食と社会を思う  20140527

これからの人間の在り方とは、先人の知恵、英知を参考に、とにかく不要物、廃棄物を無くす事、すなわち、捨てるものはまず無くすことである。

コンビニ始め、あらゆるファーストフード、スーパーまでが顧客獲得合戦に突入しており、ことさら日本と云う社会では、便利と手抜き、手間いらず、簡単に走りすぎており、日本食が無形文化財になった処で、お母さんの味、おばあちゃんの味、我が家の梅干し,味噌、漬物などの価値観の見直しをもっとすべきだと思う。実際、無添加のジャム、出汁、煮物など、癌を患い添加物に対し敏感になっており常にこれからの社会、世界を考えた生き方、食文化を支えたいと思ってしまいますね。

簡単で美味しいものは、本当にたくさんあり、簡単に手に入るのです。

人間性にも、そういった環境が大きな問題になってきているように思えてなりません。全てに於いて自分とか過去と比較するのは良くなく、良いとこどり、今に即した方法が良いのですが、まず何でも手に入る状況は如何な物かということである。

一番は、遊び道具の多さ、二番は、テレビなど情報量の多さ、三番は携帯他ゲームによる実体験の伴わない視覚の多さ、父、母、教師、近所のおやじ、爺さん、ばあさんなど子供に対する目上の人たちの価値観の多様化、感謝の無さを痛感する。

なぜ、子供が外、公園で遊ばないのか?夏休みに公園で子供を見る機会が今は殆ど無い。当然、春休み、冬休みも同じである。

大型スーパーとかで、体験型の物づくりが流行っているが、これはよろしい。

しかし、お金が掛かりすぎるものは如何なものかと思わざるを得ない。素材にお金が掛かるケーキショップとすると、まず安く上がるクッキーからしてはどうか?

チジミ、流し焼き(岡山の乗せ焼の名)でいいではないか。

材料持ち込みで安くする方が良心的であると思う。

キャンプは何時からかテントは張られていたり、食事が付いていたり、材料も買い出しもいらないところが増えた。

子供会など、近所付き合いが減ってきている。個人個人で、好きな施設に行けるのだ。

家族という単位はとても大切な存在であるが、共同生活、作業で身に付く相手の立場、やさしさ、感謝の気持ちは色々な経験、予測できない事態が大きく関わっている事が大半である。見直したい限りだ。

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