1月12日(土曜日)

朝はさすがに眠く、ぎりぎりで7時に起きました。喉の渇きがすごく、朝ごはんも必死で食べました。また、マグネシウム不足で点滴が始まっています。これが終われば、注射器は取り外しになるでしょう。髪を切って、シャワーを浴びたいし、何とかさっぱりしたいところです。小便が出ずらいのが気になりますな。本日は、海ちゃんと、姉のつっちゃんが来てくれる予定です。少しでも元気を貰えれば最高ですがね。

うつらうつらしていると、二人が来てくれました。

つっちゃんも元気そうでした。海ちゃんも少し嬉しそうに見えます。とてもありがたいなあと思います。海ちゃんに髪の毛をまた切ってもらいました。すぐお風呂でシャワーを浴びて、院内を散歩しました。少しずつでも悪い処、良くなっている処が散歩では解ります。右足がいまいちなので、スクワット、ひざ上げをしなきゃな。

今日はいつにもまして、言葉にならないほど元気を貰いました。

つっちゃん、海ちゃん、ありがとう。

1月11日(金曜日)

1月になっても、一切仕事も出来ませんし、どうにもならない事態を作りましたからね。早く仕事をしないとね、また受注活動、商品開発における取組、様々な問題が起きないよう、至らない状況下でも注意が必要です。

現在一番必要な商品開発、商品管理、そして経費削減に至るまで何一つ出来ないでいます。思った以上に体力が消耗していて、思考力も削がれているのでしょうか?

抗がん剤治療中なので、とにかく開口を急ぎ、少しでも退院、現場復帰をめざし取り組みます。海ちゃんが心配しすぎないようにはしたいですが。

抗がん剤治療で苦痛なのは、点滴時間が長い事と、とにかく水分を取らねば、腎臓に副作用が発生するという事でそれが気になります。

マージ君の6時から7時までの来院打ち合わせで、めっきりご飯を食べそびれ、無理やり少し口にして本日は終了。

マージ君はじめ、社員の皆のおかげで生きている現状です。本当に感謝です。

コクリコ坂を見て、寝れず、リスミーを初めて2錠飲み、2時半に寝れました。

1月10日(木曜日)

明日の抗がん剤検査可能かどうかの、血液検査の結果が夕方まで出ず、海ちゃんと共にもやもや。看護婦は当初午前中に返答できるように言うから余計に不振になってしまいました。

結果は、問題なく抗がん剤治療は問題なく進行します。

少しの出来事で、一日がとんでもない方向に行ってしまうことが、何故か悔しいのである。

食事はやはり入歯の問題もあり、なかなか進みません。前歯の根元が怪しいので抜きたいとの医師からの要望であったので、一にも二もなく了承したが、隣の歯迄根っこを傷付け、おまけに鼻の方まで骨を削っているらしい。歯医者でのレントゲンで分かったのだが、少し悲惨な状況としか言いようがない。終わったことを蒸し返してもしょうがない。現状打破に突入するのみである。開口は毎日取り組んでいますが、なかなか大きな口はあきません。なんせ、顎の真ん中を切断した後がまだ痛いからです。

そういえば、顎は歯医者のレントゲンで、金具が2箇所に止めで打ち込まれていました。

それは見事に痕が露骨に見えます。

痛々しい景観ですね。

本日は、うんちがまたもや3度も出ました。3日に一度3回お通じが普通になるとこれはやばいよね。

1月9日(水曜日)

本日は今宮戎初日です。今年はどこにも出かけられませんが、しっかりリハビリをとことんやろうと決めました。口を大きく開け、来週には入歯を入れる予定を組みます。

そこに向けて努力するのみ。やるぞ。

今日から恵比寿さんのお参りです。例年のようにいけないのはさみしい限りですね。

テレビでは恵比寿へのお参りを特集でいろんなチャンネルでやっています。

大阪はやっぱりええよね。活気かこの時期にはあるんだなあ。

大阪の人達の中で、一部の人が病気と闘っているのでしょう、みんな頑張れ。

2013年1月8日(火曜日)

いつの間にか、約2週間も放りっぱなしにしていました。年末、年始、様々なことがありましたが、追って書こうと思うことは何か気が付く度に記しましょう。

昨年12月29日、ライオンズの王子先生に入歯の上を修正して頂きました。毎日口の中が痛く、食事も苦痛で、このおかげで人前に出れるようになったのです。

12月28日に大和田さんが蜂蜜を持ってお見舞いに来てくれました。権田さんが倒れて、内職仕事を手伝うとの事でした。無理しないで頑張ってください。

正月3が日は食欲もなく寝て、テレビを見るだけ、ほとんど動かずでありました。

1月3日夜に血液検査を行い、4日から、放射線治療、抗がん剤治療を行い、やはり、多少なりと、抗がん剤の反動、放射線治療の反動が徐々に出てきます。口の中が乾いて唾液が出ない状態、口の中が痛くての見込み時に痛みが発生する、食べ物が食べずらくなる等至る所に弊害が出始めています。髪の毛もとうとう1月6日から抜け始めました。

海ちゃんに1月7日はさみであらかた切ってもらい、多少抜けても早々解らないようにごまかしていますが、抜け始めると半端じゃなく抜けるようです。

なるべく、海ちゃんには心配を掛けなく出来れば最高なんですが、一番心のやり場がなくしんどいと思います。

なおくんが、経営をしたいと単なる夢を語りましたが、彼の人生にも真剣に相談に乗ってやらねばならないでしょう。

食事が簡単に出来るにはまず、入歯を入れるよう口が開くことであると気づきました。

口が開かないことが、これほど辛いことであるとは思っていませんでした。言葉が綺麗

に出ないことは、思いのほかしんどいものです。精神的にやりきれなさで押しつぶされそうな気持ちに沈んでいきそうであります。負けないで、挫けないで、前を見るぞ。

12月23日(日曜日)

目覚めと共に血圧を測るが、やはり100あるかないかである。朝食がきつく、ひょっとすると抗がん剤の影響かもわからない。食事も看護婦に見てもらい、これだけ食べればいいですよの範囲迄は頑張って食してやめる。しばらくして海ちゃんが来て、昼ご飯はやはり魚(鱈)は喉につかえて食べれないのと、臭みを抜く作業も出来ていないので非常に食べづらい。お手上げである。抗がん剤治療から2日間の検尿が終わり、やっとシャワーを浴びれることとなる。天皇賞が終わったら入るとしよう。なぜか1年間で最初で最後の競馬になるのだが、頭があまり働かず、感も予測も甘い気がしていたのであるが、なんと3連単と、馬連を当ててしまったのである。沢山掛けてなかったから、ちょっとだけ勝ち、いい年末になりそうである。海ちゃんが喜んでいるのが、僕の声が少しずつ大きくなっていることで余程状況が今までより良く映ったのであろう。反回神経が治ればいいねと夢見ながら毎晩声を出す練習を少しづつでもせんといかんね。晩御飯は頑張って食べよう、なんとしても流し込まねばならない。

闇雲に、色々取り組んでいるが、光明は見えてこない。のどに詰まることが咳を引き起こし、咳が怖くて少しづつ食べると、空気で腹が張るのである。最も恐ろしいのは反回神経麻痺でご飲をして気管に食べ物が入ってしまうことである。これは、肺炎を起こす起爆剤であり、一つ間違えば、死に至るのである。焦るな、一歩一歩確実に歩こう。後ろを振り向かないで、頑張れ豊年、負けるな ほうねん と自分に言い続けよう。

12月22日(土曜日)

朝から食事がうまく食べられず、結構悪戦苦闘を繰り返す。昼も腹を壊し、下痢になり、食事量が減り始める。そんな頃歯磨きをしていると、年代が違うのであるが、何故か旧知の知人に思えてしまう大和田さんがお見舞いに来てくれた。彼の夫婦と我が夫婦は意外に気が合う。海ちゃんも好きな夫婦なのでしょう。僕も、奥さんともども世話になり、共に中国、タイなど仕事も含め同行して頂き、有難い限りである。余談はさておき、突然でびっくりなのであるが、気を聞かせてはちみつを持参してくれた。とても体によさそうである。ちょうど権田さんが倒れて仕事を手伝ってやらなければならないらしく、今日から大変だと帰って行った。まことにありがたい話であった。夜も下痢を2回し、昨日より血圧が80台に下がり、立ちくらみがひどい。点滴で上げるも100弱までしか行かなかった。明日はどうなるかと気にかかるがしょうがない。3度目のうんちはさすがに、不意に出てパンツを汚し、捨てました。こんなこと何十年ぶりであろう。

あまりに恥ずかしいそんな状況に陥る事態であります。

12月21日(金曜日)

朝はいつものように痛み止めを貰い、少しでも口が動くようにしてみるが、以前より一向に広がらない。依田先生が、顎の膿の除去と消毒をしてくれるが、なかなか治らない。

急遽昼から、抗がん剤を打つ話になり、午後2時スタート、終了時間は夜中の2時半になる。正月を挟む立済前に2回行うとなると、本日やる以外ないのである。でもこれは、事前に分かっていたはずなのだが。食事が次第に不味さが引き立つようになってき出している。これはどこかで気を付けないとまずそうだ。

口に入れるだけでも大変なのに、美味しく思えるものを探さねばならない。如何にも、気を抜けば体重が減る傾向は逃れようもない現実であり、生き抜くための手段を模索しなければやばいぞ。

12月20日(木曜日)

朝から喉の渇きが気になる。便が3日出ていないのも非常に気になる。朝早く放射線治療の呼び出しがあり、10時半には終わって帰室、急いで昨日は入れなかったシャワーを浴びる。顎の傷を依田先生に見て頂き検尿も午後2時に終わり、抗がん剤の治療のスタートを待つばかりである。早ければ明日、遅くても来週月曜日との事であるが、年末を考えれば明日金曜日が良いはずなのにね。ただ昨日より薬が増えて大変である。とろみで溶かして飲む以外ないかもしれない。

部屋担当看護師の堀本実絵さんは若く、以前の気がよく付く門川さんによく似ている一生懸命の子である。案外海ちゃんにも評判がいい。そうこうしているうちに、午後3度の大便が出る。ここまで出るかというぐらい出たので、最後は下痢気味になる。

12月19日(水曜日)

入院手術後、1週間は完全に動けず、頬の移植部分の結合があり、ベットから動けず、常に天井を向いたままでの生活でありました。苦しいとか、しんどいとか、背中が痛いとかではなく、どうやって時間と苦痛との闘いを負けないで過ごすことにのみ全精力を使っておりました。

その後個室に戻り、一つずつ注射器、採尿器、体液排出器、食事注入弁などが外れ、部屋もシャワー月に変わった処です。

少しずつ食事も増え、やっと生きる意欲が出てきたところです。

昨日までは、明日を見つめて、とにかく食べること、意欲を消滅させないことだけに精力を費やしていました。

やっと、会社のこと、社員のこと、家族のことが考えられるようになり始めた処です。

そんなさ中、依田先生より抗がん剤治療の本日からの実施の連絡が来ました。もともと顎からの液だれが無くならないとできないという事だったのですが、ガーゼを外して行いましょうとの結果です。

WEEKLY CDDP(シスプラチン)を週1回×5回の予定で行います。副作用としては、吐き気、腎機能障害、脱毛、口内炎、便秘、骨髄抑制、(赤血球、白血球、血小板の減少)アレルギー反応などの症状が起きる可能性あり。

本日の放射線治療は1時間弱であった。顎の結合部分が完全に塞がっていないので、様子を見ながらの進行になるらしい。

考える力が衰弱しているのか、天井のシミが意味もなく頭に降り注ぎそうな不安に襲われる、理解不能な一瞬があります。案外、手術後は投薬の後遺症がこんな形で出るのかもしれないね。しっかり頬でもつねっておこう。