可能性はほぼ難しいという回答。耳鼻咽喉科の方が全体像と負荷の認知があり確かな答えなのであっても、結局僕の頑張り、あきらめない取組で回復を信じやりきるしかないでしょうね。

1日雨で、家内がミルキーを抱えてロイヤルに爪切りに行ったそうです。ミルキーも早めに歯磨きしてあげないと大変や。

夕食後、矢部、ニーズ,川地君の3人が来てくれたが、カントリーの仕事は、相当遠回りしていますね。理解しようとする気持ちが弱いのが大きな遅れです。

夜はうんちが出ないので、座薬をしました。

なかなか出なくて驚いたがなんとか12時半ごろ出ました。

10月17日(水曜日)

目覚めが、5時台に無理なく自然に目覚める。入院してから規則正しく朝は遅くても6時半には起きる。いや否応なく起こされるといった方が良いか。大体が眠いときは採血で無理やり起こされるケースが多いのである。

きょうは薄曇りの中、ビルの上に飛行機雲のような隙間がありそこからのみ光が差し込んで来るので空全体が淡いブルーに覆われているような意外に神秘的な世界観の中(俗にいえば北野ブルーより淡いのだが)物思いに耽りたい気になり、ノラジョーンズを聞きながらぼんやりとりとめのない、至福の1時間を満喫しているのである。

体調が良くさえなれば、日常から異状な世界でのんびり自分探しでもしているように思えるのかもしれない。いかんせん、僕のようなせっかちで、おとなしくしていない人間では在り得ない望みなのかもしれないが、入院中に人格がまず二回りは変わる筈であろう。

自分で実感し始めている。

今日の担当看護婦は山城さんで若い女性です。ごく普通のよく気が付きそうな感じの子で今まで2回は担当をして貰った筈です。今まで、こんなことすら、記録する余裕がなかったんですね。びっくりですよ。マジ。

昼、夜共に頑張ってご飯を食べたのですが、8割まででした。

高熱後の初めてのシャワーに入り、気分は爽快、リハビリに取り組んだ1日

夜勤は、例の四条君、なんと記憶では3回か4回、話してみると、夜勤は総勢4人で、2組に分かれ、基本2人一組だそうで、忘れたり、遅れたりは、多少はしょうがないのかもしれませんね。

セーブ君といろいろ勘違いで起こってしまう事態があり、まことに申し訳ない。

ゆっくりしたいものです。

10月16日(火曜日)

朝目が覚めたら、パジャマが違っていました。昨夜汗をかき看護婦さんと苦闘しながら服を着替えた記憶が無いのです。ほんとにびっくりものですねえ。朝ご飯は、少量のおかず

(ジャガイモの裏ごしに少しだけ味が付いたもの)とお粥少量と柔らかゼリーでした。

40分掛け完食、当然ですが途中10分近い休憩を挟んでのけっかですが。

しかし、頸が痛くてしょうがない。今日も アイウエエオ

アオ を繰り返したり、頸を回したり、いろんな方向を向いて繰り返ししゃべり続けて改善を勝ち取らねばならない。

さて、昼ご飯、晩御飯、どちらも7割ぐらいは食べれたのである。明日はもっと食べれていそうな気がする。食べて、大きな問題が無くならないと、退院スケジュールは組めないと耳鼻咽喉科で言われたくらいなので、まだ何にも、退院の時期などの話は皆無ですね。

今日取り組んだリハビリは、頸の痛い部分を少しでもなくすために、頸を回しながらの アイウエオ 発声、耳たぶを引っ張りながらの口パクと結構バラエティーに富んできたかな。

10月15日(月曜日)

本日朝は、5時半に3度目の目覚めから起きている。1度目は小便で、2度目は息苦しくて起きてしまった。さて大きな問題が発生したのであるが、朝食(と言ってもゼリー1個)であるが、いくら待っても来ない。通常は8時前に来るのだが、看護婦が後で持って来ますねと言ってから1時間、あまりにもひどく、冷蔵庫に前回の残物があり、勝手に食べました。するとそれから1時間後、看護婦がすいません遅くなってと言って持って来たのである。この際と思い2個目も知らんふりをして食べましたが、今の自分の身体では小さなゼリー2個で腹いっぱい、胸いっぱいの現状に唖然とした次第である。また看護婦も、以前の耳鼻咽喉科と今回の外科の違い、外科の看護婦の中でも十人十色でいい加減な人、よく気が付く人、遅い人、物忘れが激しい人、まことにさまざまである。

インド社とマインド社のことが心配でならない。特にインド社では現状をどうやって打開すべきか大きな壁がある気がする。

マージ君を中心に動かすには絶好だが、各々の心持が最重要である。皆んなでしっかり話し合い、意見交換をし、良い方向の選択をしないといけない。   何も出来ない状況では、心配しかしてあげれない、有り難迷惑なお話である。病院ないのシミと汚れを見るたびに過去の入院が蘇ってくる。なぜ入院したのか、なぜこんな状況になったのか、何のためにこの経験が今の僕に必要なのか、答えのない思考回路がゼンマイが切れたおもちゃのようにからまわりをはじめてしまうのだ。全てを必然として流すには、どこかで誰かに覗いてもらい、何らかの意味を発揮してくれれば良いのだが、おいおい下記お越してみたいと思う。

ふと、今日は病院内で少しずつ看護婦の個性を観察していってみようかなと思い始めている。とにかく大阪日本黒十字病院とは大きな病院で看護婦も多く、ましてや耳鼻咽喉科及び外科の2か所に入院という真に不幸極まる事態に立ち会う羽目になり、ちょっと違う視点で想像力を働かせて楽しまないともったいないことこの上ない気がするのである。

とりあえず3食とも5分粥が決定したので、その苦闘を記すのも面白いような気がするのである。

10月14日(日曜日)

今日は朝から熱も下がり、少し楽になる。とにかく喉の痛みと調子の悪さで改善の見込みが感じれず思考力もないどん底の状況を無限に感じてしまっていた。しかし、10時ごろ、奇跡的にえずきが発生して急に喉の光明が見え始めたのである。喉が収縮の兆しを発しているのです。なんだこれは、今まで感じることもなかった気配に、これは行けるぞ。明日の耳鼻咽喉科の検診が15時である。とにかくそれまで特訓をして何とか声が出るように取り組もう。治らないと言われている反回神経麻痺、食事をまともにできない現状であるから、喉が少しでも動くよう取り組もう。頑張るぞ。さて、今日も海ちゃんとつっちゃんが二人で来てくれた。昨日の熱でびっくりしていたので、それが今は声が少し出ているのでこれには驚いていた。何ともいえず遣り甲斐があるもんですね。昼ごはんもおかゆはしっかり噛めば(口を動かしているだけで、実際は噛めていないのであるが)飲み込めるので大きな問題が無いことが分かった。どちらにしても、誰が見ても大変な状況にある外観なので誰にも見られたくない状況であります、出来れば元気になってから知人に会いたいものだ。

早く来週は食事が本当に問題なく食べれる状況を掴まなければならない。ただ,焦らない事としっかり忍耐づよく努力することが大切である。人生、塞翁が馬とか云うが、本当に何で僕にここまでの試練を乗り越える必要があるのか、しみじみと入院中に考えよう。

次期社長育成、取締役の教育及び責任感の育成、社員間の風通しの壁をなくす等、今やらなければならない問題を皆と解決せねばならない。

体を治すことと同じく、社員のことも最大限考えねば大きな問題が起きそうである。

元気にならなきゃダメだよな。身体も、心も、特に精神力が萎えないように気持ちをしっかりと地につけて立つ、豊かな人間だろ、頑張れ。

10月13日(土曜日)

海ちゃんがつっちゃんと共に来る、少しでも元気に振る舞いたいのであるが、気力が付いていかない、空回りして苦笑いが精一杯で少し悲しいのだ。心の中ではおしゃべりを一杯しているのにしゃべれない苦しさが本当に今の地獄的な瞬間である。続いて矢部君がその後来る、現在の仕事の進行と今後の仕事の手配など、また古―ちゃんが心配していたとの事。幹部全員に危機感を持つこと、責任の持ち方をしっかり持ってもらわねばならない。体力的な問題もあり,全くまともな記録を記述出来なかった。何も出来ない自分に単なる絶望と、回復出来るのだろうかとの不安に潰れそうになるのだ。術後があまりに今回はきつかった。本日初めてシャワーをし、その後高熱が40度を越えて出て、胸の点滴口2か所を止められ、腕に変更。すると不思議、次第に体中の悪寒と震えが次第になくなり39度の熱が36,8度まで下がる。

良かった、あのまま意識がなくなるような気がしていたので、大きく深呼吸をして、つまらない思考をゼロに戻せた。よし、元気になろう。