入院2日目(2012年7月11日)

昨日の主治医、織部新平氏、依田二郎氏、中田次郎氏の診断、及び妻を交えた報告、手術選択は結構露骨に病気治療に関しての突っ込んだ意見、リハビリの現状克服についての長期的な取り組み覚悟を伺う。

全身麻酔の説明、両頚部郭清術,頬粘膜、中咽頭癌切除術の具体的な説明は、1時間に及ぶ長いものであった。医者とは難儀な仕事である。患者が不安になるとか、希望をなくすとか、どうしていいかわからない状況であっても、もしもの可能性を最悪の事態から入り、この処置がまず一番進めれることの希望的観測に入るのである。

最後は選択権は自分にしかないので、気の小さい心配性の我妻は意識朦朧、状況判断不能状態に陥っていたと思う。僕があまりに生きることへの執着が強く、守るという行為、オスの本能にどっぷり浸かった生き方しかできない結果、海ちゃんにも我を押し付けている部分も多分にある。。

この事態で怖くないと言えば嘘になる。幾らでも押しつぶされそうな重圧であったり、恐怖は当たり前に存在するのだ。ただ勝つというかっこいい言葉を使おうとは思わないが、病気も仲間にするしかないかと考える。自分が必要な人間であれば、まず生かされるはずである。

世の中うまくできているものだ。そう信じて取り組むしかない。

 

 

追加の記載

2日目にして、新たな癌の手術の告知を説明される。食道癌が4か所に点在して居るわけだ。相談もなく勝手に出来たものであるが、どうもリンパと云う奴は立ち処にいたずらをしでかすようである。食道は取り除くことになり、胃の半分が食道に代わるようである。生まれてこの方、私に大きな期待をする神様が見えて仕方ない。何でここまでの事態を味わう事になるのですかねえ。選択ミスをひょっとすると神様はしでかしてませんか、今なら笑ってごまかせるけどね。冷静に今は自分が本当に何かに守られているような気がする。私の役目が多すぎはしませんか、どう見ても私をもっとタフにしたいのであろう。いやはや、平穏は与えてくれませんね。如何生き返ってどんな影響を人に与えていけるのか、僕には荷が重すぎませんか?おっさんだよ、それも55になる。くじけませんが、負けませんが、人生って面白いのかもしれない。先が解らない分だけ試行錯誤は増えるけどさ。

病院入院1日目(2012年7月10日)

とても退屈なくせに、なぜか元気が出ないのは、病気は気からと云うことであろうか?

一人で日黒病院に行き、受付で入院手続きをする。

何故か、こんな時は、誰も知人、家族もいない方がまだましである。事務手続きは暦をなぞるようにすんなりと進行していった。

個室にして頂いたのであるが、それほど広くはなく、病院ではこんなものかと云った処であり、ベッドの上に担当の名前が記されていた。しばらくすると看護婦が来られる。

看護婦をからかう気力があればいいのだが、逆にからかわれそうな雰囲気の女性、虫でたとえれば間違いなくカマキリに属すると思われる。名前が良く分からないが,むらたふみこかふきこかふおこかであろうと思われる。村田扶生子 むらたふみこさんでありました。

初日、海ちゃんが食事のおかずをたくさん買ってきてくれたのですが、多すぎて食べきれませんでした。帰り際で、茫然自失の彼女を見るのは苦痛でした。

暗闇に投げられた石の如く、一体これから何が起きるのか、何処に転がっていくのか、何も見えない状況が、静かに幕を開けたのである。

あがいても始まらない。まずは、己を信じ、鼓舞するしかない。