がんの後遺症     20141012

 

がんの後遺症 1  20141012

喉頭がん、咽頭癌、食道癌の手術をして、1年と8か月近くになると、後遺症がどれかと考える。

咽頭癌後に、再度頬の癌が見つかり、その時の手術が一番きつかったので、その後遺症のような気もするが、ただ日々進化していく身体については、自信を持って良い物は良いと云える気がする。

癌とは、手術のタイミング、病院設備、先生の取り組み、可能性の追求をあきらめずとことん取組み続けることが全ての基本であると思う。

また、絶対良くなるぞという負ける事の無い過信が本当に現実に体中訴細胞の免疫を目覚めさせ、あらゆる部分が息を吹き返してくるのである。

教授、先生、担当医、看護婦、自分自身、家族、あらゆる環境が、目的意識が消えない限り絶対に回復すると信じている。

入院中、それもわずか初回で、喉の反回神経麻痺が決定的になり、食事が上手くいかず少しずつ食すのだが、もともと卑しい生い立ちと食欲上、少し調子が良ければついいつもより多めに食べると、テーブルから落ちた箸を拾おうとすると何と食したものが逆流するのだ。しかもあっという間に事態は起こる。

大したことではない。中々自分では腹八分目が手術後理解できないが、深呼吸を少しずつ行って、腹式呼吸でゆっくり腸の方に降りるようにしてやると楽になる。

毎回、腹十分目を目指して、少しずつでも食事の摂取量を増やしていくことだ。

必ず、気が付けば胃が出来、大きくなる筈である。

右頬の移植手術で、右股の皮膚を約30㎝に渡り切除し移植しているので、手術後2週間の開口が出来ず、なおかつ顎に於いては半分に切断し、骨部分にはホチキスのような金属接合痕が残り、顎、唇には少なからず切断と縫合の跡が存在する。

この後遺症はすざまじい。

耳鳴りを伴い、右耳が聞こえない。痺れが顎、耳下、舌、頬、唇に発生した。

口の噛み合わせがずれるし、口が開かない。

頸右側の筋肉の切除により、頭痛と肩痛が激しく、頭を支える力が頸に無いのだ。

口を開ける練習を繰り返し取り組むと、痺れがひどくなり、舌がもつれた様になる。

放射線治療による唾液腺の消失は、病院では、治らないとのことである。

不思議なのは、手術前は、慣れるし大したことは無いですよ。沢山同じ患者さんはいますけど、皆さん良くなっています と話していたのである。

サラジェンと云う疑似唾液スプレーは大きな助けにはなるが、物を食す場合には通用しない。

とろみ剤が薬局にあり、これを使い飲み物に入れて飲むと比較的誤飲をせず、喉詰まりの助けになる。

大きく口を開けるのは、少しづつ取り組むもので、無理をすると、頭痛と肩こり、耳鳴りが収まらず、宇宙遊泳をしているような感覚に陥る。

舌の痺れは、はちみつやヨーグルト、バナナ、全てに於いて免疫力アップ以外は考えられないと思う。声は出さなくても舌を前後左右に動かす動作は必要である。

痛いが、無理をしないで放置すると、まず回復は見込めないと思うのだが、如何なものか。

 

友人とのお別れ    20141008

 

友人とのお別れ   20141008

海ちゃんの友達であり、我が息子の同級生の親でもあり、僕の入院時に、海ちゃんが僕の入院病院へ行く途中の電車で友人夫婦に会い、僕が回復したら一緒に電車で外出したいと思っていた 今後の目標にしていた夫婦であったのだが、その後主人が頭痛と眩暈で脳腫瘍と分かり、入院 手術をし、わずか9か月で永眠になったのである。

その奥さんから最初に病状を聞いたときに、良い病院であるとか治療方法などを探しては海ちゃんと心配をしていたのです。

早く元気になって、ご主人といつか一緒にゴルフに行ければいいなと、自分に言い聞かせてリハビリに取り組んでいたのだが、中々思い通りにはならないものだ。

たまたま僕は、入院したままで会えていない母を見に、息子と車で岡山の病院に行くことが決まっていた為、お通夜と葬儀のどちらも行けなかったのであるが、その分海ちゃんがお通夜も葬儀も受け付けを手伝い、老犬を残して頑張ってくれていました。

女性はやはり、いざとなるとすごいパワーを発揮するものだと今回つくづく思いました。主人を亡くした奥さんは、永眠時は心ここに非ずの夢遊病者の呈をしていたと聞きましたが、葬儀はしっかりと喪主としてしっかりと話を述べられたようです。

以前は、時々僕も逢うことが在り、気さくな優しそうなイメージの女性でしたが、あまりに疲れか睡眠不足か、相当に痩せてやつれている様に聞きました。

自分たちの事のように置き換えてしまって落ち込むわけにもいかずご主人の分も今後の人生を楽しんでください。悲しんで、落ち込んで、でも喜んで、笑ってください。

お子さんは27歳にして大変な経験の中、大きく変わったと聞きました。

確か僕と同い年であったように思いますがこれからも海ちゃんを宜しく、ときどき遊んでください、楽しい話をきたいしています。

やはり、毎回葬儀では、蝋人形のように肉体ではないように感じるとおもってしまいます。生きている間に、思い残すことの無い人生にするために、やっぱり復活しよう。

ご主人の冥福を祈ります、いつかご主人の分もゴルフで遊べるようになろう。

その時は、僕の打つ球で、一緒に遊びましょう。右頸の筋肉が無くあまり力の入らない右手になってください。リハビリに新たな目標が出来ましたこと、応援ください。

不慮の事故   20141002

不慮の事故   20141002

新聞、テレビでは、木曽の御嶽山の噴火の報道で他の事件や、出来事が予定の順位での扱いを受けていないものが多々ある。

事態は現在、死者47名、行方不明者の検索は今後行われるという状況である。今まで、紅葉を主体として観光場所であったところが、一夜にして凄惨な場所に変貌を遂げている。山岳救助の全てを集結し、自衛隊がヘリコプターを駆使し、天候不順では登山隊を編成し活動報告が主流となっている。

まだまだ噴煙は続いており、有毒ガスも蔓延していて、明確な結果は未だ数日を要すのであろう。

行方不明で,山下で家族を待ち続ける人の心情は筆舌しがたい、無念としか言いようがない。

現在の世の中は、老後のことを事あるごとに先延ばしにする政治風潮があるが、補償をしっかりとして豊かな現在を過ごす人が増えないとさみしい限りである。

運命と云えばそれまでであるが、残った家族の方たちのより強い生き方、人生を応援したい。亡くなった方の分もしょって泣き、笑い、謳歌して欲しいと切に思う。

自分につい置き換えてしまうのであるが、生かされている自分の責務とは、生き抜く、五感を駆使して可能な限りの感動を味わう、そんな神の声が降り注ぐような気がする。

天候に左右される場所であるだけに、行方不明の家族の方は、相当な体力の消耗と、精神的な苦痛と、得体のしれない不安だらけであろうと思う。

少しでも早く、なるべく痛んでいない状況での発見と救出を願うばかりである。

冥福を祈る。やはり自然は驚異であり誰も予測がつかないことが沢山あるものだ。

 

積雪、天候の状況で、数人の行方不明の人を残して越年となり、翌6月に再捜索となる。まだ残雪1メートルであるが、少しでも残された家族の元へ帰られることを願う。

 

初めてのお店    20140928

 

初めてのお店   20140928

このところ、すこぶる天気が良く、涼しさも加わり秋の装いになってきた。朝と夕方の寒さだけ注意が必要で、至る所で風邪ひきの人に出会うのだ。

上六の王子歯科で検診後、海ちゃんの誕生日のケーキを買いに、初めてのお店、リエルグ に行った。

どれも美味しそうで、初めてなので7種類を購入しました。息子を含め三人で味を見ながら店の評価をしたいのが本音であります。なんせ、シェ アオタニを抑えての一位ですから、期待が一杯になるのはしょうがない処。

小森の姓を取って リエ 修行していた地元の名前が ルグ その掛け合わせが店名らしい。

結構地元では愛されているようである。

誕生日のケーキを大きなもの一つから、小さなものを5~6個に変更をしたのは、色んな味を楽しむ事と、飽きないで食べつくす為に我が家では数年前から変更しているのだ。

夕食は、韓国肉料理 サムゲタン を食べ、ケーキを皆で食す。

さて、ケーキの味であるが、これはもちろん人それぞれ十人十色であり僕の感想であるが

ひと切れが一般より少し小さめで、味は非常に濃厚である。なるほど、人気店という趣であるが、常時食すには少しきつめかな、私は未だ喉が回復途上だからかマロングラッセが一番おいしかった。

ワインを買うつもりであったが、お腹がいっぱいで入らなかったであろう、至福である。

末娘ミルキーもおこぼれの生クリームに満足しているようである。

 

 

 

 言葉の不思議    20140930

何時ものバスと京都駅 P1000595

言葉の不思議    20140930

朝、おはよう の言葉を投げかける。挨拶であり今日も一日元気に過ごすぞ という気持ちが入る場合と、寝覚めが悪く体調が思わしくない状況の おはよう では天と地程の差が生じてしまうものである。

こればかりは、好むと好まざるとに関わらず、自然発生と云うべき事態である。

さて、京都に行く大阪バスはかれこれ150回になると思うがドライバーでこちらの気分もすこぶる変化をきたす。

中でも年配の篠ちゃんというおじいさんは何時でも おはようございます と大きな声で必ず一人ひとりに声を掛けるのだ。 こちらは嫌なことが在っても思わずもういいや、と元気になってしまう程の出来事になるのである。いつの間にか、バスに乗る時に、ついついドライバーをチェックしてしまう癖がついてしまった。

中には、挨拶もなく、無愛想な人もいるし、会釈しかしないのだがほのぼの感が漂っている人もいて、わずか一分足らずの瞬間でこうも気分が左右されるとは、我ながら驚きである。

まだまだ笑顔、挨拶が大きな反応をもたらす不思議に出会いと、挨拶の大切さを感じる。

胸が躍る瞬間であり、ついつい微笑んでしまうのって、良いよね。