次世代に馳せる思い 当然であるが、我が二人の息子、アール君と、なお君たちも含んでのことになるが、健やか と云う言葉には素晴らしい意味があるのではなかろうか?
読んで字のごとしと云うのであれば、健康であること、すなわち体が丈夫であり、心身が健全であるさま となる。
まず健康から考えると、自然の中で育まれたものを美味しく頂き、生きとし生けるものを大切にする、野に息吹く野菜、果実、川で育つ魚、海藻、蟹、次いで鶏、豚、牛などの家畜類、さて、何処まで行けば健康食と云えるのかが大きな疑問であるが、命を授かり、生きていく限り、命を大切にしたいと願うのである。
野草は、豊穣な土壌から生まれてきた。世界、特に日本では四季があり、各季節ごとに植物の芽、植物の葉、植物の実が出来てきた。生、茹で、焼き、蒸し、炒め、揚げを基本とし、乾燥、麹を加えて美味しい料理に変わっていくのである。
我々人間は、もともと自然と共存し、貝塚が示すように、今後を見据えた捕獲を生業としていたし、お茶で抗酸化物質カテキンを自然に取り始めている。魚も、イワシ、サバ、さんま、鮎、イワナなどEPA(エイコサペンタエン酸)血液のサラサラ効果を発揮する食品を主に、海藻、でんぷん、納豆、大豆,お酢に至るまで和の献立の基本が人体に良い物ずくしなのである。さらに山の恵きのこ、野菜のたまねぎ、にんにく、ワサビ極めつけは、梅干しと味噌に尽きると思う。
幸せな食文化に本来感謝すべきであり、もっと子供たちにも伝えたいものである。
私は幼少の頃より田畑を耕して、野菜、果物造りに関与してきた。我が家(田舎)では、鶏糞をやり、肥すなわちうんちを年に2回やり、農薬はまず使っていなかった。
田んぼに肥やりは大したことは無かった。これが畑になると大変で、一番高い処では三百メートル近い高さにある栗林があり、嫌な記憶は忘れないでいる。
栄養剤が高かったからかもしれないが、大根にしろ、白菜にしろ、大葉、枝豆など全て葉っぱに虫食いの部分が常にあった。トマト、キュウリ、ナス
全てに於いてもっと甘く、もっと素材のふくよかな香りと灰汁が存在していたのである。野菜の表面に、生命の息吹を感じていた。