食改善 摂りたい食品 6番目こだわり 

ここで摂りたい食品はがらりと変わり、牛乳、スキムミルク、プレーンヨーグルト、プロセスチーズの登場となる。どれも類似していて異なるものと思える。

乳製品と云うくくりでは、イメージは似ているが、一般的な食材としては朝の定番として我が食卓ではヨーグルトを食す、ジャムの種類(ブルーベリー、イチゴ、キウイ、マーマレード等)を加えて食べる。

同じ朝の定番はバナナであり、これもヨーグルトに入れる場合と、そのまま食す場合の両方であります。

牛乳はカフェオーレ、料理に使うのと、気が向けばそのまま飲む。ただ、癌治療を終え、リハビリ中の今は、食事療法推奨のドリップコーヒーを主流にして、牛乳は以前より減っているのが現状である。ただし最近の牛乳は甘くて美味しいので、コーヒー牛乳を牛乳で割ってお菓子とか、疲れ取りでそのまま飲むこともしばしばである。プロセスチーズはあれば食べる程度で、そう頻繁に購入するものではない。その分外食で取る機会が多い商品である。

好きか嫌いかで言うと好きではあります。特にパンが好きなので、バターたっぷりのフランスパンの上にチーズを乗せ、軽く焦げ目が付けばこれは最高のごちそうになります。

今は、唾が片側が出ないので、余計に食べずらくなっており、ピザ、チーズトーストなど以前に比べ食す機会が減っているのが残念であります。スキムミルクは我が家ではまず購入しない、スキムミルクの浸透度が低いとしか思えず、宣伝とか紹介頻度を変える必要があるかも知れませんね。

幼少期に、幼稚園では脱脂粉乳(スキムミルク)の生暖かい飲み物が必ず3時に出ました。これははっきり言って美味しくはありません。単に栄養があるから飲みなさい でしかなかったと思うのです。

幼稚園自体、おいしい飲み方など1960年では在り得なかったし、栄養失調を回避する食材としての扱いでしかなかったように思う。

商品加工案を含め、現在のお店の陳列スペースでも、重要部分に無いと思うのです、それなりの存在としか理解できなくでごめんやで。

牛乳が基本で、後は乳製品、すなわち牛乳の加工品であるので、どうも類似品としてとらえてしまいますね。栄養素も大まかには類似していると思ってしまいますが、発酵している商品群は免疫力に於いて、体内メカニズムに違いが出てくるよな。

食改善 6番目のおすすめ食材  

食改善 摂りたい食品の6番目の項目に移ると、まず、いちご、じゃが芋、ほうれん草がご飯などと同位置にランクされている。単純に、じゃが芋の場合、それこそ30年前に僕が海ちゃんとフランス、パリに住んでいた時、一か月共同生活をした時期があり、当時北海道から来たお方が、いつもじゃが芋をゆでて、それにバターを付けて食べるのが主食で、他は水しか飲んでいなかった御仁がいた。彼は、その後、どうなったのか?

 

じゃが芋の調理例の基本というか王道を数種挙げてみよう。まずポテトサラダである。

これは、食卓で、揚げ物、焼き物の隣に半主役で君臨しているように思う。

また、最も今の主流はポテトフライではなかろうか?これについては、ファーストフードのほぼメインとなる飾りがこれであり、今現在世界中で一番食されている食べ物のように思う。植物油で揚げればさほどカロリーは付かない野菜としてというより、半分スナックに近いイメージがあるのは僕の年齢が引き出す生活感、それこそ幼少期の食環境の為せる技であろうと思う。現在の子供たちは当たり前の食材が、ポテトフライなのである。

僕の幼少期は、ファーストフードもなく、外食事態まずありえない、時々食べるのが月に一度あるかないかのお好み焼き、これは中学生になり、クラブ活動の土曜日、練習後に時間があった時である。そこは、30円、50円でお好み焼きが食べれたのである。おでんは5円だった気がする。

どうも僕は横道にそれる癖がある。話を基にもどそう。万能のじゃが芋は単体では種類が限られるが、他にもコロッケ、肉じゃが、カレー他煮物等、あらゆるジャンルで大活躍の食材と云えよう。

 

イチゴは、フルーツであるから、スイーツ、我が家ではジャムに使っている。自家製のイチゴジャムは非常に美味しく、体に優しい味になるし、毎朝、ヨーグルトに入れても美味しい。食パンにも抜群の相性を生み出す。

大阪の3月から5月にかけては、羽曳野の道の駅 しらとりの里 では あすかてくるで というJA大阪南 の取れたて野菜と果物が並び、いちごについては形、傷が付いただけで味は良い物がジャム用として特売されている。

特に、時期ごとに取れる特産品は、価格も安く、味もすこぶる良い。基本、我が家では、各時期毎に、自家製のジャムが朝は食卓を賑わせてくれているのである。

ほうれん草は、朝のフレッシュジュースでまず食し、おかずに於いては、湯がいて胡麻和え、カレーでも美味しく頂ける。お浸しにしてもいいし、癖の少ない野菜で、ある程度の万能選手野菜ですね。

心の在り方(毎日のケア) 

心には、ゆとりの有る無しで大きな差が出てしまう。

武道での我々自然体に関し、心、技、体 という表現を良く使うのであるが、まさにその通りで、心と体(身体)が正しい状況、平常心を保たねば、実際の技術が発揮できないとの表現なのだが、奥はシンプルで、深いのである。

今年5月に富岡製糸場(群馬県富岡市)が世界遺産に認定された。この工場は糸を作る昔ながらの機械が設置してあり、蚕から糸をつむいでいた名残りで製糸業に貢献したとして蚕のチョコレート菓子「かいこの王国」丸エイ食品 というところから販売されており、これが3個で700円で製造が間に合わない大人気商品らしい。6月に新たな新商品も製造販売されるらしいのだ。

このチョコ、葉っぱの上に蚕の芋虫と、なんとグロテスクと思いきや、時代性もあり、かわいいとなるのである。解らない物だが、何でもありの世の中であり、可能性というものは、何処にでも、何時でも、実は存在するのである。

そこに何らかの力が加わったり、何らかの興味がわき起こったりして、大きな反応になる場合があるのである。

だから、つまらないとか、なんだこれ?などという事や、しょうもなーというものは実は無いのである。

 

いなりずしの記事もあった。いなりずしの皮を表、裏で2種類、そしてご飯側を上にするという事で従来の見え方が全く変わり、そこにエビを乗せる、アナゴを乗せる、錦糸卵を乗せる、きぬさやを乗せる、鯛でんぶを乗せるという価値観で行くと、いなりずしが大きな価値を持ち、看板商品に早変わり。

 

実は、このような記事とか情報が如何に心に響くか、これはもちろん好みにもよるのであるが、豊かさに於いては、素晴らしい可能性と、限りない奥行きを僕は感じるのである。

 

我々人間は、五感というものがあり、これらにまつわる全てが、心の充実になったり、大きな喜びに代わるのである。悔しい、悲しい、つらい、苦しい等の事が実は世の中いくらでもあり,きりが無いほど山積しているはずだが、少しの喜び、楽しさ、嬉しさ、美味しさ、触り良さ、居心地、寝心地、美しさ等を気づくことが出来る幸せ。こんなに素晴らしいものを心で感じられるのである。よく見よう。よく考えよう。よく試してみよう。もっと話をしよう。もっと触ってみよう。生きていて良かったと思えるよ。

 

もっと、もっともっと、焦らないで、心にゆとりを作りましょう。

一生とは、一瞬の積み重ねなんだから、ちょっとした視点を変えるだけで、大きな感動に代わるチャンスを失う事もあるし、楽しい事を見過ごすこともあり、当然だが、嫌なことを見つけることも在り得るが、それは考え方ひとつ。

よくこんな事を見つけたな、珍しいよね、こんな嫌なこと。良い事の前兆かな?

なんて思えれば、もう心はハッピーだらけ そんなものです。

一回きりの人生でもったいない。怒らないでね。

何度も海ちゃんに教えて貰っていますが、怒りっぽくなるのは、自分で結果を求めすぎだなと思い始めています。

もっと、人を愛するようになろう。

大層なことではなく、人に見返りを求めるのは、無理がありすぎですから、もう卒業しようと思います。

与えることはし続けないといけませんけどね。

皆ほんとに幸せにならないとね。

怒っても、腹を立てても、何も生まれないし、気持ちが沈んだり、周りに不愉快な思いをさせるだけで後味が悪くなるだけですよね。

病気と云うものは、時として本当に大切なものを気づかせてくれることがあるものなんだ。

ありがとう、こう思えるひと時に感謝である。

食改善 海老 続き 

日本では、伊勢海老になるが、これは伊勢のみならず、沖縄から東北まで存在し、僕は瀬戸内海近辺の物が絶品であると思っているが、価格があまりにも高いと思う。刺身、てんぷら、焼き、煮物、どの料理にも合う。どの料理が良いかは好みだが、やはり軽く炙って造りで食べるのが一番好きである。又、煮物は軽く焼いた後で煮込むものは、甘さと香りもよろしい。特に瀬戸内のエビでは、塩でゆでた後、天日干しをしたエビが最高である。そのまま食べても美味しいし、もろみでキュウリと一緒に和えても絶品であり、出汁として使うと、これまた恐ろしく上手い。大豆と干しエビの出汁で取ったおつゆでそうめんを食してみてください。これ最高の贅沢な揖保の糸(これも瀬戸内海相生産地)の食べ方ですぞ。

海外でのエビでは中国のニンハイ、南京の少し奥地になるのであるが、ここで食した川エビ、手長エビなのであるが、とても綺麗とは言えないレストランというか食事が出来る民家と云った風体の場所で、紹興酒に生きたまま浸けたエビを食したのは、これまた美味しかった。紹興酒に浸け酔っぱらって動かなくなったエビを食べるのである。そして香菜、にんにくを入れ炒めて最後に食べつくすのである。これは、現地では最高のもてなしで、フライパン、鍋の年季で食欲が減退した状況であったにかかわらず、とても美味しいものであった。コレステロールの多めの食材であることは理解できるが、食べ方によって変化を付けれる範疇に位置してはいないであろうか?野菜と炒める、きのこ、ネギと煮込むなどいくらでも加減出来そうに思えてならない。

食改善控えたい食品6番目の最後を飾るのは最も僕の愛してやまない魚、シシャモ、ワカサギ、アナゴがここに属している。ししゃもは、北海道南部にしか存在しないのである、当然一般的に流通しているのは樺太シシャモで小ぶりのものである。北海道では大野商店が有名でオスの方が身は美味しいと言われているし確かにオスは噛みごたえがあり甘い、当然子持ちのメスとオスとは栄養分析では違うと思うのであるが、10匹で1日のコレステロールに充当するようである。これには驚きである。ただ、ビタミンB12が多く、当然カルシウム、リン、たんぱく質、亜鉛等すこぶる栄養価は多岐に渡っているのである。わかさぎなどは、タンパクと云う気がしていたのだが、考えを改めないとちょっと見た目で判断していた節がある。あなごはある程度理解はできる。がしかしである、瀬戸内海で育った僕にすれば、バラ寿司でアナゴの入っていない物はなく、巻寿司であなごが入っていない物はなく、今どきの情報では、ウナギより栄養価が高くヘルシーと紹介されているのは何故か?レチノール当量、ビタミンB12、ビタミンD,ビタミンE,タンパク質が豊富で、コレステロール値は思いのほか低いのだが、うーん、蒸した場合とか、焼いた場合とか、煮込んだ場合で数値が違うのであろうと思う。いずれにしても、アナゴは我が幼少時より食文化の中心に君臨するものであり、愛おしく思う一品。ほどほどに、食したいと思う。

食改善の続き  

ここで、食改善の前頭、6番目に同席する海産物に的を当ててみると、なんと するめ、いかの塩辛、ほたるいか の三種類がノミネートされているではないか。塩辛、ほたるいかはイカ味噌も入っており不思議では無い気もする。がしかしである、するめいかが入っているのが解せない。よく考えてみると、乾燥をしているから通常の生のイカより濃厚な香りと味を伴うのはこれ当たり前のことであり、食すに当たり噛むという行為が他の追随を許さない回数を要求される代物、だから決してコレストロールの入る余地は無いように思うのであるが、はたして本当に飽和脂肪酸を多くふくむのであろうか?

唾液である程度のアミノ酸に緩和される事はないのか、疑問の残る処ではあります。

 

視点を変え、魚卵に移ってみると、すじこ、かずのこ、たらこ が堂々の前頭中央に陣取っている。当たり前と言えばそれまでだが、良く考えてほしい。物は考えようで、これらの魚卵軍は、お酒のアテとして食す場合は少量づつ啄む感じの食べ方が基本であり、おかずとして食す場合も、少量でご飯がメインになるのではないか、たらこスパゲッティー、明太フランスパンを思い出してほしい。これも実はメインはスパゲッティー、フランスパンであり、そこに彩とえも云えぬ味が加わり商品となっているのだ。

だからというのではなく、決してサラダのようにそれだけを食すという類にはしたくないのが本音である。

疑わしきは罰せずという言葉があるが、これがこの位置と思わず唸ってしまうのが、甘海老、あん肝、生うに の三種類、とても他の食べ物の前頭と同位置には思えないのが本音である。なぜならば、おすしの贅沢三昧と言っても過言ではないものであり、口の中で蕩ける品々、まずエビからいくと、甘えび、このまったり感は他に類がなく、口中に纏わりつく甘さがえも云えぬ、擦りおろしわさびに僕は薄口醤油が絶品と思っている、そして車海老のおどり、特に車海老の頭は軽く焼いて味噌と一緒に食す、次いで芝エビ、これはから揚げ、てんぷらが絶品である、そして近年あまり出回らなくなった大正エビ

は中国から輸入されることも多かったのであるが、白さがあり甘さがあり食感が甘くてプリッとした感じで瀬戸内海では重宝されていたエビである、さっと塩で湯がけば抜群の甘さとプリプリのはじけるような食感が味わえる、そして今市場を一番にぎわしているのがブラックタイガーであろう。とにかくあっさりしているし、身が小さくなり易い代物である。ただ料理に於いて特にフライ、てんぷらには合うように思う。芝エビは、特に素揚げが美味しい代物だが、バナメイエビに置き換えられた経緯で、本物の流通が壊れているのであろうか?残念である。最後に海外ではロブスター,これは赤と、緑もあり味は本当に極端に変動が激しい、カスカスのあじのないもの、甘さの有るもの、まず僕は基本的にあまり好みではない。

食改善のお話  控えの始まり

控えたい食品ランキングに存在する手羽肉ってホントなの?

余り食してはならない物で、控えねばならぬほど手羽肉にコレストロールがあるとは思えず、エネルギーになる要素の方が多い気がする。それ程の脂肪であろうか、料理にもよると思うが、皮の部分も薄く、コラーゲンと、低タンパクに思える。

鶏もも肉は、もってのほかではないのか?タンパク質こそあり、脂肪は皮の部分でほんの少ししか存在しない。控えたいとは思えず、自分勝手な解釈ではダイエットに近い素材に思えてならない。

そして、我が大好物の砂肝、これには脂肪は無く、臓器では有るが、繊維、筋肉質といった表現がぴったりの食材であり、たとえば、ニラとの塩コショウ炒め、にんにくとの炒めもの、串焼きなど全く素朴に考えて、元気の元、エネルギー源とみなしてしまう。

ということは、ひょっとするとカロリーは高いのか?

うーん、解せない。書物によるのだろうが、今までの我が知識では、四足の動物は体に栄養を与えるが、負荷な部分も必然として多くあると聞いているが、それすら本当か疑問の現在で、ちょっと驚きとしておこう。

さて、四足の獣 豚では豚レバー、豚肩ロース肉がほぼ全体の6番目の控えたい食品群に属している。豚肉は、当然であるが噛みごたえがあり、脂肪は唾液で分解されるものと考えたいがそうもいかないのだろう。

好き嫌いの無い僕にとっては、豚肩ロースは結構代役が在りそうな気がする。豚もも肉とか、豚ばら肉なら、いくらでも代用できそうだが、レバーは当然だが甘さ、食感が豚の場合は柔らかさにまろやかさが加わり、灰汁が無く感じるのである。

特に、韓国で食べたレバーは、荒塩にゴマだれの本当にふくよかな食べ物である。自宅近辺の韓国焼き肉店の豚レバーも美味しい。

生は数量が限られているが、昔と違い衛生面と、調理面で厳しくなっているから、余計以前に増して新鮮に感じてしまう。

多少は控えねばならないのかもしれない。食べ過ぎに注意しましょうでいいと思うがなあ。

ここでもっと控えなさいと待ってましたと登場するのが、牛肉、牛レバー、牛もつ、牛ばら肉が同じ位置に君臨している。これは、様々な書物でも紹介されており、高コレストロールの食べ物となっており、疑う余地は無い。ただ欲を言えば、芳醇な味、豊かな心をともすれば伴う食物として、時として味わいたい品物であります。

特に、関西では牛もつの煮込み、すなわちどて焼きはネギの甘さと辛さ、こんにゃくの素朴さが絶妙にミックスされ、つまみにおかずにと万能選手なのである。

ああ、だめだ、食べたくなってしまいそうだ。我慢、がまん。

胃を切った後の生活 

胃の切除は簡単に言えば、胃がんで切除の場合、少ない場合で三分の二、重い場合では全部摘出、又、食道除去による胃での補助などであるが、まずは、栄養士や看護婦が少量で回数を5回から6回に分けて食べて欲しい旨を患者に告げる、ましてや僕の場合は、放射線治療で右頬の移植、なおかつ術後2週間に渡る口をあけてはならない事態で、ほぼ口が固まり、全く口が開かないのである。

当然術後は流動食、鼻からこぼれる、気管に入る、せき込む、あらゆる事態が食事の弊害になり、こうなると栄養を何でとるかに関わってくる。

まず、手術後はしんどいのと苦しいのを当たり前としなければならないのだが、腹痛と下痢、逆流性食道炎が頻繁に自然に起き胸や背中を針で刺されたような痛みが走り、僕の場合はもう一つ、頸の右部分の筋肉除去がある為、肩から頭まで常に鈍痛、痺れがある中での追加の痛みに襲われるのである。簡単に言うと、相当病気と闘う意思がないと、気が狂うのではないかと思うぐらいの痛みと痺れ、動かない身体に憤りを感じないでもない。

がしかし、そこで海ちゃんの応援がすこぶる僕の人生、生きざまにとても大きな影響を与えてくれるのである。

消化器内科医の方たちがさまざまな意見を言ってくれるが、術後というものは、手術により、例題が無い場合があり、それが僕の場合であり、半分はモルモットに近いくらい今後の変化を体系化出来ないか記録を残したいぐらいのものなのだ。

定期的に、内視鏡検査、ペット検査、CT検査、血液検査が大体四半期毎に行われる。

自分で思うのは、特にCT,内視鏡、放射線の待合で様々な患者の方と待っている間に夫婦で来ている患者さん、親子で来ている患者さん、僕のように一人の人、様々な方の苦悩が見え隠れしているのである。

現在では、消化器外科医や栄養士らで「胃外科・術後障害研究会」も出来、胃を切除した患者の方などは、日常生活を快適に過ごす為の小冊子までが出ている。

僕が未だ闘っているこの状況を、しょうざんの中道先生とか赤あんどの先生とか、整体の江村さんとかを交えて、いつか文面にまとめれればあらゆる場面の患者の方が元気になるやも知れないと思うのである。

全ては、経験に基づく心の在り方は意義があるし、綺麗ごとにはならないであろう。やはり、病気とか治療中の人は気持ちがなえている場合があり、素直にうなづけない場合が多いと思うのである。

応援、協力してくれる人が常に周りに居てくれたこと、これは僕の大きな財産であり、幸運という運を運んでくれているのだ。ありがたや。

味覚の育成  

岡山県備前市、今から55年前は、岡山県和気郡備前町でありましたが、そのころ、小さな溝では、田んぼの流水、時々一般の家庭で、洗濯をしていました。

わずか、幅50センチ、深さ20センチの小川は、鮒、ドジョウ、鮠(はや)、どんこが泳いでおり、川辺にはセリ、ヨモギなどが所狭しと繁茂していたのである。

よって、我が家の近辺には、よほどのことが無い限り、隣町(約3キロの距離)に日生という漁師町があり、軽トラックで鮮魚を積、魚屋さんが来てくれていた。その調理を見るのが大好きで、セイゴ、鯛、いか、オコゼ、スズキ、瀬戸内海のあらゆる魚がひしめいていた魅惑の瞬間でありました。

紋甲イカ、ホタルイカ、赤貝の場合、必ず我が家では、自家製の味噌による、ぬたになります。田んぼに植えているネギを取り、川原の端でバケツに2杯ほどのセリを取りに行くのです。このセリは川縁を一面覆い隠すように生息し、本当に新鮮で、ほんのり苦く、命を感じる瞬間であります。

土の質の違いが、ネギ、白菜、菊菜、シソ等に大きく味の変化を伝えてくれます。

川原のセリも、取る場所によって、まったくみずみずしさと柔らかさ、えぐみ(苦味)茎の太さなどが変わるのである。

味覚の育成は、幼少期より口にしたもの、空気、環境によって培われたのではないだろうか? 小学校に上がる前から日曜日には朝の味噌汁を僕は作っていた。作り方は教えて貰っていない。

休みの日は、田で父と母は朝早くから作業をしており、薪で火を興し、大体の作り方を聞きに田んぼに走り、取れたばかりの野菜を持って走って家に帰る。

そして腹が減っているから僕も必死で朝飯作りに取り組む。

米は一升炊かねば足らない。焦がしてはならないが、おこげのあるご飯は常識で作れなければ我が家では大問題になる。米全体の美味しさが半減するからである。

そんな状況が、今の僕を作っているのであろう。自分で言うのも変だが、とにかく卑しい、又おいしければ、作ってみたくて仕方がない。

海ちゃんが僕と知り合ってよかったことは、野菜を馬鹿ほど食べる僕の影響で、全く食べていなかった食生活が改善されたことではないでしょうか。

環境が、食習慣を変えることもあると思いますね。

海ちゃんの田舎今治では、僕の食生活の何でも食べる事が不思議に映る。まず、好き嫌いは全く無い事で、食材を何でも使い、皆が僕の食べっぷりを見て、我が子供を含めみんなが自然と何でも食べることに感化されたと思うのだ。 ありがたや、ありがたや。

食について うまいってこと

とあるラジオで、福井の水ようかんの美味しさをしきりにゲストが喋っていた。たかが水ようかんと思いきや?いや、商品(水ようかん)を買うと、1ケースというか1個をついつい食べきってしまうとしきりに言うのである。

美味しすぎて、気が付いたら、全部食べていて、又すぐ食べたくなるというのである。 もちろん、卑しい僕は、すぐ調べまくり、初回にミスは出来ないので、調べつくすと、餅屋さんが出している水ようかんが見つかった。

その餅屋では、販売商品がどれも美味しそうで、変な添加物も全く使っていないお店と判明、早速5個を申込み手配した。

半信半疑だが、楽しみに待つこと3日、林 餅店 から福井の水ようかんが届き、海ちゃんと一緒に食す。 うまい、北海道の十勝産大納言小豆、沖縄産黒糖で作ったのど越しの良さをうたっているのだが、まさにその通り、ただ 冬に食べる福井の水ようかん という表現は如何なものかと思うのでありますが、冬でも食べたいと主張しているのでしょうかね?

いずれにしても、とにかくあっという間にツルリと食べてしまうのである。

僕はもともと小豆には異常な執着を持っているほど大好きであり、水ようかんとなると、小豆の粒がちりばめられた半透明でありながら艶々とした切口のもの、口に含むと甘さ、あずきのふくよかさが広がるそれが、唯一の水ようかんであったのに、初めて小豆の形の無い、ましてや黒糖を使った水ようかん、こんなものが存在したのか、多分いろんなところで目にしたことが在ったかもしれないが、まず外観では絶対買っていないと思う。

どう見ても、価値ある外観はしていない。

ラジオで入手したこの水ようかん、知らないということは、案外、損をしているのかもしれない。

心の満足って必要だなと思わずにいられないのである。

海ちゃんのおかず日和、たけのこ、4月のとある日に、京都の筍を頂いた。灰汁を米ぬかで取り、厚揚げ、わらびと一緒に柔らかくなるまでしっかり煮込む。春を告げる僕のお気に入りの食べ物のひとつである。残念なことに、家族は海ちゃん、なおくんと灰汁あるものが大の苦手と来ている。ほぼ、僕が一人で食べるに等しい。なんと、青くさい良い香り、これまた生命を感じないではいられない、幸せな瞬間でありました。

食道癌後の呼吸訓練という新聞紹介記事 

食道癌の手術は、食道を摘出して、胃を伸ばして繋げるのであるが、僕の場合は胃にも十二指腸との接合部に癌細胞があり、胃を半分にして伸ばしてつなげる食道の再建手術で、頸部、胸部、腹部の三か所を切開、一番つらかったのは、長時間約(9時間)に及ぶ全身麻酔、手術の侵襲によって術後の呼吸機能の低下、ましてや歯も抜かれたことである。

特に恐ろしいのは喉にタンがしょっちゅう溜まり、肺出力が弱くなり、肺炎や無気肺が起こりやすくなっており、呼吸器合併症がおこりやすい状況なのである。

僕が怖かったのは、気管にタンが入ると、肺炎を引き起こす可能性があるという事と、タンを綺麗に排出出来ない事のつらさである。

とにかくこれが苦しくて、ひとまず横を向いて痰を出やすくする、時々腹ばいでタンを出やすくする事が頸、顎を締め付ける痛みを伴い、自分にとって至難の業になっていきます。

食道癌手術後の呼吸リハビリの必要性を新聞や雑誌で見たのであるが、タンの排出以外は重要視していないのか、呼吸訓練は、僕の入院時、その病院ではインセンティブ、スパイロメトリー という機器、呼吸の基本、吸気量の数値を術前、術後に維持することが大切なのであろうが簡単に処理されたのだ。

唯、毎日の痰の排出に関わる部分は最重要項目とし、蒸気によるタン排出の促しを一日二回、約30分行い、相当の胸のもやもや、喉のいがらっぽさは解消されたと思う。

通常、食道切除再建術の呼吸器合併症の発生率は30パーセントもあるらしいし、肺炎の場合は、死に至るケースが多発しているのです。

有難い事に、もともと僕は、剣道とヨガで常人より腹式呼吸など事前に出来ていたのも功を奏した。

まさに、人と人の出会いとは有難いものである。

人間、何時、どんな状況になっても、愛する人がいること、守らねばならない人がいることが如何に生命に反映してくるかを悟るのですよ。

綺麗ごとではなく、現実とは、思いのほか、シンプルで明確な物であります。

食というものは、生命の根源であり、無農薬、すなわち地球が生み出した自然の生物、野菜であったり、肉であったり、全て自然界の産物、これらが新たな人体の細胞を作ったり、血流をしっかり往来させ命を育てていくのでしょう。

今は死んだふりをして、少しの呼吸で静かに息をしながら、新たな自分再発見に備えよう。それは良い案だ。