お騒がせの余韻    20141216

 

お騒がせの余韻

時代の流れと共に、世の中が自然と変化してくる。やれ、昔はこうだったとか、以前はああだったのにとか耳にするのは、自分が年を取ったという事なのであろうか。

人の目を必要以上に 誰かに見られていないかしら などと気にするのも、これまた年を取っているからに振り分けられてしまいそうである。

電車に乗ると、自然と空席のある車両を目で追っているのだ。そのくせ、いさ乗り込んでしまう時に、脇から学生に乗り込まれたり、おばさんに先を越されたりして席を取られても、痛み止めの薬を飲み、抗がん剤がやっと終わったばかりのくせに、背筋を伸ばして外の景色を見やるのである。

偶然目の前の席が空けば、颯爽と踵をかえし、ストンと腰を下ろすのであるが、たまに全く身近で誰も席を立たない場合には、目的地まで立ったまま往き、到着駅でゆっくりしっかり背筋を伸ばして、エスカレーターでトイレに直行する。そして、便器に腰を下ろして、静かに小を足し、時々何故かふと大を催したりもしながら、ドリカムの曲を3曲はゆっくり聞くだけの休憩を取る。

そして、何食わぬ顔で颯爽と歩き始める。唯、歩き階段は広い駅構内では使わず、エレベーターを使わせて頂く。

耳鳴りと頭痛でコンビニの椅子で休んだ記憶が在り、あれくらい恥ずかしい経験はしたくないと思っている。

一度海ちゃんから教わった シュークリーム を食べたことが在る。唯、大きな口が未だ開かず、手が汚れたり、クリームが多すぎてこぼしたことが在り、完全に自分の中では難しいおやつ というレッテルに包まれてしまったのである。

残念な限りだ。

信号待ちの時間で、ガードレールが在れば掴みたくなる、階段で手すりが在ればつかまって歩く、上りの場合は極力三歩ごとに手を持ち替えて片手だけが疲れないようにしている。

これを時々周りを見ながら誰にも悟られないように背筋を伸ばしてさりげなく行うのだ。

でも自分ではいかにも紳士然としているつもりであるが、離れてみれば案外尺取虫に近い気もする。

そっとしていても、静かにしていても、我が行動は 振り向けば滑稽なくらい話題を振りまいている事であろう。

いろいろ考えて帰途に就くのだが、ちょっと今一度ご不浄を覗いてからにしておこう。少しでも胸を張り、ゆっくりと歩けるように。

 

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