罪と罰と尊厳と     20141216

 

罪と罰と尊厳と

何処で誰が何かをしている、すぐ目の前で有ったり、遠く離れている場所で有ったり、様々であろう。

過去の歴史の中では、あらゆる差別や、男尊女卑、そして抗争、人殺し、様々な事件が大きな記事になっていなかったのである。

それが今は新聞社や、衛星画面で見える事を国の判断のもとに即座に表面に出てくるし、ニュース性の優先順位でいかようにでも変化しているのだ。

昔は、情報収集手段が、テレビはチャンネルが三つで、新聞以外はほとんどなく、人づてに入る情報も偏見に満ちていたり、一方通行の情報であったのであろう。

当然であるが、携帯電話自体無かったし、電話機も我が幼少の頃は近所に数台しかなく、呼出しをして待つこと5分は当たり前、電報が主流であったと記憶している。 どんな時代錯誤を と感じるであろうが、実は大したことではなかったのである。それが当たり前で育っていれば、そんなに不便でもなく、今より五感で体験し体感する心の高揚が常にあったと思うのだ。

遊び道具は、道端に転がっている石ころであり、山に生える竹藪から竹を取り遊び道具を創る、竹細工を創る為に、竹を切り、鎌を使う事を覚えて、何度も手を切り、母親に怒られ、それでも毎日違うものを創ろうと取り組み、失敗を繰り返して、すずめを創ったり、水鉄砲を創ったり、竹とんぼを創った。

正月は一大イベントの凧揚げを自作して、田んぼの中を走り回ったのである。

運動靴が土がこびり付いて重くなり、走ることがつらくなるまで凧揚げで遊んで、帰るとストーブの上で、お餅を焼いて黄な粉を付けて食べる至福の時間が吐く息の白さと共に確実に漂っていた。

生きる事、死に向かう事、人生は過去も未来も同じ価値を有するものなのに何でここまで情報と云うものに左右される世の中になったのだろうか。

もっと、足元を見つめ直した方が良い事も在りそうだ。

どのみち同じことは起こらず、同じ時間は無いのだから、心行くまで納得のできる人生で有りたい と願うのは古い昭和の考えとなるのか?

その辺りは、生と死 と同じで本来不変の問題であろう。唯、戦争や被災などを被るわが日本、狭いながらも心は広くありたい、動けなくなったお年寄りが静かに人生の幕を閉じるのを、身寄りが無くとか、貧困で食事をとれなく死亡後20日経って発見と云う世の在り方は、狭い日本では無くしたい現象である。隣近所のお年寄りへのおすそ分け政府運動募金なんてないものかね。

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