ささやかな冷気     20150709

ひえひえささやかな冷気        20150709

パタン、ゴトン ちょうど郵便が届き、故郷の香りが郵便屋さんの荷物から漂ってきた。どこかで嗅いだ事のある匂いに、私の全神経がめまぐるしく動いたのです。何時もなら渇いたのどを鳴らす時間帯に、何故か涼やかな気配がしています。

受け取ったお父さんは荷物をテーブルに置き、カッターナイフを取り出して梱包を開けると、 ありゃー、可愛い夏ミカンやわ とお母さんに告げ私の目の前に翳して 要るかい と目で訴えているようだ。

なーんだ、かんきつ類の匂いだったのか、酸っぱそうな感じだし、どっちでもいい食べ物だもんね、私には、、。

お父さんはそれを承知で私の頬にくっつけるように一つ置くのです。

当然私は隙を見て鼻でパターをするように転がしてやったの。 それが予定通りだったのかお父さんは嬉しそうにして、ほら涼しいよ と言って荷物の底から蓄冷剤を見つけ出してタオルに包んで私の顎に置いてくれました。

西日が強いこの時間では顎をクールダウンすると頭と胸が気持ちよくなるのです。

ちょうど汗ばむ縁側でガブリとひと齧り、スイカの香りに包まれる心地よさがあるのだが、この時間帯にひんやりとした蓄冷剤の出現と、柑橘の涼しげな香り、これは私が足腰を悪くして過ごし始めてから画期的な瞬間を作り出したのです。

唾の溜まるような夏みかんの匂いには軽やかな風情が漂っていて、暑さが消去されたかのように錯覚してしまう程の効果が在り、ましてや下から伝わる冷気は部分的に思考を緩和してくれ、何時までもこのままで居たい様な心地良さだよ。

極楽、極楽。

出来ればで良いのですが、一眠りして目覚めた頃、私のご飯茶碗にかき氷が乗っていますように、アイスクリームが添えられていますように、そんな夢を見ましょ。

 

お腹がすいちゃった     20150630

腹減りルレロ

お腹がすいちゃった        20150630

美しい季節が来ていますよ というのが私の名前、漢字に置き換えると美留季となるんですよ、初めてしゃべるけど皆には話をしたことは無かったわね。名前のせいかいつも楽しくてしょうがないといった塩梅なのです。 このところいつも思うのが、常にお腹が減っているという事。 後ろ足が動かなくなって太ることを警戒してか食事量を減されていないかしらと不安が募る。四六時中寝ているからお腹は余り減らないだろうと思っていたのにとんでもない誤算だわ。どうも自分の身体が理解できない。

いつからこんなに食欲が出たのか、まあこれは言い始めるときりがないから、多分生後4か月頃から私は卑しい食欲が表に出てきたことは間違いない。

その頃から培われた食欲はいかなる場合でも衰えることを知らない。それは食あたりで風邪を引いた状況であろうと、食べる事だけは控えることが出来ず、食事を減されるとずっと機嫌が悪い事を表にだし、誰かが食事を終えるまでいつまでも涎をたれて見つめるのだ、そうすると誰かが何かをくれるのである。私の経験がそうさせるのよ。

お父さんもあきれるけれど、私は喉に詰まらせて下呂した時も、直ぐに食べ直すの、あたりまえよ、だってのどに詰まっただけで、食べたいんだからさ ふつうのこと よ。

そんなこんなで今でもどんなことが在っても食べる事だけは止めないんだから、去年の冬だけ口の中が歯槽膿漏でどうしようもなくて奥歯近辺に物が詰まるし、食べ物がのどにも詰まって本当に食事が出来ないことがあったの。あのときは私はもう生きていけないのかって本当に投げやりになりかけてた時期があったわ。

でもお父さんが毎日口の中を掃除して歯磨きも無理やりされて又食欲が戻ったのよ。

不思議よね、そうしたら見る見る元気になちゃったんだよ、やっぱり食べる事、これが一番よ。

毎日食べているだけなのにすぐにお腹が減るのよ、殆ど歩けないから両手だけで歩くのよ、当然腰は使えないから、今は後ろの足の肉球の黒い皮膚が剥げてきて小さなころの肌色が出てきているのよ。

使わないから退化するんだわ、きっと、もうそれはびっくりよ。

生き物って細胞が生きるには、脳の指令が必要らしいの、全く人間と同じで生きようとすればそれに必要な細胞が動くはずなんだ。

だからだと思うんだけど、いつも私がお腹が減っているのは、いつも美味しいものを食べたいって思っているからよ。

それ以外には思いつかないわ、最近の悩みは、突然出ちゃううんち、お父さんにもお母さんにも助けてって言ったってすぐに出ちゃうからさ、締りが無くてごめんなさいね、あーあ、しゃべったらまたお腹ぺっこぺこ、ご飯まだかな?

 

 

歩きたい和(わ)     20150603

熱いか夏 散歩 二分の一

歩きたい日和     20150603

私は時々自分がさっきまで何をしていたのか記憶を無くすことが在ります。

何故か誰かに大きな魔法を掛けられているのかと思ったりします。ぼちぼち年を数える事が億劫になって来たのでそこら辺りは気にしない事に決めました。

だって今は、何曜日なのか見当も付きません。そんなことを考えるだけ無駄だもの。

私に曜日によってご褒美が在るならわかるけど、日にちによって素敵なイベントが予定されているなら覚えようと頑張るけど、記憶もいいかげんだよ。

この間なんか、日向ぼっこをして楽しんでいたら眠ってしまって、気が付いたらじーっと雑巾猫が私を不思議そうに見ているんだよ。

そりゃあ年を取ったらうんちがもれることもあるわよ、よだれが垂れる事もあるし、だんだん赤ちゃんに戻るんだからしょうがないさ。

お父さんと、お母さんに守られているからって、あなたたちから嫉妬されるのはごめんだよ。これは家族の絆だからね。

人の過程を、-この場合は 家庭 の方が正解かね - 私の生活をジロジロ見ないでよね、お願いしますよ。

陽射しを見るとぼちぼち梅雨の頃のきがするね、気候と香りで季節感がわかるのは、ひょっとすると私は思いのほかまだ若いような気もする、いいえ、若いんだよ、、、

多分居眠りしすぎて魔女にいたずらをされたんだわ、今度散歩で会わないかしら。

足が動いてくれないんだよ。

重しをのけておくれで無いかい、私は漬物じゃないんだからね。

腰から下が重いんだよ、今日のように湿り気と陽射しがあふれる日は外に出たくなるんだよ、知らない鳥の息吹と大地の草木と会話するうねりが 私の足に、身体に しみこんで来るもの。

雑巾猫ちゃん、あんたも住処を見つけて頑張りな、外へ出たいな、お母さん往こうよ。

お父さん連れてって、 あれれ、暴れたら また大きい方がゆるんで出たか、、

気づいてくれれば、私の思い通りだからまあいいか、

お散歩しましょう そんな日和

 

田舎時間便り続き       20150103

お腹が減ったよ

田舎時間便り続き    20150103

私の匂いが、去年の法事以来のこの家では、日頃から住み慣れている猫の匂いが充満しており、至る所にその体毛が氾濫していて、気が気ではなく全く落ち着かない。

確かに私のおうちと違い、重厚な床や、すがすがしいまでの空気で思わず鼻の奥までが蘇るような錯覚に陥るくらいの心地よさもあるにはある、それが私にはあまり居心地良さにはつながらないのは仕方のない処である。

まあお父さんと子どもたちが魚釣りをして、後で新鮮な煮魚、焼き魚を食べさせてくれることを期待しておこう。

お母さんと、お姉ちゃんが楽しく話をしてくれればいいのだけれど、おばあちゃんは余り私のことを怖がっていて寄りついてくれないから、せめて美味しい田舎の料理を食べさせてほしいな、もうこれが最後かもしれないし。

いつものせんざんき(鶏のから揚げ)それさえあれば私は納得したんだよ。他は何もいらなかったんだよ。おせち料理も何にも私にはどうでもいい料理だったから、皆がケジャンの鍋をするとか、お兄ちゃんの手配したおせち料理なんか、わたしだけ蚊帳の外さね。せんざんき は今回は無いし、お正月の定番のかまぼこを少し貰えたからこれで良しとしなきゃいけないのかな。

父さんと兄さんで釣ってきた新鮮な魚はべら、小鯛、がしら、のど黒、カサゴ、グレであったが、なかでもカサゴは最高に美味しかった。べらの刺身も初めて食べたけれどこれも甘くて柔らかな味でしたね。

毎年訪れるたびに車の中で皆で楽しみにしていたのは、まぎれもなく休憩のパーキングでのフライドチキンなんだけど、歩けない私を気遣ってか、外で食事をせず、てんぷらとパンを買って、移動しながらそれぞれが食事をするしかなかったのが本当に残念で仕方なかったのよ。

ともあれ、お父さん、お母さん、お兄ちゃん二人と長時間の移動は、本当に久しぶりで疲れても楽しいもんね、年のせいもあるけど、肩が痛いし、腰はもう痺れて動けそうにないけど、胸は幸せでいっぱいさ。

耳が遠くなってきてから、白内障で目が見ずらくなってきてから、一人っきりがいやで、留守番が出来なくなったから、皆でいるとうきうきしちゃう、見えない景色が頭には浮かぶんだよ、以前の記憶が、車窓から匂う地方の香りで湧き起こるから不思議なもんだね。

何とか四日間生き延びました、やれやれでした。もうすぐ16歳、、、。

 

田舎時間便り       20141230

お年を召します

田舎時間便り       20141230

暖冬だとか、寒波だとか、テレビや新聞では好き勝手に言いたい放題だが、冬は基本的に四季を持つ日本ではすごく寒いのである。わたしの先祖はイギリスの方らしいけれど、生まれも育ちも日本のわたしにゃ何も関係ないし、ヨーロッパより寒さは緩い筈さね。

車で田舎の今治まで帰省するのは、トイレ休憩なんかを入れると、渋滞なしでも、やっぱり5時間近く掛かるから、途中休憩をしてくれても、わたしの足は痺れと疲労で動きゃしないし、新しい車はまだ慣れていないし、耳障りなセミの鳴き声が今年は夏から未だにいなくならないから、身体は寒いのに、頭の中は未だ夏のまんまさ。

後ろ足が動かなくて行きたい処へ行けないのはほんとにつらいけど、お母さんに支えて貰って毎日匂いだけは嗅ぎ分けれるし、少しばかりの徘徊で何とかうんちが出れば私だって安心さ。

それが長旅のあとでは、動けやしないから、あれ と思う間もなくおしっこはでてるし、喉は乾くし、お腹はへるし、前足すらまともに動かないし、困ったもんだよ。

せっかく四国に帰っても海に行く元気がないのには、あかんわ。

結局、遊べないまま田舎の家について、猫の匂いだらけのする大きな居間は、今はお父さんがローラーで猫毛を取ってくれていて、お母さんが掃除機で部屋中を綺麗にしてくれているけど、何と云う名前だったか、顔に似合わない花、そうそう さくら 今回ばかりはわたしが怒らないと知ったとたんに、目の前をゆっくり歩いてのっそりと2階に歩いて行くんだもの、たまんないよ。

新年を迎える前に、わたしも大きな最後の抱負を云わせてもらわないとね。これまでの生活、生きてきた15年の年月を振り返ってみて、ちょっと物思いにふけってもいいよね。

暖かな母親のミルクを飲むことが私の唯一の楽しみだったある日、兄妹それぞれが離れ離れで新しい家族と過ごすように値段を付けられて売り出されたサ、お父さんはチャンピオン犬だったから、当然吊り上った価格になるけど、私は何故か左耳が下を向いていたから中々誰も相手にしてくれないし、冷やかしの子供は大っ嫌いだったんだよ、もうすぐ三か月と云う頃に、四人家族が来て、中でもお母さんとちっちゃな子供に気に入られて、家族会議をされて、三番目の子供になった訳さね。

わたしは三人兄弟の一番下だったから、怖がりでね、人様のおうちで初めての夜を過ごしてお腹を壊して、毎日不安な状況で、どんどん痩せて行ってしまって、二週間の病院通いで毎日点滴をされてやっと元に戻ったんだよ。

本当は、売られるときに、お店の人にいじわるされていたんだよ、半分人間不審に陥っていたけど、この家族は最高と分かった瞬間だったんだよ、幸せ者だよ、私は。

眠いね、、、お休み。

私の自慢      20141201

クールマットのミルキー私の自慢     20141201 このところ、肌寒くなってきて、ついついクッション性のいいミニソファーで居眠りをしたくなる。特に天気のいい日に午後の暖かな西日を浴びて道行く人を見るともなく眺めたり、季節の香りをかいだり、散歩する奴らを威嚇したいのだけれど、年と共に足腰が立たなくなり、吠えきれないのが残念である。 時々、おやつをくれる犬友達が時々塀の下から顔を覗けて私に手を振ってくれるのだ。 そうかと思えば、我が家のガレージに勝手に住み始めた黒猫 ひょこたん が西日を入れる縁側にお腹がすいては顔を出し、私を怒らせたがるのだ。 ひがなのんびりとした毎日であっても、胴長の私は、ヘルニアと脊椎症でほぼ前足しか使えない状況だから、お父さんがお灸をしてくれたり、超音波で足と腰の神経に刺激を与えて少しでも動く体の持続と退化の防止をしてくれている。 年を取ると共に、わたしは眠いときに眠って時々外の空気に触れればいいだけなんだけど、時々調子に乗って自分で出来ると思って動いていて思い通りにならずゴツン と頭を打って転び、立てないでもがいていたら何が何だか分からなくなって、部屋の中なのか、見知らぬパーキングなのか、公園わきの自転車置き場なのか全く今いる場所が解らなく泣き叫んでいると、お父さんが気づいてたすけてくれたことがあったわね。背中を何度もさすってもらって、少しづつ意識が戻って、あれまあ、妙な時間を過ごした記憶に浸り、寝たらもう何にも覚えてないもんね。 私は元気さね。 まだまだ美味しいものを一杯食べるよ。 歩けるもんね、お母さんの援助が在れば、ということは、お父さんの治療も相当な効果が在るのかしらん。 おかげで耳は遠くなったけれど、匂いと、食欲は一向に衰えないのかな? そのうち、朝が来なかったら最後なんて、私の願いを公園の銀杏の木の下に書いておこうかしらん。 最近又新しいおやつが出始めたわね。鶏のささみで少し柔らかいもの。いつの間にか柔らかいご飯が増えたのが嫌だけど、食べ易いものね、あれこれ考えると疲れて眠いわ、うほーい。

睡眠が長寿の秘訣     20141120

うたたね

睡眠が長寿の秘訣  20141120

眠りから目覚めるには、最近は予定も予測も立たなくなってきた。まあ、気が付けば

15歳と9か月、その間には、子供の釣り針が口に刺さり、救急で動物病院で麻酔をされ抜かれたこともあったんですよ。お父さんがいないときにお母さんと子ども二人に連れられて海に行った時の事だから、なんか不安だなあと思っていたら、やっぱりその通りになったのよね。

ペットショップで買ってくれる時も大変だったからしょうがなかったけれど、何故かコーギーの血統書はあるのだけれど、私の片方の耳だけは下がっていて変だったから

皆触ってくれないし、早くからお母さんと兄弟とを分離させられたのでさみしくてしょうがなかったんだ。たまたま、一組の家族が来て、他の犬ばかり見て、私の所はちょっとだけ止まってくれたけど、一杯犬種が居たから無理っぽかったんだけど、子供と母さんが これにしよう てお父さんに云ってくれて、家族談議の後に選んでくれたんだ。 でもお腹を何時も壊していて、飼われ始めて2週間は毎日動物病院で注射に点滴をしながらやっとの思いで普通に生活が出来るようになったわけ。

魚釣りや、海水浴、川、登山、雪山、田舎への帰省、家族旅行でいろんなところに連れて行ってもらったから嬉しかったわ。

今は中々足が動き辛いから、この間の愛媛行きは大変だったな。淡路島で休憩して、芝生で休んで、おしっこをして、いざ着いたら、体中にノミがいっぱいになり、ちょっとびっくり、お母さんとお父さんが必死で取ってくれたんだけど取りきれなくて、病院で薬を貰ってやっと元に戻ったんだ。

耳もだんだん聞こえなくなって、今はご飯とおやつを食べることが一番幸せな事、やっぱり食事を抜いては人生は無いよね、後は、お父さんがお灸をしてくれたり、超音波をしてくれたり、お母さんが体を伸ばしてくれたりして過ごすの。

お母さんとの散歩では、お米屋さんの家でくれるパン、公園でくれるおやつ、それを目当てに必死で歩こうと踏ん張っています。

後は、お父さんかお母さんの前で寝ているのが常で、一日のほぼ大半 20時間はねているかな。 もう疲れて、眠くて仕方ないから、ただ最近、黒猫が毎日覗きに来るから嫌だわ。いい加減にしてよね。時々私のおやつが窓の外にそっと置かれているのを知っているんだから、程々にしないと、許さないわよ。

もう、疲れたから、しっかりマッサージをして貰ったから寝るね。

ひょこひょこ寄ってくる猫のひょこ、私のお母さんとお父さんの気を引くのは大目に見てあげるから、遠慮はしてよ。

あなたは障害が在るみたいだから、いじわるとか知らん顔も出来ないし、しっかり頑張ってね、お休み。

ざれごと - 1     20141029

 

人生の教訓 ざれごと-1      20141029

僕は、生きていくうえで、様々な出来事に遭遇し、色んな考え方を持ち、今生きているのだが、その経験から、いくつかの大切な記憶の引き出しを出してみよう。

両親から引き継いだ引き出しや、拾った引き出し、先生から頂いた引き出し、友達と作り上げた引き出し、夫婦で作り上げた引き出し、子供に教えられた引き出し、気が付けば涙で出来ていた引き出し、ペットから授かった引き出し、書物から教わり経験を通して築いた引き出し等、誰もが気づかないでいたものがたくさんあるような気がするのである。

引出の い

良い 良い事ばかりが続くことは無い。でも悪い事ばかりが続くことも無い。唯思うのは、自分で歩みだす事が大切であると思う。そうすれば、何があっても納得するはずである。出来るなら、嫌なことは忘れるに限る。

愚かなことは反省し、繰り返さない事である。

物事は決して諦めないでほしい。先に何が在り、どんなことが起きるか、どんな出会いがあるか、全てが何かしらの意味を持っているのかもしれない。

人を愛せる事が出来れば、そんな素敵な瞬間は、生きていく最も素晴らしい事です。

一人ぼっちにはならないでください。

生きる力が半減します。もっともさみしい事です。

生きとし生けるもの、全ての命を見てみると、植物も、様々な虫たちも、あらゆる動物も、水中の魚たちも、それぞれの命が今を生きています。

人生は、地球から比べれば一瞬かも知れないけれど、人それぞれの価値は、希少なものです。

 

引出の ろ

ろくでもない これは日本語独自の表現ですかね、のらりくらりとして、何の役にもたたないこと、意味の無い事だと思うのです。

でも、そんなことは無いような気がしますね。僕は、全てに何らかの価値とか、必然とする意味、あるいはメッセージが在るように思っています。

それを探ることが楽しかったり、くやしかったり、つらかったり、悲しかったりするのですが、ついつい考えることが好きなのでしょう。

 

引出の は

歯がゆい なんとこれは人類史上に、人間にもたらされた感情ではないであろうか。

予定通り物事が運ばない とか、こうすればいいのに だとか、ゆっくりのんびりと処理進行する とか、そんな場合に発生する表現であろう。

今にして思えば、世の中十人十色、そんなことでびっくりしなさんな といったところであろう。年を取るとともに、いいじゃないの、別に。人それぞれだよ。

でも、こんな心持の一部が、機能性とか、便利と云った今の製品、もしくは情報処理技術が飛躍的に伸びる根本であったのかもしれない。

他の動物の世界には存在しない感情ではないだろうか。

とこしえまつり      20141019

P1000674 P1000673とこしえ秋祭り    20141019

台風一過後の秋晴れの休日、全国的な快晴を不思議なくらい耳にした本日、大学時代 の友人が、大阪上本町の高津宮で、とこしえ秋祭り を覗いた。

秋田からも知人が来て、一緒にコーヒーを飲み、歓談をたくさんしました。 つねおくんは、以前よりずいぶんすっきりと絞まり、大分スマートになっていました。 以前は、相当太めであったのですが、結局それは、ステロイドの影響らしく、身体を考えて薬を止めたら、痛いのは我慢をして慣れていき、身体は少しづつ元に戻ってきているらしい。やはり、きつい薬は、控えるに越したことはないとの話である。 最もだ。

今回の主催、せいちくんは恐ろしいくらい太ってはいたが、芸術活動自体は 永遠(とこしえ)と云う造形の舟の 船出の神事を行うようである。 小谷宮司と知人らしく、大きなイベントと化して3年目になるけじめの祭りのようである。

高津宮の氏子には菓子業に関連する方が多いらしく,テント店舗でお菓子とグルメの屋台も祭りを盛り上げていた。 ダンス、空手、歌舞伎、音大の演奏とシンセサイザーの奉納演奏とイベントも多彩で、町ぐるみでの大きな催しと化したスケールになっていたように思う。 僕は、体調のアップ具合も兼ねて、3時間ほど友人との話と、アートトーク三人の話を聞き、最後少し疲れがまし、途中退席したのだが、ほぼ聞いたと思う。 自分の体力がどこまで回復しているかを今は見るのが楽しい。

この高津宮は仁徳天皇を王神と仰ぐ神社であるらしく、866年に天皇の勅命により旧都の遺跡地に社殿を築いてお祭りをしたのが創始とされる場所であり、やはり、駅からも、上り,降りがあり、けっこう歩いての行き帰りで、何度も歩いてお宮の凄さを感じた次第である。 坂田藤十郎襲名記念絵馬、桂文枝師匠の碑もあり、もっとも地道に活動し、地域に貢献している落ち着く空間でありました。 さすがに帰りは、ゆっくりと歩いて駅に行き、電車と歩きで帰宅、疲れもありぐったりだが、何時にもましてお腹がすいていることが素敵であります。 知人たちは、高津宮で、食事兼酒盛り兼宿泊の運び、もっと元気になれば、又の機会に話したいものである。 ちなみに、後日つねおくんと話したところ、彼は絵画の先生方と食事に出かけて、お宮には遅くに帰り、酒盛りに参加したらしいのだが、あらかたは、夜中の一時にタクシーで帰宅し、5人がお宮に宿泊、中でもせいちくん他ひとりのふたりは朝になってもお酒を飲みっぱなしで、まだ話をしていたそうである。 馬力うんぬんより、気持ちがあまりに若いのであろう。凄い人たちである。