味覚の育成  

岡山県備前市、今から55年前は、岡山県和気郡備前町でありましたが、そのころ、小さな溝では、田んぼの流水、時々一般の家庭で、洗濯をしていました。

わずか、幅50センチ、深さ20センチの小川は、鮒、ドジョウ、鮠(はや)、どんこが泳いでおり、川辺にはセリ、ヨモギなどが所狭しと繁茂していたのである。

よって、我が家の近辺には、よほどのことが無い限り、隣町(約3キロの距離)に日生という漁師町があり、軽トラックで鮮魚を積、魚屋さんが来てくれていた。その調理を見るのが大好きで、セイゴ、鯛、いか、オコゼ、スズキ、瀬戸内海のあらゆる魚がひしめいていた魅惑の瞬間でありました。

紋甲イカ、ホタルイカ、赤貝の場合、必ず我が家では、自家製の味噌による、ぬたになります。田んぼに植えているネギを取り、川原の端でバケツに2杯ほどのセリを取りに行くのです。このセリは川縁を一面覆い隠すように生息し、本当に新鮮で、ほんのり苦く、命を感じる瞬間であります。

土の質の違いが、ネギ、白菜、菊菜、シソ等に大きく味の変化を伝えてくれます。

川原のセリも、取る場所によって、まったくみずみずしさと柔らかさ、えぐみ(苦味)茎の太さなどが変わるのである。

味覚の育成は、幼少期より口にしたもの、空気、環境によって培われたのではないだろうか? 小学校に上がる前から日曜日には朝の味噌汁を僕は作っていた。作り方は教えて貰っていない。

休みの日は、田で父と母は朝早くから作業をしており、薪で火を興し、大体の作り方を聞きに田んぼに走り、取れたばかりの野菜を持って走って家に帰る。

そして腹が減っているから僕も必死で朝飯作りに取り組む。

米は一升炊かねば足らない。焦がしてはならないが、おこげのあるご飯は常識で作れなければ我が家では大問題になる。米全体の美味しさが半減するからである。

そんな状況が、今の僕を作っているのであろう。自分で言うのも変だが、とにかく卑しい、又おいしければ、作ってみたくて仕方がない。

海ちゃんが僕と知り合ってよかったことは、野菜を馬鹿ほど食べる僕の影響で、全く食べていなかった食生活が改善されたことではないでしょうか。

環境が、食習慣を変えることもあると思いますね。

海ちゃんの田舎今治では、僕の食生活の何でも食べる事が不思議に映る。まず、好き嫌いは全く無い事で、食材を何でも使い、皆が僕の食べっぷりを見て、我が子供を含めみんなが自然と何でも食べることに感化されたと思うのだ。 ありがたや、ありがたや。