入院5日目(2012年7月15日)

本日は日曜日、まったく日にちの感覚がこのころ失せてきます。

口内からの吐血、今日中にこれを止めないと夜寝不足になります。昨日22時に看護婦も助けてくれ,痛み止めと、睡眠薬の両方を注射してくれました。

のどちんこの切除と移植部分がきれいに接合すれば良いのですが、とにかく痛みと出血が止まらず、口を閉じれば喉に血液が溜まり呼吸が出来ず、おかげで口で息をして寝入ってしまったので、朝5時に目覚めると、枕シーツが血だらけでした。お掃除おばさんごめんなさい。週に一度のシーツ替えですが、今日はすぐ替えて貰わないとしょうがないですね。本日は口内炎を防ぐためにも、スポンジ歯磨き、柔らか歯磨き、口すすぎをまずやってみることになりました。少しでも口内の血が無くなれば処理しやすくなります。

海ちゃんが困った顔で見ております。心配という事に加え、不安しか見えませんから当たり前の状況です。看護婦のメッセージ維持120パーセント実行派の彼女ですから、何が今一番取り組まねばならない事かを考え、きらりと私を見つめます。

入院4日目(2012年7月13日)

寝不足で体ががたがたです、何とかして睡眠を取らないと、体力はもとより、治癒力に大きな問題が起きそうである。喉部分の手術跡はまだ完治にはとても至らず、喉治療部分と口内炎部分癌の削除個所から毎分による出血がのどに詰まって寝れないので掃除機で口内から採って頂くのも、まさに2分毎になってしまいます。結果横向きで、自分でティッシュ2,3枚に吐き出すのです(血の塊と唾液)一日でゴミ袋が一杯になります。

息継ぎが苦しく、何でこんなことになったんやろ、もうかなわんと思いながら必死で格闘をベットの上で繰り返すのみである。

知らない人が見れば、滑稽この上ない痴態であろう。まずどうもならんぞ、根も状況は。

素敵な看護婦たちは、気が付いてすぐ対処してくれる有難い神様みたいな人と、気が付かない目の前のごみをかたずけてよと思ってしまうやりきれない人など、やはり出来はまちまちである。現在の医療現場の実態は十人十色でそれは様々、驚きの連続で、気が付けば物語でも出来そうな気がする。

やっぱりどこかしこが痛む。今日は痛み止め、睡眠薬を頂こう。

ほうねん 平静を装う (2012年7月13日)

朝は飲み物の制限のみで、ほぼ通常検査と同じである、4時半より目が覚め、大阪上町台地を眺めてみる。20年という月日が大阪城の景観をなくしている。以前は、城壁近辺には大きなビルや、マンションは無かったから、荘厳な居住まいをしていたのだ。大阪環状線からの素晴らしい記憶が蘇る。 しかし悲しいかな、今は病院の窓からマンションの隙間を捜しやっと街に埋もれた大阪城に巡り合えたといったところだ。日本はもっと大陸的な考え、島国的な考え,より日本らしい世界観を作らねばならない。お山の大将が多すぎる、それも口だけだからまずい、地震大国日本であっても、古き良き時代の建造物、文化遺産があっという間に消えていくのかな、京都ぐらいには大切にしたい、無くすことは簡単であり、近代化も問題は無いが、無くしたものを蘇らせることは不可能に近い、便利より大切な物が本来はあるはずだよ、さみしい限りだ。

おっと、どんどん横道にすぐ逸れるいつもの悪い癖でござる、やばいやばい。

こんな暇はなかった、、いつものごとく朝6時頃より検温、血圧測定となる。人間なるようにしかならず、さて,癌と勝負したるか といったところなのであるが、意外にまな板の鯉も短時間であれば気にはならぬが一分、一秒がいかに長く感じられるか、簡単に言えば地獄に近いですね。朝8時には、岡山の実家から二人の兄と兄嫁が来てくれ、雑談から病気のことにならざるを得ず、こちとらは苦痛でしかないのだが、いざ30分後家内が参加すると非常に気分が安らぐのには驚いた。僕は手術を克服することしか頭にはなく、家人たちはこれからのことをあれこれ想像をしながら言い始める。良い事も悪い事もなく自然と僕を和ませてくれる様気をつかってくれているのか、それがいつの間にか、言葉が離せなかったらボードがいるぞ とか大阪城はどこらにあるん とか等が話始められ、いかに僕に気を使わない会話になっている事で助かる。

実際は、海ちゃんなどは心ここに非ずの心境に違いないであろうに。

何がどうなろうと、ほっておいても、これから始まる手術中5時間は針の筵であるのだ。僕はニコリと笑って手術室へと消えた。

 

なんじゃこりゃー、どうした右手、どうした左手、体が動かない、息ができない、口が触れませんよ、ちゃんと手術できました、これが削除した癌です と言われても、まだ僕の意識は半分なく、息苦しい、頬が引きつる、助けてくれ しか頭に浮かばず、家人、兄弟の中で俺は頑張ると心の中で叫びつつ、手術後を見届けてくれた皆に 片手を45度上げるのが精いっぱい。

入院3日目(2012年7月12日)

今は手術前の夜11時を過ぎる頃、興奮か 怖さか 眠れぬ夜 静かに出来ない自分がいる。

平静に、冷静な状況 底なし沼の様で何もない無の空間に部屋の中がうつろいで来る。何かが変だが、結構夜景の街並みを見て過ごすのも 乙かもしれない。何事かに立ち向かうひと時、自分だけの時間って、なぜか自然と僕は作れた。もちろん誰もいない病院の一室で、夜景の薄明かり以外僕に寄り添う空気の存在すら無いのだから当然か、ひょっとすると誰かが覚悟を決めろと作ってくれているのかもしれない。静かな時間、とりとめのない思考との遊び 好いよね。

病気が悪化して死に至る場合もあるのだろうなあ。人生の終わりと向き合うことが、今後の偽らざる本音なのである。

怖いと云えばそれは怖い。唯、生きようと決めたからには、闘わなければならない。負けない。

弱音は吐かない。頑張るぞ。めげないぞ。

後半日もすれば、意識もなく、手術の最中であろう。これは避けれない人生の僕に与えられた課題である。

解決できるかどうかは、神のみぞ知る。

やらいでか。

入院2日目(2012年7月11日)

昨日の主治医、織部新平氏、依田二郎氏、中田次郎氏の診断、及び妻を交えた報告、手術選択は結構露骨に病気治療に関しての突っ込んだ意見、リハビリの現状克服についての長期的な取り組み覚悟を伺う。

全身麻酔の説明、両頚部郭清術,頬粘膜、中咽頭癌切除術の具体的な説明は、1時間に及ぶ長いものであった。医者とは難儀な仕事である。患者が不安になるとか、希望をなくすとか、どうしていいかわからない状況であっても、もしもの可能性を最悪の事態から入り、この処置がまず一番進めれることの希望的観測に入るのである。

最後は選択権は自分にしかないので、気の小さい心配性の我妻は意識朦朧、状況判断不能状態に陥っていたと思う。僕があまりに生きることへの執着が強く、守るという行為、オスの本能にどっぷり浸かった生き方しかできない結果、海ちゃんにも我を押し付けている部分も多分にある。。

この事態で怖くないと言えば嘘になる。幾らでも押しつぶされそうな重圧であったり、恐怖は当たり前に存在するのだ。ただ勝つというかっこいい言葉を使おうとは思わないが、病気も仲間にするしかないかと考える。自分が必要な人間であれば、まず生かされるはずである。

世の中うまくできているものだ。そう信じて取り組むしかない。

 

 

追加の記載

2日目にして、新たな癌の手術の告知を説明される。食道癌が4か所に点在して居るわけだ。相談もなく勝手に出来たものであるが、どうもリンパと云う奴は立ち処にいたずらをしでかすようである。食道は取り除くことになり、胃の半分が食道に代わるようである。生まれてこの方、私に大きな期待をする神様が見えて仕方ない。何でここまでの事態を味わう事になるのですかねえ。選択ミスをひょっとすると神様はしでかしてませんか、今なら笑ってごまかせるけどね。冷静に今は自分が本当に何かに守られているような気がする。私の役目が多すぎはしませんか、どう見ても私をもっとタフにしたいのであろう。いやはや、平穏は与えてくれませんね。如何生き返ってどんな影響を人に与えていけるのか、僕には荷が重すぎませんか?おっさんだよ、それも55になる。くじけませんが、負けませんが、人生って面白いのかもしれない。先が解らない分だけ試行錯誤は増えるけどさ。

病院入院1日目(2012年7月10日)

とても退屈なくせに、なぜか元気が出ないのは、病気は気からと云うことであろうか?

一人で日黒病院に行き、受付で入院手続きをする。

何故か、こんな時は、誰も知人、家族もいない方がまだましである。事務手続きは暦をなぞるようにすんなりと進行していった。

個室にして頂いたのであるが、それほど広くはなく、病院ではこんなものかと云った処であり、ベッドの上に担当の名前が記されていた。しばらくすると看護婦が来られる。

看護婦をからかう気力があればいいのだが、逆にからかわれそうな雰囲気の女性、虫でたとえれば間違いなくカマキリに属すると思われる。名前が良く分からないが,むらたふみこかふきこかふおこかであろうと思われる。村田扶生子 むらたふみこさんでありました。

初日、海ちゃんが食事のおかずをたくさん買ってきてくれたのですが、多すぎて食べきれませんでした。帰り際で、茫然自失の彼女を見るのは苦痛でした。

暗闇に投げられた石の如く、一体これから何が起きるのか、何処に転がっていくのか、何も見えない状況が、静かに幕を開けたのである。

あがいても始まらない。まずは、己を信じ、鼓舞するしかない。

平成24年4月16日 水曜日

春らしくない暖かさで、22度もある初夏を思わせる気候はゴールデンウイークを前に人々を陽気にさせるのでしょうか?

相変わらず大阪バスは京都行はほぼ満席、しょうざんへの道のりは 散りゆく桜を見納めにと最後のしだれ桜の余韻を求めて、原谷の里は人だらけであります。

今年のマックス価格は昨年1500円と違い入場料は2000円になったとタクシードライバーからの情報、一日だけらしいのですが個人の庭園としてはすごいものですね、京都の山自体を毎年枝垂桜や散歩道を綺麗に維持するのは、我々凡人には理解出来ないくらいの大変な経費が掛かるらしいのです。

一年間を通した山の管理、この時期における歩道、側道、草の処理、花見弁当等すごいであろう。

去年海ちゃんは見ており、すごかったと云っていました。元気になったら一緒に行く予定にはなっているけどね。

昨日の、しょうざん 中井道仁先生の治療はとても疲れるものでしたが、頭も思いのほかスッキリし、頸と肩の凝りも鍼灸で処理をして頂き、すこぶる本日は天気のごとく快晴!僕は髪が長くなっており、病気も手伝って、見た目が年を取り(本当に年は取っていますが)痩せて貧相に映るらしく、(海ちゃんからすると、本当は言いたくないのでよほど気になったのでしょう)行きつけの美容院で散髪、毛染めをすることにしました。

本当に良い天気なのですがPM2,5 もあり空気が悪く相当曇っていて頭痛がします。散髪時、お店のマスターとのやりとりで、このゴールデンウイークは和歌山白浜への遊びの誘いを断り、故郷愛媛にゴールデンウイーク明けに4~5日の休みを取り、帰省し田植えを手伝うそうな予定だそうで、なんでも父親が病気になり現在も入院中で、兄貴一人では田植えが大変との事でした。又、瀬戸内海での海釣りも楽しみにしているようでした。

やっぱりどこかで息抜きの遊びが在るのが良いよな。

僕も、以前は海ちゃんの実家今治では、海釣りを常に義父としていたことを思い出します。

船で瀬戸内海を遊覧し、ゴカイかエビを餌にして釣るのであるが、本当に瀬戸内の魚は脂ののり、旨みもあり最高の味をしている。

今の季節は、メバルの最盛期だな、食べたい!

外観も一新、家内(海ちゃん)も納得の仕上がりでありました。

見た目と共に、田舎での釣り三昧の記憶に浸り、心なしか目が輝いているような気がする胸躍る時に触れ思わず微笑んでしまいました。