犬の気持ちわかります?    20141022

犬の気持ちわかりますか   P1000686

我が家の老犬ミルキーは、今日は腰が立たない対応治療の注射の三回目を行う。合計四回であるが、果たして注射で効くのかどうか甚だ疑問である。

鍼灸は、やはり足に反応が起き、完治はしないまでも、良い対処、健康持続の観点では、間違いなく理に叶っていると思うのだが、今日は僕は京都で鍼灸治療が有り、ミルキーの付添は無理であったのだが、今日も先生は不在で、(前回も指定された日にちで不在)一体どんな管理をしているのか不思議でならないのだが、注射の位置が話を聞くと三回とも違うのである。

不思議でならない。先生がしてくれた場所の最初の一回目から、看護師の二回目、三回目は全くお門違いの場所で、先生とも違うのだ。

どうも理解不能である。

老犬ミルキーはとにかく病院が大嫌いなので、全くおとなしくしていることが無い。

常に隙あらば逃げる体制を作っている臆病者であり、注射で躊躇すると噛むふりをして吠えるから叶わない。

知らない先生や看護師は対外怖がる。

今日も目いっぱい吠えたことであろう。

夜、京都より帰宅すると疲れた様子のミルキーは、もうだめです、寝かせてください と目くばせをしてくる。

相変わらず、役者だわい。 僕はお腹がすいており、すぐに食事をしたくて海ちゃんにお願いし、おでんと、サラダ、きのこと玉子とオクラ入りうどんをゆっくり食べ始める。

老犬は常に僕の動きをチェックしており、何を食べているのかを 雰囲気と匂いである程度のめどを立てているのである。

そして、おでんのてんぷらと、筋肉を食べるときには、いつの間にか足元でお座りをし、上目使いでおすそ分けを 無言で催促しているのだ。

ある意味、生命力を感じるのと、恐ろしいくらい卑しい事に感心する。

最近は歯が弱く、少し硬めの肉の場合は、上向きで痛い歯に当たらないように食す技を身に着けているようだ。

昔と違い、海ちゃんも常に犬のえさやりには注意を払っているので、体重は常に10キロ~10,5キロを維持している。

制限をしなければどこまで食べるかは、想像できないほどに品良くではなく貧欲であります。

たまには、お腹いっぱいにさせてよと見つめているような気がする。

寝る前に、超音波マッサージをしてあげましょう。少しは後ろ足が動きますように。

大きなお世話です、もうかわいいだけでいいのに 気づいてよ、なんて思っているのだろうな、ミルキーは。

老犬の一日     20141017

老犬の一日   20141017

台風も去り、平和な秋晴れがこの週末の始まりらしい。ミルキーは、殆ど寝て過ごすので余り天候に左右されることはこのところないのだが、気候は良いに限る。

朝は、海ちゃんが起こしてくれ、抱えて一階に降ろしてくれるので、あまり暴れる事もないけど、調子の悪い時はついおしっこが出てしまう事が最近はしばしばある。

今日は、ことのほか調子が良いようだ。

僕が起きると、ほぼ朝ご飯は同じ時間帯になる。ミルは自分のご飯が終わると、僕のおこぼれを貰おうとしきりに顔色を窺って首を上下させ、時々涎をしたたらせ、床を汚しながら、パンの欠片か、バナナの一切れか、ヨーグルトの残りをじっと待ち続けているのだ。はた目には健気であるが、毎日を知っている僕には、老いて尚卑しい凄い老犬としか映らない。

本日は待った甲斐は、バターたっぷりのパン一切れと、ヨーグルトにはちみつをいれたものを5匙たべれたことであろう。

してやったりの嬉しそうな顔を未だに出来る事は、脅威としか言いようがないのである。それからは、海ちゃんと近所でおしっこをして、バギーでお米屋さんの処に行き朝のパンを貰って、少し散歩をして帰ってくる。

その間僕は、たくさんの薬を飲み、歯磨きをして、近くの公園だけ一緒に行くのである。今日は、公園でうんちをしたので気持ちよかったよね。

帰ってくるなりもう体力はなく、眠くてしょうがない。日の当たる暖かな場所で眠ろう。海ちゃんが出かけそうなことは、すぐに察して玄関に行くか、僕がいる事が確認できると眠りの入る。温灸をしてあげよう。 温かいよ。

なんとミルキーのまつげが嬉しそうに映るのである、ヨモギの香りが一面にあふれていて精神的に非常に気持ちいいように感じるのである。瞼を閉じたその顔があまりにあったかでありました。

もっとして欲しいと愛犬が云っているように見えるのが不思議である。癒しと云う表現がいかにも似合うのだ。いぬが笑う顔が浮かぶのです。

ふふふと声になりそうな今にも零れ落ちそうな笑みに、お休み。

時々、思い出したような表情を作り、短い足を、ごそごそ動かしては、手で瞼をこすり、静かに寝かしてねとさりげなく呟いてくる。

おばあちゃんになっても、いつまでも甘えさせてねと態度で示すのか、なんとか最後の寝付く前のあがきにも聞こえるが、聞いたふりをしておこう。

僕の顔をちらりと見て、まためんどくさそうに窓の方を向き直して、寝位置の確認をまたやりなおして、小さなため息を吐いたと同時に、小さな鼾をかき始めた。

半分だけ寝ているのであろうおばあさんは、ときどき宙をけるしぐさを繰り返し、大きな鼾に変わり寝入っているようだ。

いつもの身体の悪い猫、ひょこたん が、ちら見をして通りすぎた。114

ペットショップ     20141011

 

新しいペットショップが自宅の近くに出来た。以前は、得体のしれないDVDショップであったので、何となく明るくなったように感じる。まだオープンして一か月ぐらいだと思うのだが、近隣で匂いのクレームが出ているとの情報を海ちゃんから聞いていたので、何となく店内を見ていると、従業員の全員がペットの熟練者ではないように見受けられる。

ちょうどトイプードルの一匹の陳列部屋の掃除をしている人が居て、僕の目の前で消臭スプレーをペットルームめがけて噴霧したのである。しかも片方の手に犬を抱えた状況でである。ちょっと驚きの光景に出くわしたようで、少し引いてしまう自分に気づいた。

ペットにも、客にもやはり気配りは必要であろう。誰も気が付かなかったのは、ショップ内のペット数と従業員が釣り合っていないからであろう。ましてや本日は土曜日で来客数は到って多く愛犬用の歯磨き粉を買って精算をするときも人がいなくて待った状況でありました。

しかし、チェーン店だからか、ペット数は本当に多く、可愛いものである。

みんな貰い手が出来ればいいのだが、売れ残りの場合はどうするのであろうか?

全国に店舗がたくさんあるので多少はリスクは少ない気はするが、残った犬や猫は全てブリーダーに引き取って貰えるはずもなく、どなたかが飼っているのかなと心配になってきます。

初めて入るお店は、特価商品を探す事と、陳列商品を見て回ることと、従業員の対応、お客さんの入り具合等、たくさんの発見と楽しみが一杯であります。

今回は、ペットの数には本当に驚いた事と、今どきのケア商品が多めであったぐらいですね。

ただ、自宅から近いという事は、ある程度の頻度では通う筈であり、ペット数が多い事で時々見に行きたいと思っている。ひょっとするとそこが店舗側の狙いであるのかもしれない。

全国に80店舗以上あったから、管理するのにも相当の人員、管理、データーもしっかり構築しているだろうね。

ただ、店舗外のごみは綺麗に袋に詰められていました。

夜、野良猫とか、イタチにいたずらをされないようにしないと、それだけでしょうね。我が家にも、時々、ゴミをあさる輩がいますから、野外だと、カラスもね。

歯磨き粉と歯磨きスプレーを買って帰ると、玄関で僕の帰りを待つミルキーは、おやつを買っていないので、少し嫌そうな表情をちらりと投げかけてきました。

口の中が綺麗になるやろ と声を掛けても知らんふり、まあ当然か。

友達が送ってくれたりんごの箱を見ながら、中身を頂戴と目くばせをしてきます。僕はすかさず、知らんふり。 お互い様です。

居眠り   20141003

温かなぬくもりの中で爆睡

台風前の静じゃか、さっきまで陽だまりのさしていた縁側がいつの間にか薄暗くなり、雨が降るやもしれない天気である。秋の空そのまんまかなあ、愛犬は気候が穏やかなためか、静かに寝位置を作っている。

後ろ足の動きが、日を追って悪くなっており、ここ数日で荒治療をしてでも何とか歩行をさせてやりたいと思っている。

散歩が、少しでも自力で出来れば、楽しいと思うのだが、日中は20時間は寝ている現在、回復運動はほぼ出来ず、お灸か超音波に頼るしかないのか。

今日は気温が低いのでお灸をしてみる。

思いのほか、ミルキーは気持ちが良さそうである、じっとして寝る体制を作ろうとしているので間違いなく今日は相当リハビリにはなりそうである。常に、体調によってお灸に耐えれる時間はまちまちで、機嫌が悪ければ一分と持たないし、熱い場合もすぐに逃げ出してしまうのである。

超音波での治療も機嫌のいい時と虫の居所が良くない場合とでは雲泥の差が在るのだ。犬は、飼い主に似るとも云われているので、頑張ってくれてもよさそうなものだが、自分勝手な処が似てしまったか?

夜の散歩に備えて、充分のお灸が出来た。どちらにしても良い塩梅、歩く見込みが未だ捨てきれないでいる僕には嬉しい限りである。

先週より歯が取れそうで、涎に血が混じっている場合が多く、未だに歯が残っていること自体が不思議なので、こればかりは、卑しさが功を奏して歯茎が必要以上に丈夫だったのであろう。

出来るならまだまだ元気でいて欲しいと思う。ただ、したいことが自分で出来ないのは見ていてやるせないものだ。

もっと動いてほしいね、そしてしっかり寝て頂戴。

僕の食事の時間では、あげるよ という合図が無い限りは、じっと違う場所に待機するようになっている。

体調の悪い僕には無理を云わないように工夫しているのである。これには本当に驚いている。

海ちゃんとかが食べる場合は、一目散に横で涎を流して催促をするのだが、僕が咳き込んだりすると、僕の視覚から消えて、様子をうかがう様に成っているのだ。本当にけなげである。

君にまで心配をさせるのは、悲しい限りで情けない。

もう充分ですよ、我がままでいていいよ、ミルキー。

 

我が家 犬も同じ家族につき    20140423

我が家 犬も同じ家族につき      20140423 今、犬としては15歳と3か月弱になります。人間でいえば、もう80歳になる年齢で、歩くのも危なっかしい状況であります。ただ、卑しいのが生命力に成っていると思いますが、いつの間にか睡眠時間がめっきり増えました。 後ろ足が思った動きが出来ないのであるが、鼻で匂いだけはしっかりするようで、肉、魚の焼いているときは、海ちゃんの横で涎を口に溢れさせ、お座りをし、前足で足踏みを何度もするのである。 若いころは当たり前であった事が次第に出来なくなり、そんな中で少しでも生き抜くために一生懸命少しでも食べたいと思ってくれる事が、動物、人間にとって嬉しい限りであり、生き物みな同じだと最近は特に思う。 生命力というものは、まず食が一番大切なことであると痛感しているし、自信を持って間違いない事であると思う。 毎朝、ミルキーには、約7~800メートル、1キロ弱だと思うのだが、お米屋さんでいつもおばあちゃんから菓子パンを頂き、それが日課になり、雨の日も、風の日も常に散歩をしてくれていたのです。 しかし、まずおばあちゃんが足、腰を患い、おばちゃんが代役をしてくれる様になり、現在は、お米屋さんも、孫が出来、幼稚園、おばあちゃんの病院などがあり、お兄ちゃんの時とか、おじちゃんの時というように、お米屋さんの家族にかわいがられて生きているのです。 唯、ミルキーも具合により、行けないことが時々発生する。 週に一回か二回、動けない場合は、近くの公園で、散歩が終わる場合がある。 お米屋さんまで行く場合は、40分~1時間を掛けゆっくり歩くのです。 僕は、そこまで一緒に歩くと、頸に疲労が出て、帰宅後ふらふらになり、頭が痛くなるので、体調を考えながら出ないと、体力が、続かない。 まだまだ、思った以上に持続力は出来ていないのである。 頑張るミルキーに、散歩時でも、振り返って、ほうねんさん大丈夫ですか?と振り返って繰れるとき、情けないやら嬉しいやら、涙が出そうになります。 有難う、ミルキー、あなたのおかげで又頑張れます。 年齢は、いろんな説があって、現在の彼女の年齢は不確かですね。 唯、それ相応の年齢は間違いなく、今は耳は全く聞こえていないようです。雷でも気が付かなくなっていますからね。 お休み、明日は早く起きようっと。

鍼灸と愛犬の息吹    20140318

 

しょうざん鍼灸院の予約を変更して、次の水曜日12時に変更し、本日は赤あんど の鍼灸院で治療をします。

頸の痛みが和らげば良いのですが、後は頭が重く痛いのが気になりますね。

頸の筋肉が無いので、どうしても後遺症で仕方がないと云われていますが、それでも良くなる、良くならないかなと日夜暇があればそんなことを考えてしまいます。

これは、完全に治るまでずっと思い続けるのでしょう。そう思います。

外はとてもいい天気で、快晴ですが、PM2,5と云う大気汚染の為、外出してもマスク無しではとても過ごせないほどの環境です。

中国のせいになっていますが、結局は世界がそんな情勢を成しており、皆が考えなければならない問題でしょう。

ラジオでは、心晴天が流れています。このにぎやかさがとても楽しく、そうこうしているうちに、ミルキーの静かな鼾が心地よくリズミカルに聞こえてきます。

さて、赤あんど、西崎先生に治療をして頂きますか。

歩いて、駅に向かい、電車で河内小阪駅から近鉄上本町駅まで行き、そこから歩いて5~6分、トータル電車待ちを入れても40分程度なのだが、相当に疲れて、フラフラになる時がある。

その場合は、駅のトイレで十分程度座って、疲れを摂るのだ。

無理を続けると、立ちくらみが起きることがあり、突然転びそうになるので、自分で注意するしかない。ゆっくり、のんびりと歩こう。焦らない、焦らない。

最近気が付いたのであるが、近鉄電車の中は、宙吊り広告が少ない。

地下鉄ではもっと見ていたと思うので、週刊誌の見出し、世間情報を探す場合は、ちょっと以前とは違うような気がした。

昔は、電車で、たくさんの宙吊りを見ているだけで目的地まで行けたのだが、

座れない場合は、地獄だな、これは。

常に、文庫本は持って歩くのであるが、頸の右の筋肉の除去からは、相当体力が落ち、長い時間文字を追えないし、すぐに頭が痛くなるのである。

中々、術後の身体とは仲良くなれませんね。

おっと、帰りの電車は座れそうだ。

玄関で、目覚めたミルキーがお出迎えしてくれているだろう。

 

愛犬との昼食   20140317

 

気が付けば月日はいつの間にか経っています。

毎日、つらいこと、気になること、嫌なこと、さみしいこと、悲しいこと、楽しいこと等が一杯であったはずなのに、全てが一瞬のような気もします。

ミルキーは一生懸命睡眠を取っています。まるで活きて往くために必要な時間が寝ることであるように、ちょうどお昼なので、海ちゃんが作り置きをしてくれているおでんを食べようと準備をし、五穀米を温め、ポテトサラダを出し、さあ食べようと食べ始めると、不思議なことにミルキーは僕の横でお座りをし、しっかり僕を見つめています。

何を食べるかしってるよ とでも言っているように、これは本当にびっくりしますが、毎日の恒例行事のごとく、ミルキーには生きる上の大切な儀式に近い行事なのでしょう。

僕も心得たもので、大根、はんぺん、しいたけ、きくらげ天ぷら、こんにゃく、卵を少しずつ食べながら、最後に牛筋を食べます。最後に少しだけあげるようにこちらも気を付けてやらないと、何せミルキーはもう15歳をすぎて、歩くのもやっとの現状ですから食べ過ぎは厳禁です。

口の中の移植部分の動きが未だ不完全で大きな口が開きませんし、放射線治療で唾が出ない危機的状況から未だ抜けれず、少しずつ食べて、最後に柔らかくなった筋肉を食べます。

ミルキーはそれを熟知しており、我慢しながら一生懸命待っています。ほんの一口だけの為に、10分はじっと待っています。

すごい事ですよ、これは、毎日感心します。いつの間にか年齢を追い抜かれた娘ですが、まだまだ生きてくれよ。

あれ、いつの間にか寝たまま起きないね、亡くなったの?

これが人間も、犬も、理想だね。

しっかり長生きしてください、我がままな娘さんよ。

 

 

生きるを思う NO-1

幼少の頃より本当に丈夫な健康優良児に近かったのである。勉強も良くできた頃、進学校で剣道に明け暮れ、生徒会長にも誘われていた15の夏、突然腎臓が悪いと言われ、中学校時代に風邪を引いているときに無理をした結果の後遺症であると言われ、約8か月の入院をする羽目になる。

その地獄の期間での復活は余りに衝撃的であった。

まず、高校でもしたいことをして騒いでいたものだから、友達がまずびっくり、当の本人はもっとびっくり、6月の終わりに岡山の専門病院で言われ、誕生日を前に入院、夏休み後の退院を目指して入院したのである。

勉強のための参考書、毎日授業をきっちり記載して、毎週持って来てくれる女性の友達もいて頑張っていると、先生より勉強の禁止が出る、精神的にリ今日ラックスが一番とのことだが、普通が僕にとっては良いのであるがだめらしい。 そんなものなのだ。

唯、毎日朝早くから夜遅くまでしたいことをして一杯食べていた自分が、突然の入院で食事は当然腎臓食であまり美味しくなく、毎日が退屈な日々となって行った矢先、何度検査しても良くならず、10月の最終期限、ここで良くなっていなければ留年確定となるとき、仲良くなった看護婦、心配してくれている級友、背中を押されるように悲しくて仕方なかったが、封建主義の塊のような当時の私には、病院の屋上でひっそり泣く級友の女性(当時周りにどう映ったかは解らないが交際はしていない人であった)を目にし、悔しくて歯ぎしりをした。

 

来年から、学年違いか、、、こいつ先輩になんの、、、? へこむね。

 

病気は一向に改善されず、とうとう11月より、大学病院に移籍、再度あらゆる検査をし、入院となるが、大学病院と云うところは、病気の状況によってサンプリング、悪く言えばモルモットになってしまうのである。

 

このころより、毎日が虚構化していき、生きる意欲は自然と消滅していくのです。これは、気力が萎えてくるのです。それも気が付けば、だんだん歩けなくなるのです。歩こうとすると、立ちくらみを超えて、体中の血液が無くなるかのような状況になり、諤諤と立っていられない状況に襲われ、目の前は残像だらけになり、自分の立とうとする位置が解らなくなるのである。

 

 

 

 

静かにじっとして居たい、気が付けばベットで寝ていたい、そのまま意識が無くなりこの世を去るのだろうと自分で悟る状況に浸って行きます。世の中はこうして終わりを告げるのかと、本当に静かに、消えていきそうになる時

は、一日があまりに短く、起きている時間がほとんど5時間くらいで後は眠っていました。体重が38キロまで落ち、入院した当時からでは18キロぐらい6か月で落ちてしまっていたのです。

身長は170センチあったので、もう生きているのがやっとの姿でしょうか?

毎日が短く、自然に身を置いて空気のように流れている自分に、世の中は空虚なものであると思い、人生っていろいろであるものだと、死というものは気が付けばそこにあるのだな、海のようであり、空のようであり、野原のようであり、そのうち灰となり流れていくのだろうと思っていた。

病院では、毎日、血液を検査、血圧検査、尿検査、問診、どう考えても参考資料化した日々が余計に僕を蝕んで行ったのである。腐敗した人体とは、艶もなく、血流の暖かさもなく、いつの間にか階段が歩けなくなり、倒れて意識を無くす日々が訪れたのである。

 

やっと16歳、こんな人生もあるのか、短くも楽しかっただろうか?

日々が重くのしかかってくる灰色の死神雲に思えて仕方なく、唯ぼんやりと静かに消えるというのか、、

思いもしない出来事がある日曜日に起き予想だにしない激変が心を占領したのである。寡黙な父と、やせ細った母が二人で病院へ来て、父は長い時間外の景色を見るでもなくずっと立っており、母は僕の手を握りさすりながらずっと泣きっぱなしなのである。病院からは匙を投げられ、ただただ子供が不憫でならなかったのだ。何故か長い間この空間を自分が作っていることに悲しみを通り越して怒りとなり、泣きたくなる自分に腹が立ち、大丈夫、心配すんなよ、絶対元気になる、泣かんといてくれ。笑うど。これからは絶対笑うど。もう僕の前で絶対泣かんといてくれ。あんたらより先に死なへん。

僕は叫びながら、手を強く握って言い続けた。泣きながら笑った母の顔は今でも覚えている。外を見ていた父が、うん、うん とうなずいていた。

 

それからは、何かに取りつかれたように前しか見ない、身に付けるすべしか考えない、全てが全身全霊を掛けた食事、呼吸、伊吹、歩行に至るまで血流が通い始めるのだ。これは僕自身が、生きていて良かった。両親のおかげだ

と本当に命を拾った瞬間なのである。

 

 

もちろん、高校一年生は二度経験し、同級生が先輩となる精神的に厳しい状況は常に卒業するまで格闘はしなければならなかったのであるが、小さい事と云えるまでは少なからず時間が必要であった。

 

高校生と云う、思春期で様々な経験をしなければならなかったことは、必然であり、後の人生に大きな変革をもたらす。

まず、自分と云う人間を客観的にとらえる事で、一途な考えとか人に耳を貸さないとか、引きこもらないとかを考えないと、当初は、運動は出来ません、体育見学が義務付けられ、授業のみ、要は勉強のみであり、出来る事の制限が発生する。

このまま大人になって何をする、将来何が出来る、一体これから何を目的に生きて往けばいいのかを答えが出ないまま、毎日否応なしに時間の経過をやり過ごしていくのだが、どうにも人生の迷路で右往左往している自分に嫌気がさしてくる。2か月ほど経ったころ、このままではだめだ、一つずつ変えていこう。今は、どん底なのだから、これ以上の下は無い、後は上がっていくだけ、怖いものは何もない、八方ふさがりは当たり前やな、 大したことは無い、上を見よう、空がある、土を掘って這い上がっても知れている。良し、

便所虫と一緒やな、上に、上に行くだけや、俺は一回死んだ人間やないか。それを生き返らせてくれたおやじ、おかんに対して恥ずかしくない、両親がどこで死のうが自慢できる生き方を自分で決めて取り組もう と心に誓って歩き始めた。 中身については、気が向けば掲載しようっと。

初めての事故  20140807

しょうざんでの鍼灸治療が、先週26日より、ひとつレベルが上がりました。頬と顎の周りに針、パルス(弱電を通し毛細血管、神経に刺激を与えること)お灸を行い、次はうつ伏せで頭と首及び肩、背中に針とお灸をし、最後に、極細の針で頭から首、肩の右部分のしびれ、痛みを取るために手作業で酸化した部分に刺激を与えて、古い血液溜りや極度の硬化伸縮した筋に刺激を与え、再起させる施行をして貰っていました。普通の患者さんのほぼ倍に近い時間を要しています。通い始めて一年半近くになり、中井先生は悲惨な僕の身体と向き合い、僕の回復に一緒になって取り組んでくれています。本当に嬉しい限りです。時々先生が僕のことを必ず治るオーラがあると言ってくれていて、ついつい天照大御神を真剣に意識する僕なのだが、よくここまで来たな というのが本音であり、社会復帰出来そうになってきている。

さて、新しい取り組みだが、顎関節の弛緩作業に

入ったのだ。太道の試合では、顎が外れる怪我等は、しょっちゅう起きるらしく、都度先生はその治療に携わっているらしい。不思議なことは、口を開ける努力をしてはいけないということ、自然に大きく開くまで、無理はいけないらしい。本当に最近は自分でも変化に気づくので鍼灸が楽しみになっている。思い切り横道に逸れたが、今日はPLの花火の日であり、さぞかし賑やかな大阪に触れれるとワクワクの一日のスタートで、しょうざんでは、着いた時点で治療を早く始めてくれ終わりもスムーズで、タクシーも早く到着、京都駅までも相当にドライバーの凄さを発揮して頂き17時5分発の大阪バスに乗れたのである。

あまりの嬉しさに、海ちゃんに連絡を入れ、あっという間に東大阪長田駅まで着いたのだ、ここで喜びを覆す事態が思いもよらない形で衝撃が足にくる。ドン という音と共に急ブレーキをかけられ、僕の組んでいた足は、前座席の後部にガツンとぶつかり あー,痛ー という瞬間、バスと乗用車が接触する事態に出会う。急いで足を撫でながら具合を確認、まあ大したことはない、良かった、ドリンクフックを片付けていて、、。

乗用車の運転手が降りてきて、怒鳴っている。バスは乗客の降車をし、布施駅に向けスタートをしたとき、前方に横付けしようとした乗用車と接触が起きた模様である。

これは、単なる不注意であるが、乗用車の運転も荒いしウインカーを出していなかったように思うが、それ以上に、バスはストップランプのままでスタートを切っていたような気がする。それはいかんだろうな、結局警察を呼び、現場検証、名前、年齢、連絡先を控えられ、代替えのバスが迎えに来てくれるまで待機。

結局一時間の遅れとなり、布施駅に到着。

何をあせったか、小銭の入った精算箱を運転手は忘れたらしくしきりに本部に連絡を取り、小銭を用意して布施駅に向かって欲しいと手配をしている。緊急バスで、精算機能が無くチャーター用の高級バスのようであったから、ギャルの客たちは高級感に騒いでいたよ、もう遅れなんか関係ないように映ったので不思議な気がした。

つい愚痴の一つでも言いたい心境であったが、まあ良いかと彼女たちが和ませてくれたのである。布施で精算をして、駐輪場に行く時、一時間遅れで出発した京都からの大阪バスの姿が見えた。

何て日なのであろう。思わず、全身の力が抜けるような虚しい気持ちになってしまった。

海ちゃんに無事到着の連絡を入れ、あれくらいの事故で良かったことの報告をする。悲惨な事故がこのところ高速バスでは多発しているので、良しとするか。

どちらの運転手も最悪の心境でしょうから、何の怪我もなく自宅に帰れるだけで良しとするか。

布施駅では、イオンの前が乗り入れ禁止となっており、盆踊り大会を盛大に行っている。明るい電球と浴衣の男女が まあええやないか と言っているように見えた。

やたらとオレンジ色に光る蛍光灯が優しく迎えてくれているようだ。

自宅までの自転車を漕ぐ力は、いつになく弱々しい按配にて候。