ほうねん 平静を装う (2012年7月13日)

朝は飲み物の制限のみで、ほぼ通常検査と同じである、4時半より目が覚め、大阪上町台地を眺めてみる。20年という月日が大阪城の景観をなくしている。以前は、城壁近辺には大きなビルや、マンションは無かったから、荘厳な居住まいをしていたのだ。大阪環状線からの素晴らしい記憶が蘇る。 しかし悲しいかな、今は病院の窓からマンションの隙間を捜しやっと街に埋もれた大阪城に巡り合えたといったところだ。日本はもっと大陸的な考え、島国的な考え,より日本らしい世界観を作らねばならない。お山の大将が多すぎる、それも口だけだからまずい、地震大国日本であっても、古き良き時代の建造物、文化遺産があっという間に消えていくのかな、京都ぐらいには大切にしたい、無くすことは簡単であり、近代化も問題は無いが、無くしたものを蘇らせることは不可能に近い、便利より大切な物が本来はあるはずだよ、さみしい限りだ。

おっと、どんどん横道にすぐ逸れるいつもの悪い癖でござる、やばいやばい。

こんな暇はなかった、、いつものごとく朝6時頃より検温、血圧測定となる。人間なるようにしかならず、さて,癌と勝負したるか といったところなのであるが、意外にまな板の鯉も短時間であれば気にはならぬが一分、一秒がいかに長く感じられるか、簡単に言えば地獄に近いですね。朝8時には、岡山の実家から二人の兄と兄嫁が来てくれ、雑談から病気のことにならざるを得ず、こちとらは苦痛でしかないのだが、いざ30分後家内が参加すると非常に気分が安らぐのには驚いた。僕は手術を克服することしか頭にはなく、家人たちはこれからのことをあれこれ想像をしながら言い始める。良い事も悪い事もなく自然と僕を和ませてくれる様気をつかってくれているのか、それがいつの間にか、言葉が離せなかったらボードがいるぞ とか大阪城はどこらにあるん とか等が話始められ、いかに僕に気を使わない会話になっている事で助かる。

実際は、海ちゃんなどは心ここに非ずの心境に違いないであろうに。

何がどうなろうと、ほっておいても、これから始まる手術中5時間は針の筵であるのだ。僕はニコリと笑って手術室へと消えた。

 

なんじゃこりゃー、どうした右手、どうした左手、体が動かない、息ができない、口が触れませんよ、ちゃんと手術できました、これが削除した癌です と言われても、まだ僕の意識は半分なく、息苦しい、頬が引きつる、助けてくれ しか頭に浮かばず、家人、兄弟の中で俺は頑張ると心の中で叫びつつ、手術後を見届けてくれた皆に 片手を45度上げるのが精いっぱい。

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