2012年7月25日

当初、入院前は7月25日が退院予定日でした、がしかし、まだ半粥がやっと流し込める様に成ったまでで、顎、肩、頸あらゆる状況、リハビリの進行具合を考えるとまだまだですね。

主治医の織部先生に相談し、8月1日、食道除去手術日程の出る日に退院と決めました。多分入院手術の告知日なので、多少なりと娑婆で、外気に触れることと、愛犬ミルキーの相手もしてあげないと悲しいですね。日黒病院の看護婦さんは非常に親切で、少しでも僕の力になろうと頑張ってくれています。耳鼻咽喉科であり担当医のグループなどにも上手く入れたのかもしれません。人によるのかもしれませんが、本当に看護婦の方々に恵まれています。

毎日、病院の中の一コマが、通過しなければならない必然であり、現在の生活の精いっぱいの一部で、人生を一休みしたい気持ちと、息が詰まる逃避したい気持ちとがダブルで作用する瞬間との格闘が頻繁に僕の心を支配しようと悪戯を仕掛けてくる。本当に懲りない奴らで幾度も挑んでくる。精神的には悪循環に近い底なし沼ですな。楽しく笑う事が今は出来ないのである。それもとても悲しい。顎が痛くて、喉、頸に響いて本気で笑えないから悔しくて仕方がない。どんどんまた新たな棘が僕にしか見えない厄介な棘が増えつつあるような気がします。

海ちゃんが怒りすぎであることを良く云ってくれます。もちろん理解をしています。もう少し物わかりのいいおじさんになってみようかな

今日は天神祭で、病院の窓から見ています。

まず、スケベであること、腹が減り卑しいこと、好奇心旺盛であること、遊びたいという自分にたどり着かねばならない。聖人のような感覚では、つまらないよね。

少しづつ、変わっていくぞ。

ほうねんくん、くじけるなよ、後ろを向くなよ、足元と前を見ようよ。

明日は誰にでも同じ太陽が降り注ぐのだ。

朝はみんな同じ空気を吸うのだ。

特別な物は無いよ、あるのは逃げない自分だよ。

2012年7月24日

朝から、昨日の薬、痛み止めと睡眠薬のおかげもあり、久しぶりに5時間は寝れています。

なぜか朝飯奮闘後、主治医チェックで来週一時退院をする旨伝える。クレメンティーヌを聞いていると、こっそり千田ばあさんがお見えになる。朝9時日黒病院での検査の帰りとのことだがありがたいようでかなわないのが現状である。一般の手術ではないので、現状を人にお見せするのはあまり好まない。何ともお見せできる容姿をはるかに超え、大病を絵にかいたような様は如何ともしがたい。回復をして元気になった顔を見せるのであれば問題はないのだが、多少勘弁してもらえないだろうか?なるべく隣近所にも僕の情報流通は最低限度にし、噂を立てられぬ様情報遮断してあるので、さらりと流してくれる方がありがたいと思います。朝から担当の村田さんが一生懸命しゃべりながら、背中をマッサージして湿布を張ってくれていました。海ちゃんもいつも足をさすってくれたり肩をもんでくれるのですが、誰にして頂いても、弱った体に於いては本当に痛いので困りますわ。夕方マージ君から会社に来ている葉書及び書類を持ってきてもらいました。別れようとするときに、山中会計の会長と岡田さんが来てくれて、今後のこととか、取田 の処分について話しました。世の中、様々なことが起きるものです。特に、企業に於いては、金銭に関わるチェック体制は十分注意を払わねばならないと、つくづく感じている。近頃では、政治家、市役所の人間が相当の不正、死と不明金が発生しており、世の中の不況と、利権に関わる不正と、様々な問題が横行しているのだ。やはり、全てが人事では済ましてはいけないし、何処にでも隙さえあればカビの如く氾濫していくものであります。ここまで、いろんな話をちゃんと話せて、合間では開口訓練と頸部リハビリの頑張りすぎ最後は痺れる舌もほぼ麻痺状態となりヘロヘロでした。とっても疲れ、就寝前に河島英五を歌う気力はありませんでした。英五君は実は年齢が僕と同じなのです、ついつい四国のお遍路をしたこともあり、親近感が湧きます。彼は早くに亡くなっていますが、残念です。とてもいい歌が多かっただけにもっと製作をして欲しかったですな。何にせよ明日は頑張るかな。

2012年7月23日

なんと、生涯生まれてこの方、初の病院での誕生日を迎えました。

海ちゃんからの誕生日のケーキのかわりが、プリンでした。何せ、食べれるものが限られており、あれこれ口を通りません。朝一番の献血を食事前に行い、手術後の検査をしました。主治医から、今週中には退院は可能にはなりますとのこと。問題は、リハビリ及び何かあった時の処置であろうと思いますがどう考えても現状は不安が先ですな。こちら日黒病院の看護婦は非常に僕のことを考えてくれて今後の取り組みについて教授して頂く、痛いのは当たり前、少しずつ今からリハビリをしないと、口が大きく開かないという大問題が1点、頸及び肩がきれいに動かなくなるというのが2点目、とにかく毎日1分間の5回を取り組むことにすること である。必ず、無理をしないで少しづつ取り組む事、毎日決めたリハビリを仕事にすることですな。まず初日を終えて、次の日は時間3倍、取組み回数2倍を新たな目標にしようと思う。注意を受けて、それ以上の良い結果にはなったためしのない僕は、アドバイスの倍が最低ラインであろう。福岡の仕事が8月2日には打ち合わせが必要なようである。ちょっとこまったね。話が上手く出来ない現状で、しっかり相手に話せないと大変なことになりそうで時間もあまりないわいね。

新しい口内清浄器ナサリンの購入を指摘されトライをしましたが、うまくいきません。主治医の言うには、修正喉ちんこの裏側に汚れがたまるとのことで、鼻からナサリンを入れ

口から出す作業だが、半分以上は鼻から出ます。看護婦にも確認したけどそうなるでしょうとの結果、あまり無茶を言われてもね,出来ることと出来にいことがあると思うよ。

またもや、新種の訓練器具、注射器で口を広げる訓練を本日より取り掛かる。はっきりこれは後の痛みのぶり返しがすごい。慣れるしかないのでしょうが。

本日最終に、山口さんと、マージ君が来院する。中国からの報告と、今後のスケジュールについて打ち合わせをする。やはり大阪を含め、様々な苦労を掛けていることに心に引っ掛かる。

取田の件も早く処理するに限ります。何があっても、毅然とした処理にするしかない。

ささやかなバースデープリンを海ちゃんと差し向かいで食べる。

最初で最後にしたいものだ。病院での誕生日おめでとう もしっくりこないし、慣れたくもない時間と空間であることは間違いないのだ。

2012年7月22日

今の状況から抜けるまでが大きなハードルでしょう。今の体の調整が何処まで出来るかが大きな仕事となります、全身の痺れと痛みが良くなること、および口の動きが大きくできること、頸、喉、術後部分が完治することがすべてである。

この簡単な表現の実態が、あまりに巨大で、自分に乗し掛かってきて押しつぶされそうになる。

毎日少しずつ口を開け歌を歌うとか、頸の痛みを和らげる為肩を回すとか、あまりに様々な個所に不具合が在りすぎて、如何ともしがたい状況であるが、頭痛が耳鳴りと共に夏の蝉の如く響くというリバウンドがすごい、きつくてもする以上やりつくすしかないが決してへこたれまいと思う。これからの人生の分岐点ではあまりに自分の思考選択期間が短く単純に言えば提示される手術、対処は知識もなく受け入れて発生する結果やそれに伴って始まる不具合に全身全霊で対峙する以外選択権は存在しないし、自然に任せれば全く持って先が見えないという空恐ろしい結果が確実である、便宜的な医師の対応、質問に対する返答もその場しのぎの感が大きい。あくまで病院と云うところは、癌を手術で除去するだけ、そして少しでも手術結果のデーターが全てであり、世間に対する評価の発信に重きを置いているのが解ってきた。自分の事は自分自身で戦う以外は無く、心してかからねばならない。

本日は雨交じりの早朝から次第に天気も良くなり、温かさも合わせ、眠い日中であります。

睡眠不足の為、海ちゃんが居てくれ安心のこの時間帯は、自然と瞼が閉じそうになってきます。

何から何まで慣れない日中の行動で、海ちゃんも見るからに半分死にかけの姿態に滅入っております。気持ちを切り替えながらしっかりしないと、どこかでかんしゃくとかも起き、やりきれなさとのせめぎ合いのはざまでつぶれてしまいそうでまずいですな。ぼちぼちに濁点を入れるくらい頑張るか。

きりの無い世界に、光明を捜し作り上げるのも、相当な戦いが必要な気がします。計画以前に、とことんやりきる精神力以外は必要ないかもしれません。ただ、何処までもおれない心と負けない、めげない心を持ち続けることが生き抜く手段、すべなのである。

やってやるぞ、負けないぞ。

わが人生

①出来事,事象が偶然か必然か理解に苦しむことには馴れたかい

②いつから人に感謝することを生業としただろう

③負けない自信はどこから生まれただろう

④小さな石ころを見て何かを感じていたよね

⑤流れる雲を見て、時間を忘れて探していたよね、明日の夢を

⑥小川に映る自分の顔が、漣に変わらないようにもがく僕がいた

⑦初めての散歩がたんぽぽと菫に覆われたみつばちとの楽園

⑧一人で母を訪ねた2キロの距離はとてつもなく遠かった

⑨初めて腹を立てたのは何だったろう、兄が僕を置き去りにして遊びに行ったことかな

⑩初めて悲しかったことは、母の涙を見たときだろう

⑪初めて楽しかったことの記憶はない、家族の笑顔があったのだろう

⑫なぜ人を傷つけた記憶は薄れるのだろう

⑬人に傷つけられた記憶は薄れているかい

⑭愛された記憶はまだ覚えているかい

⑮愛することを忘れたことはないよね

⑯時間を何時から気にするようになっただろう

⑰一度しかない人生に悔いはないよね

⑱後ろ指は刺されないでいたいと思う

⑲殺されても死なない人でありたいと思う

⑳死ぬときは笑って死んでいければそれでいい

㉑悩むことは良い、生きている証だよ

㉒人を裏切ったことは背負わねばならない

㉓友達を大切にしよう

㉔決して人を裏切らないでいよう

㉕できるならだれも恨まないで居れればと思う

㉖愛する人だらけの世界はあり得ないか

㉗できるなら自分のことは自分で考えよう、自分の人生だから

㉙荷物は背負わないに限る、ただし振り落してはならない

㉚自分の人生を自分自身で見つめない自分がいる、何をしたいのか

㉛雨は汚れをなくす魔法かな

2012年7月20日

相変わらずの薄暗い院室での目覚め、まどろみと遊ぶこと2時間ほどして、朝から看護婦、主治医の連続訪問、喉のチェック、食事はまだまだ注意が必要とのことでした。了解しました。看護婦に昨日頭を洗って貰ったのですが、どこもかしこも妙に腫れているように感じ、痺れと痛みを伴い変で、気持ちが悪い場所だらけです。お昼ごはんも、5分がゆがやっとで、調子に乗ると、喉がむせて、すぐに高熱が出て、大汗をかきます。

本日午後1時に大変な事態が発生しました。織部新平先生より、除去した細胞に、がん細胞は散っていないとのこと。次回の外科の診断の後だけに(8月1日に入院手術日程を出しますとのこと)今までの肩こり、頭痛、頸痛、睡眠不足、大きく開かない口、すべてのもどかしさと戦ってよかったと心から思いました。海ちゃんにに報告し、感無量です。

紫音さんが書類を持って来院しました。僕の不在時に、山口さんはじめ、本当に苦労を掛けています。ありがとう。インド社取締役も大きく変わりつつあり、彼女たちの第6感にも響いているようです,有難い事だらけですな。本当に感謝感激、回復するのみですね。

2012年7月19日

目覚めてから一日の戦いの長さと進歩の無さと闘い、またもや就寝前に、痛み止め、睡眠薬をナースにして頂きました。毎日顔を合わしていますといつの間にか看護婦の皆さんに親近感がわいてきます。うんち出た?小便は?てなことをすれ違う人ごとに聞かれます。まあそれはあくまで僕自身の受け取り方で、勘違いの内容でなく本来の言葉は、お通じ、小水 といったびょういん言葉であり、朝の挨拶のようになっています。

気怠い身体を起こす入院10日目の朝、顔は半分肥大したままで、4時の起床より大騒ぎ、歯磨き4回,うがいはそれ以上行い、朝の検査までに少しでも良い結果を出すべく必死の取り組みであります。垂れた左目は少しはましになったかな?右あごのふくらみは今一つひきしまらず。

もっと納得のいくまで結果はどうあれ顔を洗うしか方法はなさそうだな。

食事代わりの点滴を初めて1時間、8時40分に主治医依田二郎先生より呼び出しがありました、実は昨日からこの時間に僕は待ちに待っていました。まず、耳から耳及び右耳上下30針ほどの抜糸となる予定であったのです

不都合だらけの状況の場合、ほんの少しの前向きの変化で疲労が一度に消えるように感じるものなのだ。顔面は変形しているが、何故か嬉しい。

また、午後より鼻食道パイプを外していいかの検査に入ることが確定。勝ったね。一日中うがい、歯磨き,うみ出し,痰だしにより取組んだ結果、まずOKだろう.しばし沈黙の中で拳を握ってガッツポーズをこっそり決め、やるぞー と静かに頑張るだけだ。

飲料通過試験検査のレントゲン撮影開始、4回行い全て良好との結果を得る。これで、飲みたいときに飲みたい飲み物が飲める、プリンもフルーツも食える。なんという心地よさであろうか。

さて,お昼ご飯より流動食が出てまいりました。なんと200mmパック 明治メイン

ニューコンセプト流動食 これは残念ながらまずい、海ちゃんに2本進められたがこればっかりは飲めません。

本日夕食は、おかゆ、魚、そぼろ豆腐でありました。平気に食えると思っていましたが、食道、喉、胃とすべてが1週間の有給を与えていたので、思いのほか活動を忘れているようで、おかゆのみ食べれましたが、無理やり食べた魚では、久々の為、むせ返り、気管に入る恐れがあり、食後に熱が出て、えらい目にあいました。病気克服に於いて調子に乗るなかれ。何事も焦らず、一歩ずつ着実に進もう。焦らない、焦らない。

2012年7月18日

朝は4時には起きてしまいます。よく寝れないのと、痛みと息苦しさが頻繁に神経にちょっかいを出してくるので、ついつい無視出来ず、取っ組み合いの格闘をしているのです。また、病院内の規律に合わせた生活、夜9時には消灯等が苦痛でしかないのであろう。とてもではないですが、全く守っていませんが、個室でなかったら大事でしたね。朝顔面の右半分がゆがんでおり出血交じりの涎が流れ、これは進歩がないぞ と大あせり、息もしつらいのであるが、大急ぎで依田先生に検診をしていただく。歯磨きの励行は日中10回はやっておりそこの結果は出ているはず。僕の希望は、まず鼻から食事をしたくないことである。こんなに情けない話はない。朝、昼、夜、各2時間を要し、プラス抗生剤30分、痛み止めをやっていると、このままではいったい進歩はアンのかいなと気が気でない。本日は、展示会の件もあり会社役員が顔を見せてくれた。いいかっこどころではないのだが、現状を見てもらえた。今後につながるかはみんなの反応によるであろうが、意識し合える仲間が増えるのはいいことである。

とにかく明日鼻食事をなくし、あさってからはさゆう と かに汁 にするぞ。山口さんが仕事を持ってきてくれました。頭がすっきりすれば取り掛かりましょう。

鼻パイプ取るぞー。

入院7日目(2012年7月17日)

朝は理屈抜きで4時~5時に目覚めます、とにかく首の痛さであったり、喉が渇いたり、異様な暑さで息苦しくなったり、むさくるしさで不快に目覚めるのが日課のようです。看護婦にもたくさん迷惑をかけています。自由に動けない事で、思いのほか手助けが無いと痰も吐けず悶々としてベッドでこぶしを握ることが多いので本当に気疲れしますね。5日ぶりの洗髪が、うれしくて仕方ありませんでした、寝汗、手術後の格闘の名残りの血痕や涎の跡、全てがさっぱりとして生き返ったような気持ちになり、看護婦がマリアに見える今日この頃であります。進行途上に於いてまだまだ自己管理不足があり 何がどのタイミングで必要なのかを、痛くても確実に処理しなければ決して良化にはなりません。医師、看護師の力がいかに大きいか日ごとに感心する本日、焦らない焦らない、ただ必ず明日があるのだ、くじけるな、めげるな、不安そうに見守る海ちゃんへ、大丈夫です。

入院6,7日目(2012年7月16日)

とうとう曜日の感覚がなくなる。看護婦によって、許せる行為とか、納得のできない行動が介在する。実に不思議だが、顔、声、しぐさ、まさに天はナースに大きな隔たり、差別を与えてしまった。本日は、丁寧にすべてをこなしてくれるマリア瀬戸である。年齢は聞くまでもなく20歳以内、日本黒十字の研修センター通いのまさに淑女でござろう。祭日の為か非常に看護婦、及び医師の数が非常に少ない。日中はおなかの張らない点滴(食事)が約2時間、抗生剤、痛み止めの点滴は追加で30分、これを1日するのだから普通の人間も病気になるよ、ほんまに。

本日の成果は、少しでも歯磨きをしましょうということで、たくさんの若い看護婦の皆さんが一杯協力してくれて本当に有難う、休日や祭日等はなるべく家庭を持っている看護婦は休日にしてあげるような仕組みになっているそうである、疲れている最中に大和田さんが来てくれました、うれしいのですが、疲れており、口を開く気力も薄れ、かっこよくもなく言葉を発するのが必死でした。頑張るぞ と気持ちを奮い立たせるのですが、なかなか身体が思いのほか自由にならず、本日は少しでも進歩したでしょうか?