2012年7月20日

相変わらずの薄暗い院室での目覚め、まどろみと遊ぶこと2時間ほどして、朝から看護婦、主治医の連続訪問、喉のチェック、食事はまだまだ注意が必要とのことでした。了解しました。看護婦に昨日頭を洗って貰ったのですが、どこもかしこも妙に腫れているように感じ、痺れと痛みを伴い変で、気持ちが悪い場所だらけです。お昼ごはんも、5分がゆがやっとで、調子に乗ると、喉がむせて、すぐに高熱が出て、大汗をかきます。

本日午後1時に大変な事態が発生しました。織部新平先生より、除去した細胞に、がん細胞は散っていないとのこと。次回の外科の診断の後だけに(8月1日に入院手術日程を出しますとのこと)今までの肩こり、頭痛、頸痛、睡眠不足、大きく開かない口、すべてのもどかしさと戦ってよかったと心から思いました。海ちゃんにに報告し、感無量です。

紫音さんが書類を持って来院しました。僕の不在時に、山口さんはじめ、本当に苦労を掛けています。ありがとう。インド社取締役も大きく変わりつつあり、彼女たちの第6感にも響いているようです,有難い事だらけですな。本当に感謝感激、回復するのみですね。

2012年7月19日

目覚めてから一日の戦いの長さと進歩の無さと闘い、またもや就寝前に、痛み止め、睡眠薬をナースにして頂きました。毎日顔を合わしていますといつの間にか看護婦の皆さんに親近感がわいてきます。うんち出た?小便は?てなことをすれ違う人ごとに聞かれます。まあそれはあくまで僕自身の受け取り方で、勘違いの内容でなく本来の言葉は、お通じ、小水 といったびょういん言葉であり、朝の挨拶のようになっています。

気怠い身体を起こす入院10日目の朝、顔は半分肥大したままで、4時の起床より大騒ぎ、歯磨き4回,うがいはそれ以上行い、朝の検査までに少しでも良い結果を出すべく必死の取り組みであります。垂れた左目は少しはましになったかな?右あごのふくらみは今一つひきしまらず。

もっと納得のいくまで結果はどうあれ顔を洗うしか方法はなさそうだな。

食事代わりの点滴を初めて1時間、8時40分に主治医依田二郎先生より呼び出しがありました、実は昨日からこの時間に僕は待ちに待っていました。まず、耳から耳及び右耳上下30針ほどの抜糸となる予定であったのです

不都合だらけの状況の場合、ほんの少しの前向きの変化で疲労が一度に消えるように感じるものなのだ。顔面は変形しているが、何故か嬉しい。

また、午後より鼻食道パイプを外していいかの検査に入ることが確定。勝ったね。一日中うがい、歯磨き,うみ出し,痰だしにより取組んだ結果、まずOKだろう.しばし沈黙の中で拳を握ってガッツポーズをこっそり決め、やるぞー と静かに頑張るだけだ。

飲料通過試験検査のレントゲン撮影開始、4回行い全て良好との結果を得る。これで、飲みたいときに飲みたい飲み物が飲める、プリンもフルーツも食える。なんという心地よさであろうか。

さて,お昼ご飯より流動食が出てまいりました。なんと200mmパック 明治メイン

ニューコンセプト流動食 これは残念ながらまずい、海ちゃんに2本進められたがこればっかりは飲めません。

本日夕食は、おかゆ、魚、そぼろ豆腐でありました。平気に食えると思っていましたが、食道、喉、胃とすべてが1週間の有給を与えていたので、思いのほか活動を忘れているようで、おかゆのみ食べれましたが、無理やり食べた魚では、久々の為、むせ返り、気管に入る恐れがあり、食後に熱が出て、えらい目にあいました。病気克服に於いて調子に乗るなかれ。何事も焦らず、一歩ずつ着実に進もう。焦らない、焦らない。

2012年7月18日

朝は4時には起きてしまいます。よく寝れないのと、痛みと息苦しさが頻繁に神経にちょっかいを出してくるので、ついつい無視出来ず、取っ組み合いの格闘をしているのです。また、病院内の規律に合わせた生活、夜9時には消灯等が苦痛でしかないのであろう。とてもではないですが、全く守っていませんが、個室でなかったら大事でしたね。朝顔面の右半分がゆがんでおり出血交じりの涎が流れ、これは進歩がないぞ と大あせり、息もしつらいのであるが、大急ぎで依田先生に検診をしていただく。歯磨きの励行は日中10回はやっておりそこの結果は出ているはず。僕の希望は、まず鼻から食事をしたくないことである。こんなに情けない話はない。朝、昼、夜、各2時間を要し、プラス抗生剤30分、痛み止めをやっていると、このままではいったい進歩はアンのかいなと気が気でない。本日は、展示会の件もあり会社役員が顔を見せてくれた。いいかっこどころではないのだが、現状を見てもらえた。今後につながるかはみんなの反応によるであろうが、意識し合える仲間が増えるのはいいことである。

とにかく明日鼻食事をなくし、あさってからはさゆう と かに汁 にするぞ。山口さんが仕事を持ってきてくれました。頭がすっきりすれば取り掛かりましょう。

鼻パイプ取るぞー。

入院7日目(2012年7月17日)

朝は理屈抜きで4時~5時に目覚めます、とにかく首の痛さであったり、喉が渇いたり、異様な暑さで息苦しくなったり、むさくるしさで不快に目覚めるのが日課のようです。看護婦にもたくさん迷惑をかけています。自由に動けない事で、思いのほか手助けが無いと痰も吐けず悶々としてベッドでこぶしを握ることが多いので本当に気疲れしますね。5日ぶりの洗髪が、うれしくて仕方ありませんでした、寝汗、手術後の格闘の名残りの血痕や涎の跡、全てがさっぱりとして生き返ったような気持ちになり、看護婦がマリアに見える今日この頃であります。進行途上に於いてまだまだ自己管理不足があり 何がどのタイミングで必要なのかを、痛くても確実に処理しなければ決して良化にはなりません。医師、看護師の力がいかに大きいか日ごとに感心する本日、焦らない焦らない、ただ必ず明日があるのだ、くじけるな、めげるな、不安そうに見守る海ちゃんへ、大丈夫です。

入院6,7日目(2012年7月16日)

とうとう曜日の感覚がなくなる。看護婦によって、許せる行為とか、納得のできない行動が介在する。実に不思議だが、顔、声、しぐさ、まさに天はナースに大きな隔たり、差別を与えてしまった。本日は、丁寧にすべてをこなしてくれるマリア瀬戸である。年齢は聞くまでもなく20歳以内、日本黒十字の研修センター通いのまさに淑女でござろう。祭日の為か非常に看護婦、及び医師の数が非常に少ない。日中はおなかの張らない点滴(食事)が約2時間、抗生剤、痛み止めの点滴は追加で30分、これを1日するのだから普通の人間も病気になるよ、ほんまに。

本日の成果は、少しでも歯磨きをしましょうということで、たくさんの若い看護婦の皆さんが一杯協力してくれて本当に有難う、休日や祭日等はなるべく家庭を持っている看護婦は休日にしてあげるような仕組みになっているそうである、疲れている最中に大和田さんが来てくれました、うれしいのですが、疲れており、口を開く気力も薄れ、かっこよくもなく言葉を発するのが必死でした。頑張るぞ と気持ちを奮い立たせるのですが、なかなか身体が思いのほか自由にならず、本日は少しでも進歩したでしょうか?

入院5日目(2012年7月15日)

本日は日曜日、まったく日にちの感覚がこのころ失せてきます。

口内からの吐血、今日中にこれを止めないと夜寝不足になります。昨日22時に看護婦も助けてくれ,痛み止めと、睡眠薬の両方を注射してくれました。

のどちんこの切除と移植部分がきれいに接合すれば良いのですが、とにかく痛みと出血が止まらず、口を閉じれば喉に血液が溜まり呼吸が出来ず、おかげで口で息をして寝入ってしまったので、朝5時に目覚めると、枕シーツが血だらけでした。お掃除おばさんごめんなさい。週に一度のシーツ替えですが、今日はすぐ替えて貰わないとしょうがないですね。本日は口内炎を防ぐためにも、スポンジ歯磨き、柔らか歯磨き、口すすぎをまずやってみることになりました。少しでも口内の血が無くなれば処理しやすくなります。

海ちゃんが困った顔で見ております。心配という事に加え、不安しか見えませんから当たり前の状況です。看護婦のメッセージ維持120パーセント実行派の彼女ですから、何が今一番取り組まねばならない事かを考え、きらりと私を見つめます。

入院4日目(2012年7月13日)

寝不足で体ががたがたです、何とかして睡眠を取らないと、体力はもとより、治癒力に大きな問題が起きそうである。喉部分の手術跡はまだ完治にはとても至らず、喉治療部分と口内炎部分癌の削除個所から毎分による出血がのどに詰まって寝れないので掃除機で口内から採って頂くのも、まさに2分毎になってしまいます。結果横向きで、自分でティッシュ2,3枚に吐き出すのです(血の塊と唾液)一日でゴミ袋が一杯になります。

息継ぎが苦しく、何でこんなことになったんやろ、もうかなわんと思いながら必死で格闘をベットの上で繰り返すのみである。

知らない人が見れば、滑稽この上ない痴態であろう。まずどうもならんぞ、根も状況は。

素敵な看護婦たちは、気が付いてすぐ対処してくれる有難い神様みたいな人と、気が付かない目の前のごみをかたずけてよと思ってしまうやりきれない人など、やはり出来はまちまちである。現在の医療現場の実態は十人十色でそれは様々、驚きの連続で、気が付けば物語でも出来そうな気がする。

やっぱりどこかしこが痛む。今日は痛み止め、睡眠薬を頂こう。

ほうねん 平静を装う (2012年7月13日)

朝は飲み物の制限のみで、ほぼ通常検査と同じである、4時半より目が覚め、大阪上町台地を眺めてみる。20年という月日が大阪城の景観をなくしている。以前は、城壁近辺には大きなビルや、マンションは無かったから、荘厳な居住まいをしていたのだ。大阪環状線からの素晴らしい記憶が蘇る。 しかし悲しいかな、今は病院の窓からマンションの隙間を捜しやっと街に埋もれた大阪城に巡り合えたといったところだ。日本はもっと大陸的な考え、島国的な考え,より日本らしい世界観を作らねばならない。お山の大将が多すぎる、それも口だけだからまずい、地震大国日本であっても、古き良き時代の建造物、文化遺産があっという間に消えていくのかな、京都ぐらいには大切にしたい、無くすことは簡単であり、近代化も問題は無いが、無くしたものを蘇らせることは不可能に近い、便利より大切な物が本来はあるはずだよ、さみしい限りだ。

おっと、どんどん横道にすぐ逸れるいつもの悪い癖でござる、やばいやばい。

こんな暇はなかった、、いつものごとく朝6時頃より検温、血圧測定となる。人間なるようにしかならず、さて,癌と勝負したるか といったところなのであるが、意外にまな板の鯉も短時間であれば気にはならぬが一分、一秒がいかに長く感じられるか、簡単に言えば地獄に近いですね。朝8時には、岡山の実家から二人の兄と兄嫁が来てくれ、雑談から病気のことにならざるを得ず、こちとらは苦痛でしかないのだが、いざ30分後家内が参加すると非常に気分が安らぐのには驚いた。僕は手術を克服することしか頭にはなく、家人たちはこれからのことをあれこれ想像をしながら言い始める。良い事も悪い事もなく自然と僕を和ませてくれる様気をつかってくれているのか、それがいつの間にか、言葉が離せなかったらボードがいるぞ とか大阪城はどこらにあるん とか等が話始められ、いかに僕に気を使わない会話になっている事で助かる。

実際は、海ちゃんなどは心ここに非ずの心境に違いないであろうに。

何がどうなろうと、ほっておいても、これから始まる手術中5時間は針の筵であるのだ。僕はニコリと笑って手術室へと消えた。

 

なんじゃこりゃー、どうした右手、どうした左手、体が動かない、息ができない、口が触れませんよ、ちゃんと手術できました、これが削除した癌です と言われても、まだ僕の意識は半分なく、息苦しい、頬が引きつる、助けてくれ しか頭に浮かばず、家人、兄弟の中で俺は頑張ると心の中で叫びつつ、手術後を見届けてくれた皆に 片手を45度上げるのが精いっぱい。

入院3日目(2012年7月12日)

今は手術前の夜11時を過ぎる頃、興奮か 怖さか 眠れぬ夜 静かに出来ない自分がいる。

平静に、冷静な状況 底なし沼の様で何もない無の空間に部屋の中がうつろいで来る。何かが変だが、結構夜景の街並みを見て過ごすのも 乙かもしれない。何事かに立ち向かうひと時、自分だけの時間って、なぜか自然と僕は作れた。もちろん誰もいない病院の一室で、夜景の薄明かり以外僕に寄り添う空気の存在すら無いのだから当然か、ひょっとすると誰かが覚悟を決めろと作ってくれているのかもしれない。静かな時間、とりとめのない思考との遊び 好いよね。

病気が悪化して死に至る場合もあるのだろうなあ。人生の終わりと向き合うことが、今後の偽らざる本音なのである。

怖いと云えばそれは怖い。唯、生きようと決めたからには、闘わなければならない。負けない。

弱音は吐かない。頑張るぞ。めげないぞ。

後半日もすれば、意識もなく、手術の最中であろう。これは避けれない人生の僕に与えられた課題である。

解決できるかどうかは、神のみぞ知る。

やらいでか。

入院2日目(2012年7月11日)

昨日の主治医、織部新平氏、依田二郎氏、中田次郎氏の診断、及び妻を交えた報告、手術選択は結構露骨に病気治療に関しての突っ込んだ意見、リハビリの現状克服についての長期的な取り組み覚悟を伺う。

全身麻酔の説明、両頚部郭清術,頬粘膜、中咽頭癌切除術の具体的な説明は、1時間に及ぶ長いものであった。医者とは難儀な仕事である。患者が不安になるとか、希望をなくすとか、どうしていいかわからない状況であっても、もしもの可能性を最悪の事態から入り、この処置がまず一番進めれることの希望的観測に入るのである。

最後は選択権は自分にしかないので、気の小さい心配性の我妻は意識朦朧、状況判断不能状態に陥っていたと思う。僕があまりに生きることへの執着が強く、守るという行為、オスの本能にどっぷり浸かった生き方しかできない結果、海ちゃんにも我を押し付けている部分も多分にある。。

この事態で怖くないと言えば嘘になる。幾らでも押しつぶされそうな重圧であったり、恐怖は当たり前に存在するのだ。ただ勝つというかっこいい言葉を使おうとは思わないが、病気も仲間にするしかないかと考える。自分が必要な人間であれば、まず生かされるはずである。

世の中うまくできているものだ。そう信じて取り組むしかない。

 

 

追加の記載

2日目にして、新たな癌の手術の告知を説明される。食道癌が4か所に点在して居るわけだ。相談もなく勝手に出来たものであるが、どうもリンパと云う奴は立ち処にいたずらをしでかすようである。食道は取り除くことになり、胃の半分が食道に代わるようである。生まれてこの方、私に大きな期待をする神様が見えて仕方ない。何でここまでの事態を味わう事になるのですかねえ。選択ミスをひょっとすると神様はしでかしてませんか、今なら笑ってごまかせるけどね。冷静に今は自分が本当に何かに守られているような気がする。私の役目が多すぎはしませんか、どう見ても私をもっとタフにしたいのであろう。いやはや、平穏は与えてくれませんね。如何生き返ってどんな影響を人に与えていけるのか、僕には荷が重すぎませんか?おっさんだよ、それも55になる。くじけませんが、負けませんが、人生って面白いのかもしれない。先が解らない分だけ試行錯誤は増えるけどさ。