とあるラジオで、福井の水ようかんの美味しさをしきりにゲストが喋っていた。たかが水ようかんと思いきや?いや、商品(水ようかん)を買うと、1ケースというか1個をついつい食べきってしまうとしきりに言うのである。
美味しすぎて、気が付いたら、全部食べていて、又すぐ食べたくなるというのである。 もちろん、卑しい僕は、すぐ調べまくり、初回にミスは出来ないので、調べつくすと、餅屋さんが出している水ようかんが見つかった。
その餅屋では、販売商品がどれも美味しそうで、変な添加物も全く使っていないお店と判明、早速5個を申込み手配した。
半信半疑だが、楽しみに待つこと3日、林 餅店 から福井の水ようかんが届き、海ちゃんと一緒に食す。 うまい、北海道の十勝産大納言小豆、沖縄産黒糖で作ったのど越しの良さをうたっているのだが、まさにその通り、ただ 冬に食べる福井の水ようかん という表現は如何なものかと思うのでありますが、冬でも食べたいと主張しているのでしょうかね?
いずれにしても、とにかくあっという間にツルリと食べてしまうのである。
僕はもともと小豆には異常な執着を持っているほど大好きであり、水ようかんとなると、小豆の粒がちりばめられた半透明でありながら艶々とした切口のもの、口に含むと甘さ、あずきのふくよかさが広がるそれが、唯一の水ようかんであったのに、初めて小豆の形の無い、ましてや黒糖を使った水ようかん、こんなものが存在したのか、多分いろんなところで目にしたことが在ったかもしれないが、まず外観では絶対買っていないと思う。
どう見ても、価値ある外観はしていない。
ラジオで入手したこの水ようかん、知らないということは、案外、損をしているのかもしれない。
心の満足って必要だなと思わずにいられないのである。
海ちゃんのおかず日和、たけのこ、4月のとある日に、京都の筍を頂いた。灰汁を米ぬかで取り、厚揚げ、わらびと一緒に柔らかくなるまでしっかり煮込む。春を告げる僕のお気に入りの食べ物のひとつである。残念なことに、家族は海ちゃん、なおくんと灰汁あるものが大の苦手と来ている。ほぼ、僕が一人で食べるに等しい。なんと、青くさい良い香り、これまた生命を感じないではいられない、幸せな瞬間でありました。