12月22日(土曜日)

朝から食事がうまく食べられず、結構悪戦苦闘を繰り返す。昼も腹を壊し、下痢になり、食事量が減り始める。そんな頃歯磨きをしていると、年代が違うのであるが、何故か旧知の知人に思えてしまう大和田さんがお見舞いに来てくれた。彼の夫婦と我が夫婦は意外に気が合う。海ちゃんも好きな夫婦なのでしょう。僕も、奥さんともども世話になり、共に中国、タイなど仕事も含め同行して頂き、有難い限りである。余談はさておき、突然でびっくりなのであるが、気を聞かせてはちみつを持参してくれた。とても体によさそうである。ちょうど権田さんが倒れて仕事を手伝ってやらなければならないらしく、今日から大変だと帰って行った。まことにありがたい話であった。夜も下痢を2回し、昨日より血圧が80台に下がり、立ちくらみがひどい。点滴で上げるも100弱までしか行かなかった。明日はどうなるかと気にかかるがしょうがない。3度目のうんちはさすがに、不意に出てパンツを汚し、捨てました。こんなこと何十年ぶりであろう。

あまりに恥ずかしいそんな状況に陥る事態であります。

12月21日(金曜日)

朝はいつものように痛み止めを貰い、少しでも口が動くようにしてみるが、以前より一向に広がらない。依田先生が、顎の膿の除去と消毒をしてくれるが、なかなか治らない。

急遽昼から、抗がん剤を打つ話になり、午後2時スタート、終了時間は夜中の2時半になる。正月を挟む立済前に2回行うとなると、本日やる以外ないのである。でもこれは、事前に分かっていたはずなのだが。食事が次第に不味さが引き立つようになってき出している。これはどこかで気を付けないとまずそうだ。

口に入れるだけでも大変なのに、美味しく思えるものを探さねばならない。如何にも、気を抜けば体重が減る傾向は逃れようもない現実であり、生き抜くための手段を模索しなければやばいぞ。

12月20日(木曜日)

朝から喉の渇きが気になる。便が3日出ていないのも非常に気になる。朝早く放射線治療の呼び出しがあり、10時半には終わって帰室、急いで昨日は入れなかったシャワーを浴びる。顎の傷を依田先生に見て頂き検尿も午後2時に終わり、抗がん剤の治療のスタートを待つばかりである。早ければ明日、遅くても来週月曜日との事であるが、年末を考えれば明日金曜日が良いはずなのにね。ただ昨日より薬が増えて大変である。とろみで溶かして飲む以外ないかもしれない。

部屋担当看護師の堀本実絵さんは若く、以前の気がよく付く門川さんによく似ている一生懸命の子である。案外海ちゃんにも評判がいい。そうこうしているうちに、午後3度の大便が出る。ここまで出るかというぐらい出たので、最後は下痢気味になる。

12月19日(水曜日)

入院手術後、1週間は完全に動けず、頬の移植部分の結合があり、ベットから動けず、常に天井を向いたままでの生活でありました。苦しいとか、しんどいとか、背中が痛いとかではなく、どうやって時間と苦痛との闘いを負けないで過ごすことにのみ全精力を使っておりました。

その後個室に戻り、一つずつ注射器、採尿器、体液排出器、食事注入弁などが外れ、部屋もシャワー月に変わった処です。

少しずつ食事も増え、やっと生きる意欲が出てきたところです。

昨日までは、明日を見つめて、とにかく食べること、意欲を消滅させないことだけに精力を費やしていました。

やっと、会社のこと、社員のこと、家族のことが考えられるようになり始めた処です。

そんなさ中、依田先生より抗がん剤治療の本日からの実施の連絡が来ました。もともと顎からの液だれが無くならないとできないという事だったのですが、ガーゼを外して行いましょうとの結果です。

WEEKLY CDDP(シスプラチン)を週1回×5回の予定で行います。副作用としては、吐き気、腎機能障害、脱毛、口内炎、便秘、骨髄抑制、(赤血球、白血球、血小板の減少)アレルギー反応などの症状が起きる可能性あり。

本日の放射線治療は1時間弱であった。顎の結合部分が完全に塞がっていないので、様子を見ながらの進行になるらしい。

考える力が衰弱しているのか、天井のシミが意味もなく頭に降り注ぎそうな不安に襲われる、理解不能な一瞬があります。案外、手術後は投薬の後遺症がこんな形で出るのかもしれないね。しっかり頬でもつねっておこう。

11月28日(水曜日)

朝からMRIで、炎症部分の大きさの検証に入った。夕刻にはやはり奥が深いとの報告あり。顎は半分に割られるであろう。まあそれは避けられない宿命のようなものだろうね。海ちゃんが豆腐を買ってきてくれた。これが意外にうまく、今日の手術前では最高のご馳走でありました。明日からは、毎日が闘いと辛抱の繰り返しになるのでしょう。これ以上は経験しなくてもいいのであるが、いつでも病気と闘う講師が出来ることは間違いないね。

インド社マージ君とマインド社ニーズ君が来たが、ネイションシティ銀行の決済が遅れていて,8時頃になるんじゃ無いだろうか?結構門限が大阪黒十字は厳しかったりするかもしれないな。その時は後で看護婦にお詫びをしよう。早く寝る体制でゆっくりしたい時間ですが、本当に体力が無くなった自分に驚く。頸の痛み、顎の痛み等が相当尾を引く。若く痛いので気張らねばならない。何でもおいしく食べれた以前の身体に早く戻りたい。焦らず頑張りましょうか。

21時頃に、ニーズ君と、ネイションシティの山田君が訪ねて来ます。これも偶然に近いのですが、今後に於いて、マインド社との関係が相当深くなる前兆とすれば、とても劇的なスタートと言えるでしょう。

再々入院 大阪赤十字病院で復活への道 11月27日

朝9時半、近鉄タクシーに息子、なおくんと病院に向かい、10時より手続きを済ませ病室に入る。

部屋番号は1367号室で、以前より少し狭く感じてしまうのはドアが右ドアに変わったからであろう。

今回の部屋担当看護師は堀本実絵さんであり、担当医 織部新平氏、中田次郎氏、主治    医依田二郎氏となっている。

前回と少し違っているかもしれない。まずは頑張るだけであろう。

織部先生、中田先生、それぞれの話を聞き、よっしゃー、頑張るぞ、なのであるが、最後に依田先生の話を聞き、海ちゃんははしょげまくり、今回は口の中を切り取り食べること自体が出来なくなるので、形成外科とのジョイントで口内に壁を作るのに右股から壁部分を取り

口の中の神経との結合に相当な時間と、技術、体力が要るようである。医師にも、患者にも-という事なのである。

人間、人それぞれに生きざまとかが有るとしたら、多分僕には、周りの人間を元気にして、幸せにする運命があるのかもしれない。ただ僕と云う人間がいつまでたっても人に心配をさせたり、はらはらさせたり、どこまで行っても大人になりきらないやんちゃな部分は付いて回るのかなと思ってしまう事がある。

つまらない冗談が書けるくらい蘇る力が溜まっているんだろう。

そろそろ夜も寒そうな風が吹いてきている。眠気を誘う秋が冬に変わろうとしているのだ。

五感の大切さ、またそれらのない人への優しさ、このところ妙に心が騒ぎ始める。

終電の音でも聞きながら、電車の旅でもしてみるかな、、

10月23日(火曜日)

朝から雨で、薄暗い空が窓からのぞく中、5時半すぎて目が覚めた。それもシャキッとしてでなく朦朧としてだ。

結局先生の回診7時前までごろごろしていたのである。

ご飯のおかずがランクが上がり、食べれるかどうかの瀬戸際である。朝、昼共にあまり食べれなかったのであるが、夜はまずまずであった。簡単な話が、おかずによるところの比重が大きすぎると云うことだ。おかずがまずければ食べれない。

退院する為に少しでも元気にならねばと考える。

醤油だろうが、ソースだろうが塩でも何でもいい。味が良くなるのであれば口にしよう。生きるために、口に食べ物を運ぶのだ。誰のためでもなく、自分のために行うのだ。諦めないで、前を見よう。

10月21日(日曜日)

朝から天気の良さが気になるほどの秋映えであります。病院内にいると、窓から見える感覚でしか季節を感じることができません。まず風は感じれず、時々部屋の窓を開け、外の空気を取り入れるときに、大きな電車の騒音と共に少しだけ秋をまとった風が入り込んできます。長時間開けておくと寒くなってしまうので,風邪は厳禁ですから、ほどほどに、日に2回とか3回風で空気の入れ替えをします。

海ちゃんはは日頃の疲れもあるのでしょう、とても眠そうでした。かえりは一緒に院内を長めに歩き運動がてら、売店にもよって、帰宅しました。

曜日感覚はほとんどなく、メールのあるなしでやすみだろうなというかんじですね。リハビリも兼ねてまた歩こう。常日頃より、自分が折れそうな状況を如何にスムーズに回避し、気力を無くさない事が何よりも大切である。

目的意識や次のステップにどうやって取り組むかを、意識してやらねばならない、決してやりすぎないように。確実に、少しづつ、特に先生たちは自然にとか、ゆっくり等といってくれるが、やはり医者と患者、それだけのやり取りで、手術をして成功する事が病院の最重要事項で術後のリハビリは、そこまで見れないよというのが大病院の実態だろうと、つくづく思うのだ。まず 当たらずとも遠からず に違いないよね。長い点滴が終わってから心置きなくシャワーを浴びました。とても気持ちよく、韓国人看護婦のの奏さん、ありがとう。本当に優しい彼女です。遅れてきて、背中の湿布を3枚貼って頂きました。

日に日に自分で頑張って、直すぞという思いでいっぱいです。負けるか。

治ってやるぞ。

10月20日(土曜日)

朝早くに両津先生が寄られて、食事によるけど、来週末退院できそうだね。と言われたので、まずよほどのことがない限り大丈夫だと思う。

海ちゃんも大喜びであった、久しぶりに売店まで一緒に買い物に行っておかずのり、水を買ってきました。気力と体調は別物で、朝から3回の下痢で相当な体力を使っていると思います。少ししんどい。

テレビでも見るかとしたとき大和田さんがやってきて、退院予定などを話す。何とかして年内には忘年会をしたいものだ。

メロンをたくさん持って来てくれ、有難い限りである。大和田さんもずいぶん心配してくれていて、塩田温泉にでも1週間ほど行ったらどうかとか、のんびり直した方が良いとしきりに言ってくれてうれしい限りである。

ただ大和田さんも54歳の時3か月の入院を余儀なくされ、何とか寿命がのびてというより回復した経緯もあり、男の人生の厄年が54歳ちゃうかとの事である。説得力というよりも、思いつきと、こじつけにも思えるが、何事も過ぎてしまえば、思い出となるであろう。

負けないぞのおまじないを頭の中で反芻する。本日終了。

10月19日(金曜日)

今日から食事が嚥下食から5分粥に変更、ご飯の量も100グラムから200グラムに変更になる。牛乳まで出ました。ご飯完食、牛乳も飲んで9割食べました。

やっと食事後、歯磨きをして、大便をする懐かしいパターンに戻りました。感無量。

東京、福岡から取締役全員を集めさまざまな打ち合わせを行う。

セーブ君へのADR,昨日同様カントリーの開発にニーズ、矢部,川地君、東京支店の方向性は安岡,矢部の両君、全体にからむのがマージ君とそれぞれ大変なリニューアルを完遂して貰っておかねばならない。

天照大御神、天神さま(僕の実家の裏の山頂の神仏、守護神)は僕に投げる運が凄すぎでよく生きてこれたなと思ってしまう。昼までに嫁さんと散歩をして歩き、大便も2度出しすっきりした午後、関根、中尾、岡部、松尾の4人がそれぞれの仕事を持ち寄り打ち合わせとなる。約1時間半ほど話、各々が外出した状況である。

福岡、東京から来てもらっただけの結果の会議なのであろうか。それが問題だ。

夜、久々に疲れて寝汗、頭の痺れが2時間近くあった。疲れていたのかもしれない。

ここから出るには、体力、誤飲防止、機能障害改善の糸口を掴みたいよなあ。

ほんとの感謝の実態だらけです。