おいしい野菜の種   20140629

次世代に馳せる思い 当然であるが、我が二人の息子、アール君と、なお君たちも含んでのことになるが、健やか と云う言葉には素晴らしい意味があるのではなかろうか?

読んで字のごとしと云うのであれば、健康であること、すなわち体が丈夫であり、心身が健全であるさま となる。

まず健康から考えると、自然の中で育まれたものを美味しく頂き、生きとし生けるものを大切にする、野に息吹く野菜、果実、川で育つ魚、海藻、蟹、次いで鶏、豚、牛などの家畜類、さて、何処まで行けば健康食と云えるのかが大きな疑問であるが、命を授かり、生きていく限り、命を大切にしたいと願うのである。

野草は、豊穣な土壌から生まれてきた。世界、特に日本では四季があり、各季節ごとに植物の芽、植物の葉、植物の実が出来てきた。生、茹で、焼き、蒸し、炒め、揚げを基本とし、乾燥、麹を加えて美味しい料理に変わっていくのである。

我々人間は、もともと自然と共存し、貝塚が示すように、今後を見据えた捕獲を生業としていたし、お茶で抗酸化物質カテキンを自然に取り始めている。魚も、イワシ、サバ、さんま、鮎、イワナなどEPA(エイコサペンタエン酸)血液のサラサラ効果を発揮する食品を主に、海藻、でんぷん、納豆、大豆,お酢に至るまで和の献立の基本が人体に良い物ずくしなのである。さらに山の恵きのこ、野菜のたまねぎ、にんにく、ワサビ極めつけは、梅干しと味噌に尽きると思う。

幸せな食文化に本来感謝すべきであり、もっと子供たちにも伝えたいものである。

私は幼少の頃より田畑を耕して、野菜、果物造りに関与してきた。我が家(田舎)では、鶏糞をやり、肥すなわちうんちを年に2回やり、農薬はまず使っていなかった。

田んぼに肥やりは大したことは無かった。これが畑になると大変で、一番高い処では三百メートル近い高さにある栗林があり、嫌な記憶は忘れないでいる。

栄養剤が高かったからかもしれないが、大根にしろ、白菜にしろ、大葉、枝豆など全て葉っぱに虫食いの部分が常にあった。トマト、キュウリ、ナス

全てに於いてもっと甘く、もっと素材のふくよかな香りと灰汁が存在していたのである。野菜の表面に、生命の息吹を感じていた。

生きるを思う NO-1  はじめのはじめ 20140625

幼少の頃より本当に丈夫な健康優良児に近かったのである。勉強も良くできた頃、進学校で剣道に明け暮れ、生徒会長にも誘われていた15の夏、突然腎臓が悪いと言われ、中学校時代に風邪を引いているときに無理をした結果の後遺症であると言われ、約8か月の入院をする羽目になる。

その地獄の期間での復活は余りに衝撃的であった。

まず、高校でもしたいことをして騒いでいたものだから、友達がまずびっくり、当の本人はもっとびっくり、6月の終わりに岡山の専門病院で言われ、誕生日を前に入院、夏休み後の退院を目指して入院したのである。

勉強のための参考書、毎日授業をきっちり記載して、毎週持って来てくれる女性の友達もいて頑張っていると、先生より勉強の禁止が出る、精神的にリ今日ラックスが一番とのことだが、普通が僕にとっては良いのであるがだめらしい。 そんなものなのだ。

唯、毎日朝早くから夜遅くまでしたいことをして一杯食べていた自分が、突然の入院で食事は当然腎臓食であまり美味しくなく、毎日が退屈な日々となって行った矢先、何度検査しても良くならず、10月の最終期限、ここで良くなっていなければ留年確定となるとき、仲良くなった看護婦、心配してくれている級友、背中を押されるように悲しくて仕方なかったが、封建主義の塊のような当時の私には、病院の屋上でひっそり泣く級友の女性(当時周りにどう映ったかは解らないが交際はしていない人であった)を目にし、悔しくて歯ぎしりをした。

 

来年から、学年違いか、、、こいつ先輩になんの、、、? へこむね。

 

病気は一向に改善されず、とうとう11月より、大学病院に移籍、再度あらゆる検査をし、入院となるが、大学病院と云うところは、病気の状況によってサンプリング、悪く言えばモルモットになってしまうのである。

 

このころより、毎日が虚構化していき、生きる意欲は自然と消滅していくのです。これは、気力が萎えてくるのです。それも気が付けば、だんだん歩けなくなるのです。歩こうとすると、立ちくらみを超えて、体中の血液が無くなるかのような状況になり、諤諤と立っていられない状況に襲われ、目の前は残像だらけになり、自分の立とうとする位置が解らなくなるのである。

 

 

 

 

静かにじっとして居たい、気が付けばベットで寝ていたい、そのまま意識が無くなりこの世を去るのだろうと自分で悟る状況に浸って行きます。世の中はこうして終わりを告げるのかと、本当に静かに、消えていきそうになる時

 

は、一日があまりに短く、起きている時間がほとんど5時間くらいで後は眠っていました。体重が38キロまで落ち、入院した当時からでは18キロぐらい6か月で落ちてしまっていたのです。

身長は170センチあったので、もう生きているのがやっとの姿でしょうか?

毎日が短く、自然に身を置いて空気のように流れている自分に、世の中は空虚なものであると思い、人生っていろいろであるものだと、死というものは気が付けばそこにあるのだな、海のようであり、空のようであり、野原のようであり、そのうち灰となり流れていくのだろうと思っていた。

病院では、毎日、血液を検査、血圧検査、尿検査、問診、どう考えても参考資料化した日々が余計に僕を蝕んで行ったのである。腐敗した人体とは、艶もなく、血流の暖かさもなく、いつの間にか階段が歩けなくなり、倒れて意識を無くす日々が訪れたのである。

 

やっと16歳、こんな人生もあるのか、短くも楽しかっただろうか?

日々が重くのしかかってくる灰色の死神雲に思えて仕方なく、唯ぼんやりと静かに消えるというのか、、

思いもしない出来事がある日曜日に起き予想だにしない激変が心を占領したのである。寡黙な父と、やせ細った母が二人で病院へ来て、父は長い時間外の景色を見るでもなくずっと立っており、母は僕の手を握りさすりながらずっと泣きっぱなしなのである。病院からは匙を投げられ、ただただ子供が不憫でならなかったのだ。何故か長い間この空間を自分が作っていることに悲しみを通り越して怒りとなり、泣きたくなる自分に腹が立ち、

大丈夫、心配すんなよ、絶対元気になる、泣かんといてくれ。笑うど。これからは絶対笑うど。もう僕の前で絶対泣かんといてくれ。あんたらより先に死なへん。

僕は叫びながら、手を強く握って言い続けた。泣きながら笑った母の顔は今でも覚えている。外を見ていた父が、うん、うん とうなづいていた。

 

それからは、何かに取りつかれたように前しか見ない、身に付けるすべしか考えない、全てが全身全霊を掛けた食事、呼吸、伊吹、歩行に至るまで血流が通い始めるのだ。これは僕自身が、生きていて良かった。両親のおかげだ

と本当に命を拾った瞬間なのである。

 

 

もちろん、高校一年生は二度経験し、同級生が先輩となる精神的に厳しい状況は常に卒業するまで格闘はしなければならなかったのであるが、小さい事と云えるまでは少なからず時間が必要であった。

 

高校生と云う、思春期で様々な経験をしなければならなかったことは、必然であり、後の人生に大きな変革をもたらす。

まず、自分と云う人間を客観的にとらえる事で、一途な考えとか人に耳を貸さないとか、引きこもらないとかを考えないと、当初は、運動は出来ません、体育見学が義務付けられ、授業のみ、要は勉強のみであり、出来る事の制限が発生する。

このまま大人になって何をする、将来何が出来る、一体これから何を目的に生きて往けばいいのかを答えが出ないまま、毎日否応なしに時間の経過をやり過ごしていくのだが、どうにも人生の迷路で右往左往している自分に嫌気がさしてくる。2か月ほど経ったころ、このままではだめだ、一つずつ変えていこう。今は、どん底なのだから、これ以上の下は無い、後は上がっていくだけ、怖いものは何もない、八方ふさがりは当たり前やな、 大したことは無い、上を見よう、空がある、土を掘って這い上がっても知れている。良し、

便所虫と一緒やな、上に、上に行くだけや、俺は一回死んだ人間やないか。それを生き返らせてくれたおやじ、おかんに対して恥ずかしくない、両親がどこで死のうが自慢できる生き方を自分で決めて取り組もう と心に誓って歩き始めた。 中身については、気が向けば掲載しようっと。

今の世の中減らない物は アトピー、高齢者  20140615

我が家では、海ちゃんが偏食の天才ぐらい知り合ったときはひどかったのであるが、僕と暮らし始め、ほとんど食べない物はなくなった気がします。おかげで子供たちもアトピーは少しあった気がしますが何とか何事もなく過ごせています。田舎で遊んだり、川、海、山等遊んだ幼少期も良かったのでしょう。なぜ現在はこんなにアレルギーが増えたのでしょうか?

一般的には、タンパク質などの食物をアレルゲン(異物)としてとらえ、消化が上手くできず、胃腸に異変を起こしたり、呼吸困難になったり、湿疹などの症状を起こします。

また、現在では様々な食品があり、保存期間も長くなり、当然添加物も増え、合成添加物によるアトピー悪化もあるようです。

やはり、なるべく家庭で料理して食べる習慣を小さいころから基本にしたいものです。それが良いというのは、人体、特に日本人は体質も少しずつ変わりつつあるとは思うのですが、もともと農耕民族であり、米、麦、芋など炭水化物が中心で魚、貝類を副食とした食生活であったものが、あまりに早く肉食、ファーストフード、加工食品の台頭にも注目し、研究科学的根拠を見つけて欲しいと思うのだ。

理屈は解らないのだが、僕の子供のころはこんな病気の人を知らないし、見たことが無かったから、多分全くなかったという事はないであろうが、生活上での大きな病気ではなかったのではあるまいか?

僕の見解では、胃腸の強化、小さい時から何でも食べようよ で相当改善出来そうな問題に見えます。

牛乳、乳製品の摂りすぎ、生もの、冷たい食品の摂りすぎ、油性食品の摂りすぎ、アイスクリーム、冷たい飲料の摂りすぎと云った事は、何でもバランスよく好き嫌いをしないで食すことで解消できそうな気がする。

我が家の老犬が、未だに元気に歩き、食事が生きる基本、食欲と食べることの大切さが見て取れる、もう15歳と4か月、人間界では百歳を超えているのだ。

もっと生活習慣を見直してみることも新たな発見があると思う。まず身近なところから、年長者の美味しいにトライなんてのも良いかもしれない。お試しあれ。