11月28日(水曜日)

朝からMRIで、炎症部分の大きさの検証に入った。夕刻にはやはり奥が深いとの報告あり。顎は半分に割られるであろう。まあそれは避けられない宿命のようなものだろうね。海ちゃんが豆腐を買ってきてくれた。これが意外にうまく、今日の手術前では最高のご馳走でありました。明日からは、毎日が闘いと辛抱の繰り返しになるのでしょう。これ以上は経験しなくてもいいのであるが、いつでも病気と闘う講師が出来ることは間違いないね。

インド社マージ君とマインド社ニーズ君が来たが、ネイションシティ銀行の決済が遅れていて,8時頃になるんじゃ無いだろうか?結構門限が大阪黒十字は厳しかったりするかもしれないな。その時は後で看護婦にお詫びをしよう。早く寝る体制でゆっくりしたい時間ですが、本当に体力が無くなった自分に驚く。頸の痛み、顎の痛み等が相当尾を引く。若く痛いので気張らねばならない。何でもおいしく食べれた以前の身体に早く戻りたい。焦らず頑張りましょうか。

21時頃に、ニーズ君と、ネイションシティの山田君が訪ねて来ます。これも偶然に近いのですが、今後に於いて、マインド社との関係が相当深くなる前兆とすれば、とても劇的なスタートと言えるでしょう。

再々入院 大阪赤十字病院で復活への道 11月27日

朝9時半、近鉄タクシーに息子、なおくんと病院に向かい、10時より手続きを済ませ病室に入る。

部屋番号は1367号室で、以前より少し狭く感じてしまうのはドアが右ドアに変わったからであろう。

今回の部屋担当看護師は堀本実絵さんであり、担当医 織部新平氏、中田次郎氏、主治    医依田二郎氏となっている。

前回と少し違っているかもしれない。まずは頑張るだけであろう。

織部先生、中田先生、それぞれの話を聞き、よっしゃー、頑張るぞ、なのであるが、最後に依田先生の話を聞き、海ちゃんははしょげまくり、今回は口の中を切り取り食べること自体が出来なくなるので、形成外科とのジョイントで口内に壁を作るのに右股から壁部分を取り

口の中の神経との結合に相当な時間と、技術、体力が要るようである。医師にも、患者にも-という事なのである。

人間、人それぞれに生きざまとかが有るとしたら、多分僕には、周りの人間を元気にして、幸せにする運命があるのかもしれない。ただ僕と云う人間がいつまでたっても人に心配をさせたり、はらはらさせたり、どこまで行っても大人になりきらないやんちゃな部分は付いて回るのかなと思ってしまう事がある。

つまらない冗談が書けるくらい蘇る力が溜まっているんだろう。

そろそろ夜も寒そうな風が吹いてきている。眠気を誘う秋が冬に変わろうとしているのだ。

五感の大切さ、またそれらのない人への優しさ、このところ妙に心が騒ぎ始める。

終電の音でも聞きながら、電車の旅でもしてみるかな、、

10月23日(火曜日)

朝から雨で、薄暗い空が窓からのぞく中、5時半すぎて目が覚めた。それもシャキッとしてでなく朦朧としてだ。

結局先生の回診7時前までごろごろしていたのである。

ご飯のおかずがランクが上がり、食べれるかどうかの瀬戸際である。朝、昼共にあまり食べれなかったのであるが、夜はまずまずであった。簡単な話が、おかずによるところの比重が大きすぎると云うことだ。おかずがまずければ食べれない。

退院する為に少しでも元気にならねばと考える。

醤油だろうが、ソースだろうが塩でも何でもいい。味が良くなるのであれば口にしよう。生きるために、口に食べ物を運ぶのだ。誰のためでもなく、自分のために行うのだ。諦めないで、前を見よう。

10月21日(日曜日)

朝から天気の良さが気になるほどの秋映えであります。病院内にいると、窓から見える感覚でしか季節を感じることができません。まず風は感じれず、時々部屋の窓を開け、外の空気を取り入れるときに、大きな電車の騒音と共に少しだけ秋をまとった風が入り込んできます。長時間開けておくと寒くなってしまうので,風邪は厳禁ですから、ほどほどに、日に2回とか3回風で空気の入れ替えをします。

海ちゃんはは日頃の疲れもあるのでしょう、とても眠そうでした。かえりは一緒に院内を長めに歩き運動がてら、売店にもよって、帰宅しました。

曜日感覚はほとんどなく、メールのあるなしでやすみだろうなというかんじですね。リハビリも兼ねてまた歩こう。常日頃より、自分が折れそうな状況を如何にスムーズに回避し、気力を無くさない事が何よりも大切である。

目的意識や次のステップにどうやって取り組むかを、意識してやらねばならない、決してやりすぎないように。確実に、少しづつ、特に先生たちは自然にとか、ゆっくり等といってくれるが、やはり医者と患者、それだけのやり取りで、手術をして成功する事が病院の最重要事項で術後のリハビリは、そこまで見れないよというのが大病院の実態だろうと、つくづく思うのだ。まず 当たらずとも遠からず に違いないよね。長い点滴が終わってから心置きなくシャワーを浴びました。とても気持ちよく、韓国人看護婦のの奏さん、ありがとう。本当に優しい彼女です。遅れてきて、背中の湿布を3枚貼って頂きました。

日に日に自分で頑張って、直すぞという思いでいっぱいです。負けるか。

治ってやるぞ。

10月20日(土曜日)

朝早くに両津先生が寄られて、食事によるけど、来週末退院できそうだね。と言われたので、まずよほどのことがない限り大丈夫だと思う。

海ちゃんも大喜びであった、久しぶりに売店まで一緒に買い物に行っておかずのり、水を買ってきました。気力と体調は別物で、朝から3回の下痢で相当な体力を使っていると思います。少ししんどい。

テレビでも見るかとしたとき大和田さんがやってきて、退院予定などを話す。何とかして年内には忘年会をしたいものだ。

メロンをたくさん持って来てくれ、有難い限りである。大和田さんもずいぶん心配してくれていて、塩田温泉にでも1週間ほど行ったらどうかとか、のんびり直した方が良いとしきりに言ってくれてうれしい限りである。

ただ大和田さんも54歳の時3か月の入院を余儀なくされ、何とか寿命がのびてというより回復した経緯もあり、男の人生の厄年が54歳ちゃうかとの事である。説得力というよりも、思いつきと、こじつけにも思えるが、何事も過ぎてしまえば、思い出となるであろう。

負けないぞのおまじないを頭の中で反芻する。本日終了。

10月19日(金曜日)

今日から食事が嚥下食から5分粥に変更、ご飯の量も100グラムから200グラムに変更になる。牛乳まで出ました。ご飯完食、牛乳も飲んで9割食べました。

やっと食事後、歯磨きをして、大便をする懐かしいパターンに戻りました。感無量。

東京、福岡から取締役全員を集めさまざまな打ち合わせを行う。

セーブ君へのADR,昨日同様カントリーの開発にニーズ、矢部,川地君、東京支店の方向性は安岡,矢部の両君、全体にからむのがマージ君とそれぞれ大変なリニューアルを完遂して貰っておかねばならない。

天照大御神、天神さま(僕の実家の裏の山頂の神仏、守護神)は僕に投げる運が凄すぎでよく生きてこれたなと思ってしまう。昼までに嫁さんと散歩をして歩き、大便も2度出しすっきりした午後、関根、中尾、岡部、松尾の4人がそれぞれの仕事を持ち寄り打ち合わせとなる。約1時間半ほど話、各々が外出した状況である。

福岡、東京から来てもらっただけの結果の会議なのであろうか。それが問題だ。

夜、久々に疲れて寝汗、頭の痺れが2時間近くあった。疲れていたのかもしれない。

ここから出るには、体力、誤飲防止、機能障害改善の糸口を掴みたいよなあ。

ほんとの感謝の実態だらけです。

10月18日(木曜日)

朝は1時半に一度起き、再度寝直しで5時起き、以後雨上がりでも本日も余韻が有りますよ的な層の厚い灰白色な空に覆われた夜明けであります。部屋の空気が悪く、入れ替えの為窓を開けたのですが、風もなく電車の音が木霊すのみでなかなかスカッとした空気では在りませんでした。

喉の病名は反回神経麻痺だそうです。回復の余地は1か月ぐらい見てよくなると思うと両津先生は言っています。耳鼻咽喉科の依田先生はちょっと厳しいかもわかりません、回復見込みの可能性はほぼ難しいという回答。耳鼻咽喉科の方が全体像と負荷の認知があり確かな答えなのであっても、結局僕の頑張り、あきらめない取組で回復を信じやりきるしかないでしょうね。

1日雨で、家内がミルキーを抱えてロイヤルに爪切りに行ったそうです。ミルキーも早めに歯磨きしてあげないと大変や。

夕食後、矢部、ニーズ,川地君の3人が来てくれたが、カントリーの仕事は、相当遠回りしていますね。理解しようとする気持ちが弱いのが大きな遅れです。

夜はうんちが出ないので、座薬をしました。

なかなか出なくて驚いたがなんとか12時半ごろ出ました。

10月17日(水曜日)

目覚めが、5時台に無理なく自然に目覚める。入院してから規則正しく朝は遅くても6時半には起きる。いや否応なく起こされるといった方が良いか。大体が眠いときは採血で無理やり起こされるケースが多いのである。

きょうは薄曇りの中、ビルの上に飛行機雲のような隙間がありそこからのみ光が差し込んで来るので空全体が淡いブルーに覆われているような意外に神秘的な世界観の中(俗にいえば北野ブルーより淡いのだが)物思いに耽りたい気になり、ノラジョーンズを聞きながらぼんやりとりとめのない、至福の1時間を満喫しているのである。

体調が良くさえなれば、日常から異状な世界でのんびり自分探しでもしているように思えるのかもしれない。いかんせん、僕のようなせっかちで、おとなしくしていない人間では在り得ない望みなのかもしれないが、入院中に人格がまず二回りは変わる筈であろう。

自分で実感し始めている。

今日の担当看護婦は山城さんで若い女性です。ごく普通のよく気が付きそうな感じの子で今まで2回は担当をして貰った筈です。今まで、こんなことすら、記録する余裕がなかったんですね。びっくりですよ。マジ。

昼、夜共に頑張ってご飯を食べたのですが、8割まででした。

高熱後の初めてのシャワーに入り、気分は爽快、リハビリに取り組んだ1日

夜勤は、例の四条君、なんと記憶では3回か4回、話してみると、夜勤は総勢4人で、2組に分かれ、基本2人一組だそうで、忘れたり、遅れたりは、多少はしょうがないのかもしれませんね。

セーブ君といろいろ勘違いで起こってしまう事態があり、まことに申し訳ない。

ゆっくりしたいものです。

10月16日(火曜日)

朝目が覚めたら、パジャマが違っていました。昨夜汗をかき看護婦さんと苦闘しながら服を着替えた記憶が無いのです。ほんとにびっくりものですねえ。朝ご飯は、少量のおかず

(ジャガイモの裏ごしに少しだけ味が付いたもの)とお粥少量と柔らかゼリーでした。

40分掛け完食、当然ですが途中10分近い休憩を挟んでのけっかですが。

しかし、頸が痛くてしょうがない。今日も アイウエエオ

アオ を繰り返したり、頸を回したり、いろんな方向を向いて繰り返ししゃべり続けて改善を勝ち取らねばならない。

さて、昼ご飯、晩御飯、どちらも7割ぐらいは食べれたのである。明日はもっと食べれていそうな気がする。食べて、大きな問題が無くならないと、退院スケジュールは組めないと耳鼻咽喉科で言われたくらいなので、まだ何にも、退院の時期などの話は皆無ですね。

今日取り組んだリハビリは、頸の痛い部分を少しでもなくすために、頸を回しながらの アイウエオ 発声、耳たぶを引っ張りながらの口パクと結構バラエティーに富んできたかな。

10月15日(月曜日)

本日朝は、5時半に3度目の目覚めから起きている。1度目は小便で、2度目は息苦しくて起きてしまった。さて大きな問題が発生したのであるが、朝食(と言ってもゼリー1個)であるが、いくら待っても来ない。通常は8時前に来るのだが、看護婦が後で持って来ますねと言ってから1時間、あまりにもひどく、冷蔵庫に前回の残物があり、勝手に食べました。するとそれから1時間後、看護婦がすいません遅くなってと言って持って来たのである。この際と思い2個目も知らんふりをして食べましたが、今の自分の身体では小さなゼリー2個で腹いっぱい、胸いっぱいの現状に唖然とした次第である。また看護婦も、以前の耳鼻咽喉科と今回の外科の違い、外科の看護婦の中でも十人十色でいい加減な人、よく気が付く人、遅い人、物忘れが激しい人、まことにさまざまである。

インド社とマインド社のことが心配でならない。特にインド社では現状をどうやって打開すべきか大きな壁がある気がする。

マージ君を中心に動かすには絶好だが、各々の心持が最重要である。皆んなでしっかり話し合い、意見交換をし、良い方向の選択をしないといけない。   何も出来ない状況では、心配しかしてあげれない、有り難迷惑なお話である。病院ないのシミと汚れを見るたびに過去の入院が蘇ってくる。なぜ入院したのか、なぜこんな状況になったのか、何のためにこの経験が今の僕に必要なのか、答えのない思考回路がゼンマイが切れたおもちゃのようにからまわりをはじめてしまうのだ。全てを必然として流すには、どこかで誰かに覗いてもらい、何らかの意味を発揮してくれれば良いのだが、おいおい下記お越してみたいと思う。

ふと、今日は病院内で少しずつ看護婦の個性を観察していってみようかなと思い始めている。とにかく大阪日本黒十字病院とは大きな病院で看護婦も多く、ましてや耳鼻咽喉科及び外科の2か所に入院という真に不幸極まる事態に立ち会う羽目になり、ちょっと違う視点で想像力を働かせて楽しまないともったいないことこの上ない気がするのである。

とりあえず3食とも5分粥が決定したので、その苦闘を記すのも面白いような気がするのである。