生きるを思う NO-1

幼少の頃より本当に丈夫な健康優良児に近かったのである。勉強も良くできた頃、進学校で剣道に明け暮れ、生徒会長にも誘われていた15の夏、突然腎臓が悪いと言われ、中学校時代に風邪を引いているときに無理をした結果の後遺症であると言われ、約8か月の入院をする羽目になる。

その地獄の期間での復活は余りに衝撃的であった。

まず、高校でもしたいことをして騒いでいたものだから、友達がまずびっくり、当の本人はもっとびっくり、6月の終わりに岡山の専門病院で言われ、誕生日を前に入院、夏休み後の退院を目指して入院したのである。

勉強のための参考書、毎日授業をきっちり記載して、毎週持って来てくれる女性の友達もいて頑張っていると、先生より勉強の禁止が出る、精神的にリ今日ラックスが一番とのことだが、普通が僕にとっては良いのであるがだめらしい。 そんなものなのだ。

唯、毎日朝早くから夜遅くまでしたいことをして一杯食べていた自分が、突然の入院で食事は当然腎臓食であまり美味しくなく、毎日が退屈な日々となって行った矢先、何度検査しても良くならず、10月の最終期限、ここで良くなっていなければ留年確定となるとき、仲良くなった看護婦、心配してくれている級友、背中を押されるように悲しくて仕方なかったが、封建主義の塊のような当時の私には、病院の屋上でひっそり泣く級友の女性(当時周りにどう映ったかは解らないが交際はしていない人であった)を目にし、悔しくて歯ぎしりをした。

 

来年から、学年違いか、、、こいつ先輩になんの、、、? へこむね。

 

病気は一向に改善されず、とうとう11月より、大学病院に移籍、再度あらゆる検査をし、入院となるが、大学病院と云うところは、病気の状況によってサンプリング、悪く言えばモルモットになってしまうのである。

 

このころより、毎日が虚構化していき、生きる意欲は自然と消滅していくのです。これは、気力が萎えてくるのです。それも気が付けば、だんだん歩けなくなるのです。歩こうとすると、立ちくらみを超えて、体中の血液が無くなるかのような状況になり、諤諤と立っていられない状況に襲われ、目の前は残像だらけになり、自分の立とうとする位置が解らなくなるのである。

 

 

 

 

静かにじっとして居たい、気が付けばベットで寝ていたい、そのまま意識が無くなりこの世を去るのだろうと自分で悟る状況に浸って行きます。世の中はこうして終わりを告げるのかと、本当に静かに、消えていきそうになる時

は、一日があまりに短く、起きている時間がほとんど5時間くらいで後は眠っていました。体重が38キロまで落ち、入院した当時からでは18キロぐらい6か月で落ちてしまっていたのです。

身長は170センチあったので、もう生きているのがやっとの姿でしょうか?

毎日が短く、自然に身を置いて空気のように流れている自分に、世の中は空虚なものであると思い、人生っていろいろであるものだと、死というものは気が付けばそこにあるのだな、海のようであり、空のようであり、野原のようであり、そのうち灰となり流れていくのだろうと思っていた。

病院では、毎日、血液を検査、血圧検査、尿検査、問診、どう考えても参考資料化した日々が余計に僕を蝕んで行ったのである。腐敗した人体とは、艶もなく、血流の暖かさもなく、いつの間にか階段が歩けなくなり、倒れて意識を無くす日々が訪れたのである。

 

やっと16歳、こんな人生もあるのか、短くも楽しかっただろうか?

日々が重くのしかかってくる灰色の死神雲に思えて仕方なく、唯ぼんやりと静かに消えるというのか、、

思いもしない出来事がある日曜日に起き予想だにしない激変が心を占領したのである。寡黙な父と、やせ細った母が二人で病院へ来て、父は長い時間外の景色を見るでもなくずっと立っており、母は僕の手を握りさすりながらずっと泣きっぱなしなのである。病院からは匙を投げられ、ただただ子供が不憫でならなかったのだ。何故か長い間この空間を自分が作っていることに悲しみを通り越して怒りとなり、泣きたくなる自分に腹が立ち、大丈夫、心配すんなよ、絶対元気になる、泣かんといてくれ。笑うど。これからは絶対笑うど。もう僕の前で絶対泣かんといてくれ。あんたらより先に死なへん。

僕は叫びながら、手を強く握って言い続けた。泣きながら笑った母の顔は今でも覚えている。外を見ていた父が、うん、うん とうなずいていた。

 

それからは、何かに取りつかれたように前しか見ない、身に付けるすべしか考えない、全てが全身全霊を掛けた食事、呼吸、伊吹、歩行に至るまで血流が通い始めるのだ。これは僕自身が、生きていて良かった。両親のおかげだ

と本当に命を拾った瞬間なのである。

 

 

もちろん、高校一年生は二度経験し、同級生が先輩となる精神的に厳しい状況は常に卒業するまで格闘はしなければならなかったのであるが、小さい事と云えるまでは少なからず時間が必要であった。

 

高校生と云う、思春期で様々な経験をしなければならなかったことは、必然であり、後の人生に大きな変革をもたらす。

まず、自分と云う人間を客観的にとらえる事で、一途な考えとか人に耳を貸さないとか、引きこもらないとかを考えないと、当初は、運動は出来ません、体育見学が義務付けられ、授業のみ、要は勉強のみであり、出来る事の制限が発生する。

このまま大人になって何をする、将来何が出来る、一体これから何を目的に生きて往けばいいのかを答えが出ないまま、毎日否応なしに時間の経過をやり過ごしていくのだが、どうにも人生の迷路で右往左往している自分に嫌気がさしてくる。2か月ほど経ったころ、このままではだめだ、一つずつ変えていこう。今は、どん底なのだから、これ以上の下は無い、後は上がっていくだけ、怖いものは何もない、八方ふさがりは当たり前やな、 大したことは無い、上を見よう、空がある、土を掘って這い上がっても知れている。良し、

便所虫と一緒やな、上に、上に行くだけや、俺は一回死んだ人間やないか。それを生き返らせてくれたおやじ、おかんに対して恥ずかしくない、両親がどこで死のうが自慢できる生き方を自分で決めて取り組もう と心に誓って歩き始めた。 中身については、気が向けば掲載しようっと。

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