10月14日(日曜日)

今日は朝から熱も下がり、少し楽になる。とにかく喉の痛みと調子の悪さで改善の見込みが感じれず思考力もないどん底の状況を無限に感じてしまっていた。しかし、10時ごろ、奇跡的にえずきが発生して急に喉の光明が見え始めたのである。喉が収縮の兆しを発しているのです。なんだこれは、今まで感じることもなかった気配に、これは行けるぞ。明日の耳鼻咽喉科の検診が15時である。とにかくそれまで特訓をして何とか声が出るように取り組もう。治らないと言われている反回神経麻痺、食事をまともにできない現状であるから、喉が少しでも動くよう取り組もう。頑張るぞ。さて、今日も海ちゃんとつっちゃんが二人で来てくれた。昨日の熱でびっくりしていたので、それが今は声が少し出ているのでこれには驚いていた。何ともいえず遣り甲斐があるもんですね。昼ごはんもおかゆはしっかり噛めば(口を動かしているだけで、実際は噛めていないのであるが)飲み込めるので大きな問題が無いことが分かった。どちらにしても、誰が見ても大変な状況にある外観なので誰にも見られたくない状況であります、出来れば元気になってから知人に会いたいものだ。

早く来週は食事が本当に問題なく食べれる状況を掴まなければならない。ただ,焦らない事としっかり忍耐づよく努力することが大切である。人生、塞翁が馬とか云うが、本当に何で僕にここまでの試練を乗り越える必要があるのか、しみじみと入院中に考えよう。

次期社長育成、取締役の教育及び責任感の育成、社員間の風通しの壁をなくす等、今やらなければならない問題を皆と解決せねばならない。

体を治すことと同じく、社員のことも最大限考えねば大きな問題が起きそうである。

元気にならなきゃダメだよな。身体も、心も、特に精神力が萎えないように気持ちをしっかりと地につけて立つ、豊かな人間だろ、頑張れ。

10月13日(土曜日)

海ちゃんがつっちゃんと共に来る、少しでも元気に振る舞いたいのであるが、気力が付いていかない、空回りして苦笑いが精一杯で少し悲しいのだ。心の中ではおしゃべりを一杯しているのにしゃべれない苦しさが本当に今の地獄的な瞬間である。続いて矢部君がその後来る、現在の仕事の進行と今後の仕事の手配など、また古―ちゃんが心配していたとの事。幹部全員に危機感を持つこと、責任の持ち方をしっかり持ってもらわねばならない。体力的な問題もあり,全くまともな記録を記述出来なかった。何も出来ない自分に単なる絶望と、回復出来るのだろうかとの不安に潰れそうになるのだ。術後があまりに今回はきつかった。本日初めてシャワーをし、その後高熱が40度を越えて出て、胸の点滴口2か所を止められ、腕に変更。すると不思議、次第に体中の悪寒と震えが次第になくなり39度の熱が36,8度まで下がる。

良かった、あのまま意識がなくなるような気がしていたので、大きく深呼吸をして、つまらない思考をゼロに戻せた。よし、元気になろう。

10月2日(火曜日)

とうとう明日が手術です。25時間ほどは麻酔で寝たきりになります。集中治療室に入るので、どうも気持ちが落ち着かない本日であります。外科の両津先生が(担当医)桑田佳祐ややしきたかじんの病気が僕と同じらしく、手術の工程を説明するにはぴったりと思ったのだろうが、彼らに負けない経験は一杯していると思うので、元気になったらおもろい事せなあかんわ。朝7時には採血が始まり、夜は7時に下剤を飲まないといけなくなっており、うんちを看護婦に見せるという痴態を披露せねば進行しない。ほんまかいなと半信半疑となる。変な物食ってないよ、理解出来んねと聞くと看護婦は慣れたもの、食事の残物の確認をしておかないと、手術で大事になるからね。

頸と喉が相変わらず痛いのが今一番不安な点である。

3時ごろであろうか、突然の合田会長の訪問で、あっという間の2時間、いろんな話を海ちゃんも含め3人でした。旅行の話、子供の話、人生における話、病気の話、やっぱり健康が一番であると痛感。まずは今宵のこの時間を有意義にしたいと考えてみるのだが、いかんせん、明日は手術、落ち着いて話し込めるわけもなく、その間麻酔の先生、手術の書類、会社からの電話等あっという間に晩御飯、一生懸命食べたと思ったらすぐさま看護婦が、下剤を持って現れた。まいったねこれには、さっきプリン食べててよかった。

担当医両津先生が部屋をのぞきに来る。もし初めて外で会ったらまずからかって遊びたいであろう姿、喋り方、雰囲気なのであるが、担当医というだけで気分的にやたら大人の対応をする自分に驚く。

これは早く寝るか、逆に遅くまで起きていて、睡眠薬で死んだように26時間寝てしまうかである。二度目の大きな手術,生きるために必要なことならば、やらいでか。

 

 

ここで数日間が飛びます

病院の記録と共に後に甦らせるようにしましょう

10月1日(月曜日)

本日は朝早くから痛み止めの薬を飲んでくださいと看護婦が良いに来たのだ。何事や?

弱めの痛みどめやのに、、。わざわざ6時に起こすほどでもあるまいに。内視鏡検査が朝在る為多少の時間の空きを取る意図なのだろうか?

現場に於いて、本日は、手術後リハビリの予定と内視鏡検査がダブっていており、優先はリハビリ先行で行われた。息の仕方、コントロールをして、術後の感染、肺炎の併発を発生させない大切なカリキュラムなのである。約20分の腹式呼吸のやり方を終え、内視鏡検査の呼び出しで検査に行く。手術前の合計で今回で4回目である。前回食道の中の上部の癌が消えているという話であったのがやはり今回もきれいに無くなっているようである。

その為か、食道上部の切断箇所のマーキングが一度でできず、二度にわたる検査になる。

とにかくヘロヘロであります。次いでレントゲン写真で終了の運び。何か腑に落ちない。

本日は担当医、主治医、海ちゃんとを加えた手術の打ち合わせがありそこでしっかり聞くとしよう。

事もあろうに本日は大阪黒十字病院にとって年に一度の避難訓練の日に当たり、13時から地震、津波、停電、非常階段、自家発電、病院という場所における非常事態を肌で感じながら、早く自宅に帰してやりたい海ちゃんと共に、訓練最中に手術説明を受けれる結果に至り、思いっきり万歳を唱えた我々であった。

家内帰宅後マージ君と本間君が来院する。取田さんの話にもなり、話が盛り上がる最中に、看護婦の訪問があり、麻酔の先生の説明は家内にも聞いてもらわないとだめとのことで、えらい事でありましたが、急きょ明日の説明に変更をお願いし、事なきを得ました。

マージ君と本間君の話は取田さん及びパートさん、本間君の別れた二度目の家族の話をして息抜きをしました。大和田さんからのサンプルはいい感じでしたが明日説明を担当営業にするしかないでしょう。頑張れ、営業のみんな。

9月30日(日曜日)

トリフローのおかげで、本当に喉ちんこと右内頬の癌手術跡の部分が痛く、大きい口が開きません。おまけにコンクールでのうがいの時、塩水で鼻と喉掃除の時に血のりがたくさん出てきます。あまりのいがらっぽい痛さの為、痛み止めのロキソニンが出されました。確かにロキソニンを飲むと、痛みは和らぎました。手術前はあまり飲まない方が良いというのがわかります。

本日は大雨で、家内がびしょ濡れでやってきました。台風16号の為です。外の景色を見ていると、早めに家に帰さないとわがまま娘のミルキーが騒いでいそうで、いつもより早めに帰しました。もっと精神的にタフにならないと、海ちゃんに対する想いが時々イライラに代わるのが本当に情けなく思う時がある。どうもいかんね。

本日は東京より、KMMの古―ちゃんが寄ってくれた。JJの仕事の内容の伝達があったのであるが、まあお見舞いを本線としておこう。お互いよくこの年齢まで走り続けているものである。どうも彼と会うと仕事モードになってしまう、これは悪い癖だなあ。

嵐の去った夜景を見ながら今回は、入院に於いて、様々な問題としっかり向き合いクリアーにしなければならない事が山積だ。逃げなかったらどうにかなるやろ。

健康を取り戻すことがまず一番やね。それ以外は今は何も関係なしで行かんとね。

9月29日(土曜日)

朝は、看護婦により起こされた。体が痛くてなかなか起きれない。シャワー付きの個室はいつでも使える良さ、朝は洗顔及び頭を洗ってシャキッとできるのでとてもよろしい。

今度の部屋は11階で配置的なものでぎりぎり大阪城の天守閣のみが見える。ビルの上に取り付けたかのような淡い緑の風貌は異にして美なりでありますな。1126号室に入って半日以上になるが、なんか痒いのである。変な虫がいなければいいのであるがちょっと気になる。トリフローでごまかすしかないか。

トリフローについての取り組みと結果に触れよう。簡単に言えば直径2センチぐらいのボール3個が並んでおり、それを息によって吸って一つづつ引上げ3個同時に何秒引き上げれるかを一日5回以上行ってください、息を吹く場合はトリフローを逆さにし、吹いた力でボールを一つづつ引上げなるべくたくさんのボールを長い時間引き上げて置くための努力をやり続けるということである。喉と胃の縫合部分からの血液とか膿み、自然と溜まる痰を口から吐き出すことが重要になるからだ。パソコンを触るだけで頸と肩が痛いのだが

(トリフローで最後の息を吐くとき頸や肩に過敏に力が入るため)頑張ってやるかいな。

日比田花壇が嫁への花束の配達ミスの連絡あり。2度目です。もういい加減にしてください。海ちゃんの機嫌が悪いです、何度も同じ失敗はやめてほしいですね。

9月28日(金曜日) 入院2日目

朝早くから山岡主治医が部屋に来られて、体の具合を聞いてこられる。昨日の吸引器KENDALLを数時間で一日分行い、本日目覚めと共に頸、顎、頬と至る所が非常に痛く、完全に手術用呼吸訓練のたまものであると確信しているのであるが、先生にホンマに痛いですと伝え、対応の確認をしたかったのですが, そうですか の返事に、にやりと含み笑いの味付けがしてありました。

久しぶりの朝飯の出番です。時間は7時30分、7分粥、肉そぼろ、芙2個入りの味噌汁、かつおのふりかけ、バナナ、牛乳パックと健康管理上のバランスはいいのかな?ただ食事時間は15分で終わりましたね。速攻での流し込みで処理、味わうとか、必要以上に時間をかけると、逆に誤飲や,咳込みを引き起こします。何でも、回数を重ねると、自然と食事をする知恵が付きました。本日シャワー付きの個室に変更になります、一日だけの特別室よ、さようなら。これ以降の文面はもう部屋が変わっています。

リハビリテーションより呼び出しが入り出かけるが、看護婦手配のミスで30分遅れる事態が発生。これはやはり現場がしっかりしている日赤では30分の遅れは次の予約とダブるため再度予約の取り直しとなり、50分後の再来指示となる。納得いかんわホンマ。

リハビリ師三田氏から呼吸法を教わる。手術後の呼吸器合併症予防のリハビリであった。以外に我々は単純に日常生活で、あらゆる体の機能が退化していることに気付く。

手術までトリフロー(KENDALL)の訓練による肺炎防止が大きな仕事である。

ただ、頸、肩、喉この痛さとの闘いである。

本日は妻,海ちゃんの52回目の誕生日でありました。ケーキも買ってやれず、外食も出来ず、メッセージカードのみ渡した忘れられない日になりました。

本当に、ありがとう、そして 誕生日おめでとう。 おめでとう は一体何時まで言うのかな?いくつになっても嬉しいものか、そんなものか、何故か入院を続けていると変な価値観に陥る事があるものです。

大阪日赤病院再入院の始まり 9月27日(木曜日)

本日野田ちゃんに乗せてもらって、入院と相成りました。やはり、いざ入院してみると人間と云う奴は現金なもので、以前の小さな工程が少しずつ蘇ります。部屋は恐ろしく広い個室で42000円の部屋であります。ただ一般の個室の空きがあれば変えてねとお願いしており、明日からはシャワー付き個室になるとのことで一安心です。今日は部屋の空気を満喫しておきたいところでありますが、残念ながら事前入院には大切な理由があり、本日より手術前のリハビリが用意されていました。本担当の女性(上条さん)は夜勤の為、代役で後藤 妙さんが丁寧に説明をしてくれました。息を吸って、吐いての力を付けるということです。我が妻、海ちゃんはこの部屋は寝やすいとソファーで軽くいびきをかいておりました。
何とも落ち着かない時間をやりくりして、KENDALLというそのリハビリ器具で遊んでいると、吉井悟 先生が、手術後の痰の無理のない排出及び息づまり時の痛みの防止になるとのことで何度かトライをお見せすると、そこそこの力で3秒以上の持続が必要とのこと、これから6日間頑張って取り組むしかないですな。
書類を持って浜多摩君が部屋に来てくれたのであるが、目のやり場のなさが如実にわかりちょっと荷が重かったかなとも思う。彼ももっと自分を高めていい時期だよな,頑張れよ。
今回は、明日からも含めてシャワー付きの個室なので、いつでも汗を流せるのがいい?いやいつでも体を温めれるのが良いであろう、何せ病院でどうやったって汗はかかないもんね。
静かな一人の部屋では、クレメンティーヌの寝ぼけた声と、ノラジョーンズのかったるい声が心地よく身に染みてくるのである。大きな窓からのぞくビルの群れの先に、大阪城の周囲に植え込まれた桜の木が都会のオアシスのようにぽつりと高層ビル同士のの隙間から
あんたまた来たか、頑張れよ と囁いているかに感じてしまう。歌のせいでもあるよな、これは、、、
7分粥の晩飯はさすがに、手術後の喉が小さい今の僕でも15分も要すことはなく、シャワー後にテレビでも見るかとベットに横になった時、ドアをたたく音と共に主治医、片岡幸三医師であった。またまたKENDALLでの息の使い方のチェックに始まり、現在飲んでいる痛み止めの弊害の説明を受ける。痛み止めの変更と来週月曜日の手術説明などのスケジュール並びに、手術自体7時間~8時間掛かる大手術というのである。僕は簡単そうに考えていたが、これには参った。なるようにしかならんだろう。
痛み止めが変更になった。弱くするらしい。本番の手術後に影響が出る可能性があるらしい。ここで素直に従わないのはあまりに子供っぽく、二つ返事で了解しました と優等生の答弁を返した次第である。今の自分は、運命を受け入れる事に徹する覚悟なのだ。

2012年8月13日

手術後1か月ちょうど経ちました。状況があまり芳しくなく、喉が調子良くならない状態に陥っています。

毎晩の睡眠時に呼吸が上手くいかず、目覚めと共に口内が血糊とカラカラのつばの無い状況で、息苦しい朝が続いているのです。

当然大きな口は開きませんし、全身、特に頭が痛く、肩等も筋が収縮しています。

ゆっくりと温水プールを歩き、蒸しサウナで冷えた体を温めて、ストレッチをしながら、コリをほぐすように取り組んでいるのですが中々前進しません。

どうも今日はそのYFC(八戸ノ里フィットネスクラブ)で調子に乗ってリハビリをしたのが仇になっているようです。息苦しくて、就寝できず、喉に何かが詰まっているような状態が続き,咳き込み、海ちゃん、ミルキーは大変心配している状況であります。

朝から今日は新聞のチラシ、スギ薬局オープンに合わせて、肩こりによる頸の腫れに手を加えるために何とかしないと寝れません。

お店でボルタレンテープを購入し海ちゃんに付けて貰うことが10時リミットの必須事項でありました。

やはり、水中歩行及び平泳ぎ及び低温サウナの3段活用を40分1セットの3セットを毎日行っていくと、なんと次第に喉の具合が芳しくない状況に陥っていたものが、少しづつ良化に向けて歩み始めた様です。

あくまで、どれだけの距離があり、どんだけ障害物があるかは解りませんけどね。

やは物事には時間を超えようとする行為は許されない不道徳でありお医者の神様からすれば 我慢せんかい、焦るなあほ、ぼちぼち行けゆうたやろ てなところです。自分でのた打ち回る状況の中情けないやら、あほらしいやら、、、。

本日は午後より前代未聞の告訴中間確認になります。お盆真っ最中やのに、七尾警察さんご苦労様です。

今、外部で苦労するのが、階段を上るのが、ことのほかきつい、大仕事で、後遺症が全身に重くのしかかるので、人目に付かないようにゆっくり昇ろうっと。

2012年8月7日

退院後6日になりました。

少しずつ変わっているのは解るのですが、あまりに自分が急ぐことに慣れており、ゆっくり進むことが苦手で、時間との闘いと、体中の悲鳴が聞こえてきます。

食事はまだまだ普通のものは喉を通りません。歯磨きに合わせ血液が出ることが減ってきました。

ただ頸、顎、肩、頭とそれぞれの痺れと痛みがじわりじわりと身体中を侵食しているように錯覚してしまうほど、耳の中で蝉が鳴いています。

深呼吸をして落ち着いて、精神の平安を取り戻そうともがいていますが、なかなか難しいものです。文字を読もうとすると、以前の十倍程度の疲労が頸と頭に響き、立ちくらみのようなフラフラの状態になってしまいます。

以前に比べ、読書とか、書類を書くとかが、予想を超えて体を蝕んでいる病巣が邪魔をしてきます。

焦らない焦らない、本当に少しずつ,良くなっているのでしょう。言葉がしゃべりずらいのも、以前に比べればだいぶましになりました。

もともと言葉を発することが出来なかったのだから実は大したものなんだけど、もう欲に支配されてきていrね。

5分もしゃべると疲れて呂律が回らなくなります。

まあそんなもんだ、顎が鉛のように重く感じるし、頸が痛く締め付けられて、息がしずらく苦しい。力むと余計に苦しくなるのだ。

その葛藤が一番しんどいですね。意思表示が本当に出来ない。気長に、ゆっくり、転ばぬようもっと周りを見ようと思っているのですが、まだまだ辛抱、我慢が足りません。

明日から自分に腹を立てるのを少しでも控えて、怒らないで行きたいと思います。

ガンバルンバ、ほうねんくん。

食事を食べやすくしてくれているので、何とか流し込めています。喉に詰めないように最大限の注意を払わねばなりません。

一旦咽るとせき込んで当分元に戻らず、口から血が出たりします。

食事も焦らないで、おいしくゆっくり食べよう。

海ちゃん、ありがとう。